要素 | 説明 |
---|---|
天守 | 姫路城のシンボル。地下1階、地上6階建てで、高さは約31.5m。 |
小天守 | 大天守の周りに3つあり、それぞれ東小天守、乾小天守、西小天守と呼ばれる。 |
菱の門 | 姫路城内で最大の門。安土桃山時代の意匠が施された豪華な造り。 |
西の丸 | 徳川家康の孫娘である千姫が、本多忠刻に嫁いだ際に造営された場所。 |
好古園 | 姫路城西御屋敷跡にある日本庭園。江戸の情緒あふれる池泉回遊式庭園。 |
姫路市立動物園 | 姫路城の敷地内にある動物園。100種類以上の動物を見ることができ、ミニ牧場やミニ遊園地も併設。 |
姫路セントラルパークアクエリア | 西日本最大級のリゾートプール。流水プール、サーフィンダウンヒル、ロックプールなど多数のプールやスライダーが揃う。 |
男山八幡宮 | 姫路城の守護神として祀られている神社。厄除開運・武運長久・安産祈願のご利益で知られる。 |
姫路市立美術館 | 国の登録有形文化財であるレンガ造りの建物。郷土ゆかりの美術をはじめ、国内外の近現代美術の名品を収集。 |
兵庫県立歴史博物館 | 姫路城跡内に開館した博物館。兵庫の歴史のほか、城や祭り、子ども文化について学ぶことができる。 |
播磨国総社 射楯兵主神社 | 地元では「総社さん」と呼ばれ親しまれている神社。射楯大神(緑化自然の神様)と兵主大神(縁結びの神様)をご祭神としてお祀り。 |
姫路文学館 | 姫路を中心とした作家や学者の資料を収集・展示する文学館。日本を代表する建築家・安藤忠雄氏による設計。 |
大手前通り | JR姫路駅から姫路城前交差点へと続くメインストリート。姫路名物やご当地グルメを購入できるお店がたくさん集まる。 |
姫路市立水族館 | 播磨地方の水辺にすむ生きものを展示・紹介する水族館。ウミガメやペンギン、ヌートリアなどを見ることができる。 |
姫路市埋蔵文化財センター | 姫路市内にある埋蔵文化財を整理・調査・研究、展示・公開する施設。 |
廣峯神社 | 陰陽道の祖である吉備真備公によって建立された神社。かつて陰陽師たちの聖地としてもにぎわっていた。 |
太陽公園 | 世界の名所を再現したテーマパーク。世界の石の文化や建築物、モアイ像、万里の長城などを見学できる。 |
日本玩具博物館 | 日本をはじめ、世界160の国と地域の玩具資料、約9万点を所蔵する私立博物館。 |
1. 姫路城の歴史
姫路城の始まり
姫路城の始まりは、1346年(南朝:正平元年、北朝:貞和2年)の赤松貞範による築城とする説が有力で、『姫路城史』や姫路市ではこの説を採っています。一方で赤松氏時代のものは砦や館のような小規模なもので、城郭に相当する規模の構築物としては戦国時代後期に西播磨地域で勢力を持っていた小寺氏[注釈 3]の家臣、黒田重隆・職隆父子による築城を最初とする説もある[16]。
戦国時代後期から安土桃山時代にかけて、黒田氏や羽柴氏が城代になると、山陽道上の交通の要衝・姫路に置かれた姫路城は本格的な城郭に拡張され、関ヶ原の戦いの後に城主となった池田輝政によって今日見られる大規模な城郭へとさらに拡張されました[15]。
江戸時代には姫路藩の藩庁となり、更に西国の外様大名監視のために西国探題が設置されました[15]。城主が幼少・病弱・無能では牽制任務を果たせないので、大名が頻繁に交替して城主に成っている。池田氏に始まり譜代大名の本多氏・榊原氏・酒井氏や、親藩の松平氏が配属され、池田輝政から明治新政府による版籍奉還時の酒井忠邦まで約270年間、城主は6氏31人(赤松氏から数えると約530年間、13氏48人[17])が務めた。
明治時代初期に陸軍省の管理下に入ったが、まもなく民間に払い下げとなり、競売で23円50銭で落札されたが、その後に権利が放棄されたらしく、国有に戻っている[18]。その後は陸軍兵営地となり歩兵第10連隊の駐屯地として使用され、兵舎増築のため本城、向屋敷、東屋敷等が撤去された[19]。年を経るごとに腐朽が進んでいたが、陸軍の中村重遠工兵大佐の働きかけによって大小天守群・櫓群などを名古屋城とともに保存する処置が取られ、その後また腐朽が進むと市民の間から衆貴両院に修復工事の陳情が行われ、議会の決議により国費9万円をもっての「明治の大修理」が行われた[2][20]。
築城年 | 城主 | 備考 |
---|---|---|
1346年 | 赤松貞範 | 最初の築城。砦のような規模 |
1555年~1561年 | 黒田重隆・職隆 | 本格的な城郭に拡張 |
1580年 | 羽柴秀吉 | 天守を持つ近世城郭に改築 |
1601年~1609年 | 池田輝政 | 現在の規模に拡張 |
