カイロ歴史地区とは?世界遺産についての解説

カイロ歴史地区の構成要素
要素 説明
イスラム地区 カイロ歴史地区の東部に位置するエリア。シタデルやムハンマド・アリ・モスクなど、イスラム文化を象徴する建造物が多く存在する。
オールド・カイロ カイロ歴史地区の南部に位置するエリア。カイロで最も古い市街地であり、キリスト教やユダヤ教の文化が色濃く残っている。
ハーン・ハリーリ カイロ歴史地区のイスラム地区にあるバザール。様々な商品が売られており、活気に満ち溢れている。
イブン・トゥールーン・モスク カイロ最古のモスク。ミナレットに登ることができ、カイロの街並みを一望できる。
スルタン・ハッサン・モスク マムルーク朝建築を代表する建造物。カイロで最も高いミナレットがあり、ピラミッドを見渡せる。
アズハル大学 イスラム最古の大学。スンニ派の最高教育機関として有名。
聖セルギウス教会 エジプトで最も古いコプト教会の一つ。幼いキリスト、マリア、ヨセフの聖家族がエジプトに逃れてきた際に身を隠したという洞窟・地下道の上に建てられている。
聖バルバラ教会 初期コプト教会のバシリカ様式を受け継いだ構造が見られる教会。
エル・ムアッラカ教会 内部の装飾が美しい、聖母マリアに捧げられたコプト教の教会。
ベン・エズラ・シナゴーグ エジプト最古のシナゴーグ。19世紀の修復の際に大量のゲニザ文書が発見された。
聖ゲオルギウス教会 ギリシア正教の教会。
コプト博物館 エジプト各地から発掘されたり寄贈されたコプトに関する遺物資料を展示している。
シタデル アイユーブ朝の創始者サラーフッディーンが十字軍の侵攻に対する拠点として建設した城塞。
ムハンマド・アリ・モスク エジプト最後の王朝ムハマンド・アリー朝を興したムハマンド・アリーが建設したモスク。
バビロン城壁跡 ローマのトラヤヌス帝が西暦98年に建設を命じたというバビロン城壁の遺構。

1. カイロ歴史地区の概要

要約

カイロ歴史地区とは?

カイロ歴史地区は、エジプトの首都カイロにある世界遺産です。1979年に「イスラーム都市カイロ」として世界遺産に登録されたあと、2007年に登録エリアが拡大されるとともに「カイロ歴史地区」へと名称が変更されました。登録された範囲は、カイロ東南部の範囲で、イスラム地区である旧市街と、カイロの街発祥の地であるオールド・カイロと呼ばれる地域です。カイロは14世紀のマムルーク朝の時代に最も栄えました。とくに1363年に建造されたマンドラサモスクは、建築資材をピラミッドから調達して作られました。現在でもカイロの人口は1167万人で東京都と同じくらいの人口を擁し、アフリカ大陸の中でも屈指の大都市です。

そのカイロの東南部に位置するオールド・カイロや、旧市街といった地域がカイロ歴史地区と呼ばれ、イスラム文化による歴史的な建造物は数多く残されていることから、1979年に「イスラーム都市カイロ」として世界遺産に登録されました。そして登録から30年後の2007年に登録区域が拡大されるとともに「カイロ歴史地区」へと名称が変更されました。

カイロ歴史地区は、エジプトを流れるナイル川の東側にある新都市のさらに東に位置する「イスラム地区」と、新都市の南にある「オールド・カイロ」の2つの地区に分かれます。その2つを合わせた大きさは、約8km×4kmにわたる区域です。

カイロ歴史地区の構成
エリア 説明
イスラム地区 カイロ歴史地区の東部に位置するエリア。シタデルやムハンマド・アリ・モスクなど、イスラム文化を象徴する建造物が多く存在する。
オールド・カイロ カイロ歴史地区の南部に位置するエリア。カイロで最も古い市街地であり、キリスト教やユダヤ教の文化が色濃く残っている。

カイロ歴史地区の見どころ

カイロ歴史地区には、600を超えるモスクと、1000以上のミナレットというイスラム教の尖塔が存在し、「千の党の都」とも呼ばれます。オールド・カイロは、ナイル川沿いにあるカイロで最も古い市街地です。7世紀に侵攻してきたイスラム勢力によりつくられた都市であるフスタートが、この地域です。現在は、キリスト教から派生したコプト教徒の人々が多く住んでおり、ギリシャ正教の修道院やユダヤ教のシナゴーグが建っています。またローマの時代の建造物であるバビロン城も残され、この地には多くの宗教文化が混在しているのが特徴的です。

旧市街の中には、ハーン・アル=ハリーリという最も賑わうバザールがあり、活気に溢れています。さらにこの地域は1979年の世界遺産登録時に「イスラーム都市カイロ」という名称であったことからもわかるように、もともとはイスラム地区が当初の世界遺産の区域でした。シタデルと呼ばれる要塞をはじめ、多くのイスラムの建造物が存在します。このように、カイロ歴史地区では、古くからのイスラム文化とイスラム文化が流入する前の古い街並みの両方を見ることができるのが特徴的です。

カイロ歴史地区の主な建造物
建造物 説明
モスク 600を超えるモスクが存在する。
ミナレット 1000以上のミナレットが存在する。
バビロン城 ローマ時代の建造物。
ハーン・アル=ハリーリ 最も賑わうバザール。
シタデル 要塞。
ギリシャ正教の修道院 オールド・カイロに存在する。
ユダヤ教のシナゴーグ オールド・カイロに存在する。

カイロ歴史地区へのアクセス

カイロへは中東またはヨーロッパ経由でアクセスすることができます。成田からカイロまでの直行便も運航していますが、本数が少ないです。(2018年2月 現在)カイロ国際空港から市内まではバスかタクシーで30分から1時間。イスラム地区とオールド・カイロ内はほとんど徒歩で移動するこが可能です。

カイロへのアクセス
交通手段 説明
飛行機 成田からカイロまでの直行便も運航している。
バス カイロ国際空港から市内まで30分から1時間。
タクシー カイロ国際空港から市内まで30分から1時間。

まとめ

カイロ歴史地区は、エジプトの首都カイロにある世界遺産で、イスラム文化と古代の文化が融合した歴史的な街並みを有しています。オールド・カイロやイスラム地区など、様々な文化に触れることができる魅力的な場所です。

カイロ歴史地区は、ナイル川沿いのオールド・カイロと、旧市街と呼ばれるイスラム地区の2つのエリアから構成されています。オールド・カイロは、カイロで最も古い市街地であり、キリスト教やユダヤ教の文化が色濃く残っています。一方、イスラム地区は、イスラム文化の中心地であり、多くのモスクやミナレットが立ち並んでいます。

カイロ歴史地区は、世界遺産登録された歴史的な建造物だけでなく、活気のあるバザールや伝統的な工房なども魅力です。また、カイロ国際空港から市内へのアクセスも比較的容易で、観光客にとって便利な場所です。

2. カイロ歴史地区の歴史的背景

要約

古代エジプトからローマ時代

古代エジプトでは、ナイル川をはさんで西側にあるギザにはピラミッドが築かれたり、カイロの南側20kmぐらいにあるメンフィスは首都として栄えた歴史があります。一方、カイロは、ファラオの時代に東に伸びる運河が築かれ地中海~ナイル川~カイロ~運河~紅海というルートの中継地であったり、現在、オールド・カイロと呼ばれる地区にローマ時代にトラヤヌス帝がバビロン要塞を築いたり、キリスト教成立直後からキリスト教が普及しキリスト教会が建てられたりしました。