1617年 | 本多忠政 | 西の丸を整備 |
1749年 | 酒井忠恭 | 以後、酒井氏が10代に渡って城主を務める |
1874年 | 陸軍省 | 軍事施設として利用 |
1914年 | 姫路市 | 一般公開開始 |
1993年 | 世界遺産登録 | 日本初の世界文化遺産に登録 |
明治時代以降の姫路城
この大修理を機に市民の間から陸軍省から姫路市への払い下げと城を公開することを求める声が強まり、姫路市会の決議を経て1914年(大正3年)に、軍用地を除き姫路市への無償払い下げが決定し、公開されることなった[21]。
史蹟名勝天然紀念物保存法に基づき1927年(昭和2年)には姫路城は史跡に指定され、1931年(昭和6年)に姫路城天守閣が国宝指定を受けた[22]。太平洋戦争中には姫路も2度の空襲被害があったものの、大天守最上階に落ちた焼夷弾が不発弾となる幸運もあり奇跡的に焼失を免れ、現在に至るまで大天守をはじめ多くの城郭建築の姿を残している。
「昭和の大修理」を経て、姫路公園の中心として周辺一帯も含めた整備が進められ、祭りや行事の開催、市民や観光客の憩いの場になっているほか、戦国時代や江戸時代を舞台にした時代劇などの映像作品のロケーション撮影が行われることも多く、姫路市の観光・文化の中核となっている。姫路市は2021年12月、ふるさと納税で3000万円以上を寄付した人への返礼として49人目の「城主」として迎えるプランを発表し、2022年3月19日に専用ヘリコプターでの入城して「永久入城権」を受け取るなどするイベントが開催された[17]。また、明治時代に焼失、解体された、三の丸御殿、櫓、門、土塀の木造復元計画があるが予算の関係で進んでいない。
姫路城天守の置かれている「姫山」は古名を「日女路(ひめじ)の丘」と称した。『播磨国風土記』にも「日女道丘(ひめじおか)」の名が見られる[23]。ここでは大汝命(大国主命)の船を火明命が嵐で転覆させた際に積み荷の中から蚕子(ひめこ)が流れ着いたのが山の名の由来とされる。のちに「姫道」を経て「姫路」となった[24]。『播磨国風土記』が再発見されるまでは、他戸親王の娘・富姫に由来するなどと言われていた[25]。
時代 | 城主 | 備考 |
---|---|---|
江戸時代 | 池田氏、本多氏、榊原氏、酒井氏、松平氏など | 西国の外様大名監視のため、頻繁に入れ替わる |
明治時代 | 陸軍省 | 軍事施設として利用 |
大正時代 | 姫路市 | 一般公開開始 |
姫路城の別名
姫山は桜が多く咲いたことから「桜木山」、転じて「鷺山(さぎやま)」とも言った[26]。天守のある丘が姫山、西の丸のある丘が鷺山とすることもある[27]。万葉集巻9・1776に『絶等寸(たゆらぎ)の山の峰の上の桜花咲かむ春へは君し偲はむ(播磨娘子より石川大夫への歌)』とあるが、井上通泰[28]や金子元臣[29]はこのたゆらぎの山を姫山のこととする。『姫路城史』の著者・橋本政次[注釈 4][30][26]や『姫路市史(1919年)』[31]はさらに「絶等寸」をサクラギ(桜木)と訓ずるべきと論じる。一方で吉田金彦は「姫路」は「日村道(ひむれじ)」すなわち「日数のかかる村道、日数を重ね隔てた遠い村への道」が元に[32]、「絶等寸山」は西の丸のある鷺山でタユラギは「タユヒ(手結、袖口を結ぶこと)」と「(スメラギの)ラキ(~の男)」を合わせた「古代の共同労働集団の統括者」という説を提示している[33]。
橋本政次『姫路城の話』では、別名「白鷺城(はくろじょう)」の由来として、推論も含め、以下の4説が挙げられている[34]。
白鷺城は「はくろじょう」の他に「しらさぎじょう」とも読まれることがあり[注釈 5]、村田英雄の歌曲に『白鷺(しらさぎ)の城』というものもある。これに対し、前出の橋本は漢学的な名称であることから、「しらさぎじょう」という読みを退け、「はくろじょう」を正しい読みとしている[34]。現在は、『日本歴史大事典』(小学館)、『もういちど読む山川日本史』(山川出版社)のように「しらさぎじょう」の読みしか掲載していないもの、『日本史事典』三訂版(旺文社)、『ビジュアルワイド 日本名城百選』(小学館)のようにどちらかを正しいとせずに「はくろじょう」「しらさぎじょう」を併記しているものなども見られる。姫路市内では市立の白鷺(はくろ)小中学校のように学校名に使用されたり、小中学校の校歌でも「白鷺城」または「白鷺」という言葉が使われていることが多い[注釈 6]。戦前の姫路市内の尋常小学校で歌われていた『姫路市郷土唱歌』の歌詞にも「白鷺城」や「池田輝政(三左衛門)」などが使われている。
他にも以下のような別名がある。