古代エジプトからローマ属州時代は、ヘリオポリスが近郊にあったが、カイロ自体はナイルデルタの湿地帯に小規模の集落が点在するだけの未開地だった。定住者が少なかったこともあって、イスラム帝国侵攻前の時代の遺跡はほとんど見つかっていない。ナイル川対岸の西側のギーザ台地には三大ピラミッドが築かれているが、そのギーザも古王国時代の終焉とともにピラミッド信仰も衰退していったため、エジプト新王国時代には廃墟となっていた。

アケメネス朝の時代に現在のバビロン城のあるところに砦が築かれたとの説(ヨセフス)もあるが、ローマ帝国のアウグストゥスの時代に3つの軍団の司令部が置かれた(史料:It. Anton.(英語版); Georg. Ravenn. etc.) 。ローマの支配時代を通じて、バビロン城に軍団が駐屯し、現在でも遺跡が残っている。

古代エジプトからローマ時代のカイロ
時代 説明
古代エジプト ギザのピラミッド建設、メンフィスの繁栄。カイロは運河の中継地として発展。
ローマ時代 トラヤヌス帝がバビロン要塞を建設。キリスト教が普及し教会が建てられる。
ローマ帝国 バビロン城に軍団が駐屯。

イスラム帝国の侵攻とフスタートの建設

639年からイスラム帝国の侵攻がはじまり、643年(641年?)にバビロン要塞の近くに「フスタート」という軍事都市が築かれます。カイロのイスラム化のはじまりであり、エジプトの首都機能のはじまりです。その後、支配者は移り変わりますが、ナポレオンのエジプト遠征まで、カイロはイスラム王朝の支配下にあったり首都として機能しましたました。

イスラム帝国の将軍アムル・イブン・アル=アースは、639年にエジプトへの侵攻を開始して東ローマ帝国の駐留軍を破り、643年にローマ軍の駐屯都市バビュロンの近くにアラブによるエジプト支配の拠点として軍営都市を築き、「フスタート」の名を与えた。フスタートは現在カイロ市内の一部となっている地区である。初代エジプト総督となったアムルはフスタートの建設を進めるとともに、エジプトに灌漑施設を建設するなど支配の構築に努め、フスタートはその後、ファーティマ朝時代まで一貫してエジプトの首府の地位を保つこととなった。フスタートはその後、ウマイヤ朝、アッバース朝のエジプト州治所となった。

7世紀のアッバース朝時代にはフスタートの北部にアスカルという新しい町を築き、ここがアッバース朝のエジプト支配の拠点となった。

イスラム帝国の侵攻とフスタートの建設
時代 説明
7世紀 イスラム帝国の侵攻開始。バビロン要塞の近くにフスタートという軍事都市が建設される。
7世紀 フスタートはエジプトの首都となる。
7世紀 フスタートはウマイヤ朝、アッバース朝のエジプト州治所となる。
7世紀 フスタートの北部にアスカルという新しい町が建設される。

ファーティマ朝の台頭とカイロの建設

10世紀に現在のチュニジアで成立したファーティマ朝(969〜1171年)によって征服されると、フスタートの北側に「ミスル・アル=カーヒラ(勝利者の軍事都市)」を建設し、ここを新都としました。これがカイロの原型であり、イスラム世界の政治、経済、文化の中心地へとなっていくのです。今でも残るアル=アズハル大学はこの頃に設立され、ここは学問と芸術の中心都市でもありました。

9世紀に入るとアッバース朝は弱体化が顕著になり、868年にはトゥールーン朝が事実上独立してフスタートに首都を置いた。トゥールーン朝始祖のアフマド・イブン=トゥールーンは870年にはアスカルのさらに北にカターイーの町を築き、イブン=トゥールーン・モスクを建設した。その後トゥールーン朝は弱体化して905年には再びアッバース朝に征服されたものの、既にアッバース朝に昔日の勢いはなく、935年には再び半独立のイフシード朝の首都となった。

フスタートは、969年に現在のチュニジアに興ったシーア派(イスマーイール派)のファーティマ朝の送り込んだ遠征軍の将軍ジャウハルによって征服された。ジャウハルはフスタートの北3km郊外の地点(カターイーの北)に新たに「勝利の町」を意味する「ミスル・アル゠カーヒラ」の名をもち、ファーティマ朝のカリフが住む宮殿と、イスマーイール派の学術センターとして建設されたアズハル・モスクを中心に1km四方の方形の城壁を備えた新都を建設した。以来、カイロはファーティマ朝200年の首都となるが、この時点ではカイロには政治機能しか与えられておらず、紅海と地中海をつなぐ中継貿易の拠点としての経済機能は依然として旧市フスタートに残されていた。政治都市の方は、カーヒラ(カイロ)と呼ばれ、経済都市フスタートの方はミスルと呼ばれるようになった(元々フスタートもミスルと呼ばれていた)。

6代カリフのハーキムは奇矯な行動で知られる一方で学問を奨励し、光学のイブン・アル・ハイサムなどの優れた学者を輩出して、イスラム科学にカイロ学派と呼ばれる一時代を築いた。

ファーティマ朝の台頭とカイロの建設
時代 説明
10世紀 ファーティマ朝がフスタートを征服。ミスル・アル=カーヒラ(勝利者の軍事都市)を建設。
10世紀 カイロはファーティマ朝の首都となる。
10世紀 アズハル大学が設立される。
12世紀 ファーティマ朝は混乱を極め、十字軍にも有効な手が打てなかった。
12世紀 ファーティマ朝はエルサレム王国に貢納することで平和をあがなった。
12世紀 エルサレム王国のアモーリー1世軍がエジプトに侵攻。フスタートは焦土戦術によって破壊される。
12世紀 ザンギー朝の部将シールクーフがカイロに入城。
12世紀 シールクーフの急死後、甥のサラーフッディーンが実権を握る。

まとめ

カイロの歴史は、古代エジプトからイスラム帝国の支配、そしてファーティマ朝の台頭とカイロの建設という流れで発展してきました。古代エジプトの文化とイスラム文化が融合した独特の歴史を持つカイロは、イスラム世界の政治、経済、文化の中心地として発展し、現在もその影響力を持ち続けています。

カイロは、古代エジプトの文化とイスラム文化が融合した独特の歴史を持つ都市です。古代エジプトの遺跡やローマ時代の建造物、そしてイスラム帝国の支配によって建設されたフスタート、ファーティマ朝によって建設されたカイロなど、様々な時代の文化が重なり合って形成されてきました。

特に、ファーティマ朝によって建設されたカイロは、イスラム世界の政治、経済、文化の中心地として発展し、アズハル大学などの学術機関も設立されました。その後、アイユーブ朝、マムルーク朝と、様々な王朝がカイロを支配し、それぞれの時代の文化が街に刻み込まれていきました。

3. カイロ歴史地区の世界遺産登録について

要約

世界遺産登録の経緯

カイロ歴史地区は、1979年に「イスラーム都市カイロ」として世界遺産に登録されました。登録基準は、(i) 人類の創造的才能を表す傑作、(v) ある文化圏または複数の文化圏における建築、技術、記念碑、都市計画、景観の相互作用において、重要な文化的価値を有する、(vi) 特定の期間または特定の文化圏において、建築、技術、記念碑、都市計画、景観の開発において、人類の価値観を表現する、の3つです。

2007年には、登録区域が拡大されるとともに「カイロ歴史地区」へと名称が変更されました。

世界遺産登録の経緯
内容
1979年 「イスラーム都市カイロ」として世界遺産に登録。
2007年 登録区域が拡大され、「カイロ歴史地区」と改名。

世界遺産登録の理由

カイロ歴史地区は、世界でも最も古いイスラム都市の一つで、14世紀には「1000のミナレットが立つ街」と称されるほどに黄金時代を迎えた都市であったということ。カイロは14世紀に1000のミナレットが立つ街とされるほどに当時の最先端の建築物が並ぶ街であり、現在の旧市街にはかつての栄光を感じさせるモスクやマドラサなど、さまざまな建造物が溶け込むように点在するということで評価されています。

カイロ歴史地区は、イスラム文化とイスラム文化が流入する前の古い街並みの両方を見ることができるのが特徴的です。そのため、世界遺産登録基準の(i) 人類の創造的才能を表す傑作、(v) ある文化圏または複数の文化圏における建築、技術、記念碑、都市計画、景観の相互作用において、重要な文化的価値を有する、(vi) 特定の期間または特定の文化圏において、建築、技術、記念碑、都市計画、景観の開発において、人類の価値観を表現する、の3つの基準を満たしています。

世界遺産登録基準
基準 説明
(i) 人類の創造的才能を表す傑作
(v) ある文化圏または複数の文化圏における建築、技術、記念碑、都市計画、景観の相互作用において、重要な文化的価値を有する
(vi) 特定の期間または特定の文化圏において、建築、技術、記念碑、都市計画、景観の開発において、人類の価値観を表現する

世界遺産登録による影響

世界遺産登録によって、カイロ歴史地区は世界的に注目される観光地となり、観光客の増加が見られました。また、世界遺産登録を機に、歴史的建造物の保存や修復が進められ、街の景観が保全されています。

しかし、観光客の増加は、一方で、街の環境問題や文化の商業化などの課題も生み出しています。そのため、世界遺産登録後も、持続可能な観光のあり方について、様々な議論がされています。

世界遺産登録による影響
影響 説明
観光客増加 世界的に注目される観光地となり、観光客の増加が見られた。
保存・修復 歴史的建造物の保存や修復が進められた。
課題 街の環境問題や文化の商業化などの課題も生み出している。

まとめ

カイロ歴史地区は、イスラム文化と古代の文化が融合した歴史的な街並みを有しており、世界遺産登録基準の(i) 人類の創造的才能を表す傑作、(v) ある文化圏または複数の文化圏における建築、技術、記念碑、都市計画、景観の相互作用において、重要な文化的価値を有する、(vi) 特定の期間または特定の文化圏において、建築、技術、記念碑、都市計画、景観の開発において、人類の価値観を表現する、の3つの基準を満たしています。

世界遺産登録によって、カイロ歴史地区は世界的に注目される観光地となり、観光客の増加が見られました。また、世界遺産登録を機に、歴史的建造物の保存や修復が進められ、街の景観が保全されています。

しかし、観光客の増加は、一方で、街の環境問題や文化の商業化などの課題も生み出しています。そのため、世界遺産登録後も、持続可能な観光のあり方について、様々な議論がされています。

4. カイロ歴史地区の主な観光スポット

要約

イスラム地区

イスラム地区は、カイロ歴史地区の中でも特に重要なエリアです。このエリアには、シタデルと呼ばれる要塞をはじめ、多くのイスラムの建造物が存在します。シタデルは、アイユーブ朝の創始者サラーフッディーン(サラディン)が十字軍の侵攻に対する拠点として1176年に建設した城塞です。19世紀まで使われていたそうです。ここには、複数のモスクがあるほか、現在、軍事博物館や警察博物館などがあります。丘の上にありますので、カイロ市街を一望することができます。

シタデル内には、ムハンマド・アリ・モスクやスレイマン・パシャ・モスク、軍事博物館などがありますが、そのほとんどはオスマン朝の時代に建てられたものです。シタデルの中でも最も巨大なモスクであるムハンマド・アリ・モスクは、エジプト最後の王朝ムハマンド・アリー朝を興したムハマンド・アリーにより、1830年から27年の長い年月をかけて建設されました。このムハマンド・アリーは、ナポレオンの侵略からエジプトを守り、エジプトの近代化に貢献した王として有名です。

イスラム地区には、他にもアズハル大学、イブン・トゥールーン・モスク、アル・フセイン・モスクなどがあります。アズハル大学は、970年にアズハル・モスクに付属するマドラサ(高等教育機関)として建設されました。名称は、預言者ムハマンドの娘であるファーティマ・アッ=ザフラーに由来し、「最も栄えある」という意味です。現在でもイスラム最古の大学として、さらにイスラム教の宗派のひとつであるスンニ派の最高教育機関として有名です。

イスラム地区の主な観光スポット
スポット 説明
シタデル アイユーブ朝の創始者サラーフッディーンが十字軍の侵攻に対する拠点として建設した城塞。
ムハンマド・アリ・モスク エジプト最後の王朝ムハマンド・アリー朝を興したムハマンド・アリーが建設したモスク。
スレイマン・パシャ・モスク オスマン朝の時代に建てられたモスク。
軍事博物館 シタデル内にある博物館。
アズハル大学 イスラム最古の大学。スンニ派の最高教育機関として有名。
イブン・トゥールーン・モスク カイロ最古のモスク。
アル・フセイン・モスク イスラム地区にあるモスク。

オールド・カイロ

オールド・カイロは、カイロ発祥の地ともいえる地域です。ローマ時代の遺構やイスラム教以前からこの地で信仰されていたキリスト教の教会などを見ることができます。ローマのトラヤヌス帝が西暦98年に建設を命じたというバビロン城壁の遺構を見ることができます。

オールド・カイロには、聖セルギウス教会、聖バルバラ教会、エル・ムアッラカ教会、ベン・エズラ・シナゴーグ、聖ゲオルギウス教会など、様々な宗教の建造物が存在します。聖セルギウス教会は、エジプトで最も古いコプト教会の一つで、幼いキリスト、マリア、ヨセフの聖家族がエジプトに逃れてきた際に身を隠したという洞窟・地下道の上に建てられているという言い伝えがあります。聖バルバラ教会は、初期コプト教会のバシリカ様式を受け継いだ構造が見られるのが特徴です。エル・ムアッラカ教会は、内部の装飾がとても美しい、聖母マリアに捧げられたコプト教の教会です。ベン・エズラ・シナゴーグは、エジプト最古のシナゴーグで、19世紀の修復の際に大量のゲニザ文書(ヘブライ文字アラビア語の記録文書)が発見され、古いユダヤ社会を知る上でとても貴重な資料になっているそうです。聖ゲオルギウス教会は、ギリシア正教の教会で、現在の建物は20世紀のものだそうですが、教会の起源は10世紀、あるいはそれ以前にさかのぼるようです。

オールド・カイロには、コプト博物館もあります。コプト博物館は、エジプト各地から発掘されたり寄贈されたコプトに関する遺物資料(イコン、聖書、絵画など)を収集し展示しています。

オールド・カイロの主な観光スポット
スポット 説明
バビロン城壁跡 ローマのトラヤヌス帝が西暦98年に建設を命じたというバビロン城壁の遺構。
聖セルギウス教会 エジプトで最も古いコプト教会の一つ。
聖バルバラ教会 初期コプト教会のバシリカ様式を受け継いだ構造が見られる教会。
エル・ムアッラカ教会 内部の装飾が美しい、聖母マリアに捧げられたコプト教の教会。
ベン・エズラ・シナゴーグ エジプト最古のシナゴーグ。
聖ゲオルギウス教会 ギリシア正教の教会。
コプト博物館 エジプト各地から発掘されたり寄贈されたコプトに関する遺物資料を展示している。

その他

カイロ歴史地区には、上記以外にも多くの観光スポットがあります。例えば、ハーン・ハリーリは、庶民も観光客も買い物するなんでもある巨大なスーク(市場)です。香辛料、水たばこ、装飾品、服、土産物などいろいろなものが並び、見てるだけで旅の気分が盛り上がります。

イブン・トゥールーン・モスクは、エジプトにトゥールーン朝を開いたアフマド・イブン・トゥールーンにより、879年に建造されました。カイロに現存するモスクとしては最も古く、また最も広いモスクでもあります。

スルタン・ハッサン・モスクは、1356年に着工され、1363に完成したモスクです。マムルーク朝建築を代表する建造物のひとつであり、カイロで最も高い80mのミナレットがあります。ミナレットを登ると、遠くにピラミッドを見ることができます。

その他の観光スポット
スポット 説明
ハーン・ハリーリ 庶民も観光客も買い物する巨大なスーク(市場)。
スルタン・ハッサン・モスク マムルーク朝建築を代表する建造物。カイロで最も高いミナレットがあり、ピラミッドを見渡せる。

まとめ

カイロ歴史地区には、イスラム地区とオールド・カイロの2つのエリアがあり、それぞれに魅力的な観光スポットが点在しています。イスラム地区には、シタデルやムハンマド・アリ・モスク、アズハル大学など、イスラム文化を象徴する建造物が多く存在します。

一方、オールド・カイロは、カイロで最も古い市街地であり、キリスト教やユダヤ教の文化が色濃く残っています。聖セルギウス教会や聖バルバラ教会、ベン・エズラ・シナゴーグなど、様々な宗教の建造物が存在し、歴史を感じることができます。

カイロ歴史地区には、これらの歴史的な建造物だけでなく、ハーン・ハリーリなどの活気のあるバザールや、イブン・トゥールーン・モスク、スルタン・ハッサン・モスクなどの美しいモスクも存在します。

5. カイロ歴史地区の文化と伝統

要約

イスラム文化

カイロ歴史地区は、イスラム文化の中心地であり、イスラム教の教えや伝統が生活の中に息づいています。街には、多くのモスクやミナレットが立ち並び、イスラム教徒は毎日、モスクで礼拝を行い、ラマダンなどの宗教的な行事を大切にしています。

イスラム文化は、建築、音楽、文学、料理など、様々な分野に影響を与えています。カイロ歴史地区には、イスラム建築の傑作と言われるモスクや、伝統的なアラブ音楽や文学を伝える場所が多く存在します。また、エジプト料理は、スパイスを効かせた肉料理や豆料理が特徴で、イスラム文化の影響を受けて発展してきました。

イスラム文化の影響
分野 説明
建築 モスクやミナレットなど、イスラム建築の傑作と言われる建造物が多く存在する。
音楽 伝統的なアラブ音楽が発展してきた。
文学 アラブ圏の文学作品が多く生まれた。
料理 スパイスを効かせた肉料理や豆料理など、独特の味が楽しめる。

コプト教文化

オールド・カイロは、コプト教徒が多く住む地域です。コプト教は、エジプトで独自に発展したキリスト教の一派で、古代エジプトの文化とキリスト教が融合した独自の文化を持っています。オールド・カイロには、コプト教の教会や修道院が数多く存在し、コプト教の文化に触れることができます。

コプト教徒は、エジプト社会の中で重要な役割を果たしており、彼らの文化は、カイロ歴史地区の文化の多様性を豊かにしています。

コプト教文化の特徴
特徴 説明
古代エジプトの文化とキリスト教の融合 独自の文化を持つ。
教会や修道院 オールド・カイロに数多く存在する。
エジプト社会における役割 重要な役割を果たしている。

ユダヤ教文化

オールド・カイロには、ユダヤ教のシナゴーグも存在します。ユダヤ教徒は、古代からエジプトに住んでおり、彼らの文化は、カイロ歴史地区の文化の多様性をさらに豊かにしています。

ベン・エズラ・シナゴーグは、エジプト最古のシナゴーグで、19世紀の修復の際に大量のゲニザ文書(ヘブライ文字アラビア語の記録文書)が発見され、古いユダヤ社会を知る上でとても貴重な資料になっています。

ユダヤ教文化の特徴
特徴 説明
古代からエジプトに住む カイロ歴史地区の文化の多様性を豊かにしている。
シナゴーグ オールド・カイロに存在する。
ゲニザ文書 古いユダヤ社会を知る上で貴重な資料。

まとめ

カイロ歴史地区は、イスラム文化、コプト教文化、ユダヤ教文化など、様々な文化が融合した場所です。それぞれの文化が、歴史的な建造物や伝統的な生活様式、そして人々の暮らしの中に息づいています。

カイロ歴史地区を訪れることで、これらの文化に触れ、エジプトの豊かな歴史と文化を深く理解することができます。

6. カイロ歴史地区の魅力を存分に楽しむためのポイント

要約

歴史と文化に触れる

カイロ歴史地区は、歴史と文化に触れることができる最高の場所です。様々な時代の建造物や遺跡、そして宗教施設を訪れ、エジプトの歴史と文化を体感しましょう。

特に、イスラム建築の傑作と言われるモスクや、古代エジプトの遺跡、そしてコプト教やユダヤ教の建造物を訪れることで、エジプトの歴史と文化を深く理解することができます。

歴史と文化に触れるためのポイント
ポイント 説明
歴史的な建造物 モスク、遺跡、教会、シナゴーグなどを訪れる。
宗教施設 イスラム教、コプト教、ユダヤ教などの宗教施設を訪れる。
博物館 エジプト考古学博物館など、歴史や文化に関する博物館を訪れる。

地元の人々と触れ合う

カイロ歴史地区は、地元の人々の生活を感じることができる場所です。ハーン・ハリーリなどのバザールを訪れ、地元の人々と触れ合い、エジプトの文化を体験しましょう。

地元の人々と交流することで、エジプトの文化をより深く理解することができます。また、地元の人々との触れ合いは、旅の思い出をより豊かなものにしてくれます。

地元の人々と触れ合うためのポイント
ポイント 説明
バザール ハーン・ハリーリなどのバザールを訪れる。
地元の人々との会話 積極的に地元の人々と会話をする。
伝統的な文化体験 伝統的な音楽やダンスを鑑賞する。

美味しい料理を楽しむ

カイロ歴史地区には、美味しいエジプト料理を楽しむことができるレストランや屋台がたくさんあります。コシャリやフェルフェラなどの伝統的な料理を味わったり、地元の人々が愛するカフェで休憩したりしましょう。

エジプト料理は、スパイスを効かせた肉料理や豆料理が特徴で、独特の味わいを楽しむことができます。地元の料理を味わうことで、エジプトの文化をより深く理解することができます。

美味しい料理を楽しむためのポイント
ポイント 説明
伝統的な料理 コシャリ、フェルフェラなどの伝統的な料理を味わう。
地元のカフェ 地元の人々が愛するカフェで休憩する。
屋台 屋台で地元の料理を味わう。

まとめ

カイロ歴史地区は、歴史、文化、そして食を楽しむことができる魅力的な場所です。歴史的な建造物を巡り、地元の人々と触れ合い、美味しい料理を味わうことで、エジプトの文化を満喫することができます。

カイロ歴史地区を訪れる際は、時間に余裕を持って、ゆっくりと街を散策することをおすすめします。

また、事前に観光ルートを計画したり、ガイドを雇ったりすることで、より効率的に観光を楽しむことができます。

参考文献

カイロ歴史地区 | アフリカ, エジプト

エジプトの首都カイロ発祥の地を巡る!世界遺産・カイロ歴史地区

カイロ歴史地区

エジプトの世界遺産「カイロ歴史地区」とは?世界遺産マニア …

カイロ歴史地区 | エジプト

カイロ歴史地区(カイロれきしちく)とは? 意味や使い方

エジプトはピラミッドだけじゃない、イスラーム建築とカイロ …

2021年 3月『メンフィスのピラミッド地帯』『カイロの歴史地区 …

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カイロ – Wikipedia

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世界遺産 カイロ歴史地区|ホットホリデー

カイロの歴史地区 | 世界遺産を学ぶ

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