別名 | 由来 |
---|---|
白鷺城 | 白い漆喰で覆われた外観が、白鷺が羽を広げたように見えることから |
姫山城 | 姫山に築かれたことから |
鷺山城 | 姫山を鷺山と呼ぶことから |
まとめ
姫路城は、1346年に赤松貞範が築城したとする説が有力ですが、戦国時代後期に黒田重隆・職隆父子によって城郭に相当する規模の構築物が築かれたとする説もあります。
戦国時代後期に羽柴秀吉が城主になると、姫路城は本格的な城郭へと拡張され、関ヶ原の戦いの後に城主となった池田輝政によって現在の規模へと拡張されました。
江戸時代には姫路藩の藩庁となり、西国の外様大名監視のために西国探題が設置されました。城主は頻繁に入れ替わり、池田氏に始まり、本多氏、榊原氏、酒井氏、松平氏など、6氏31人が城主を務めました。
明治時代初期に陸軍省の管理下に入った姫路城は、その後、市民の働きかけによって陸軍省から姫路市へ払い下げられ、一般公開されるようになりました。太平洋戦争中の空襲を免れ、現在に至るまで大天守をはじめ多くの城郭建築の姿を残しています。
2. 姫路城の建築様式
姫路城の構造
播磨平野西部の夢前川と市川に挟まれた内陸部にある姫山と鷺山の地形を利用して建築された。東西に西国街道、南北に飾磨街道・野里街道が通っており、南に飾磨津(姫路港)があり交通・物流が盛んである。
平山城で、天守のある姫山と西の丸のある鷺山を中心として、その周囲の地形を利用し城下町を内包した総構え(内曲輪は東西465m南北543m、外曲輪は東西1418m南北1854m)を形成している。堀は姫山の北東麓を起点にして左回りに城北東部の野里まで総延長約12.5kmあり、内堀で囲んだ1周目は内曲輪、中堀で囲んだ2周目は中曲輪、外堀で囲んだ3周目は外曲輪といい、3重の螺旋を描くような曲輪構造で渦郭式縄張を形成している(内曲輪だけに注目すると階郭式)。しかし外堀は城北部の野里で不完全に終わり最後まで閉じていないため姫路城の総構えの欠点になっているが何かと対策を取っていた形跡が見られる。これは輝政が城郭を大規模に整備する頃に城東部の野里周辺で力を持っていた芥田氏に対して強硬な行動を取る事が出来なかったためと推測されている。この欠点を補うために榊原時代に城の守備について描かれた『姫路城防備布陣図』には有事の際に堀を掘る計画が示されている[93]。
1992年(平成4年)、昭和時代から空堀になっていた東部中堀を整備し水堀に戻した(1998年(平成10年)と2007年(平成19年)には北部中堀も整備)。堀の水は船場川から取水していて、現代ではポンプを使用して約5日間で循環するようになっている[94]。
各曲輪を仕切る門が以下の通り置かれた。
曲輪 | 説明 |
---|---|
内曲輪 | 天守、櫓、御殿など城の中枢 |
中曲輪 | 武家屋敷などの武家地 |
外曲輪 | 町人地や寺町などの城下町 |
姫路城の縄張
大まかには、内曲輪は天守・櫓・御殿など城の中枢、中曲輪は武家屋敷などの武家地、外曲輪は町人地や寺町などの城下町が置かれた。これらの多くが城郭の内にあり、江戸時代の日本では数少ない城郭都市を構成していた。このような総構えは他に江戸城や小田原城などの例がある。明治維新以後の陸軍設置や近代化で堀の埋め立てや建造物の破壊が行われたが、中曲輪・外曲輪は堀と石垣の一部が残っているほか、国道372号に竹の門交差点、野里街道沿いに野里門郵便局といった形で門の名前が残っている。外曲輪の南側は山陽本線姫路駅付近にまで達している。1888年(明治21年)に外曲輪の外堀南側に姫路駅が作られ、そこを通る形で山陽鉄道(山陽本線の前身)が敷設された。
内曲輪以内の面積は23ha、外曲輪以内の面積は233haとなっている[14]。現在では内曲輪の範囲が姫路城の範囲として認識されている。
輝政による築城はちょうど関ヶ原の戦いと大坂の陣の間であり、ゆえに極めて実戦本位の縄張となっている。同時に優美さと豪壮さとを兼ね備えた威容は、「西国将軍」輝政の威を示すものでもある。姫路城以降は慶長20年(1615年)の江戸幕府による一国一城令(同年閏6月13日)や武家諸法度(同年7月)によって幕府の許可なく新たな築城や城の改修・補修ができなくなったこともあり、一大名のもので姫路城に続くほどの規模の城は建築されていない。
石垣の積み方や加工の詳細は石垣の積み方を参照。
縄張 | 説明 |
---|---|
渦郭式縄張 | 内堀、中堀、外堀の3重の螺旋を描くような曲輪構造 |
階郭式縄張 | 内曲輪だけに注目すると、階層状に配置された構造 |
姫路城の瓦
建物や塀の屋根に用いられている鬼瓦や軒丸瓦などには、その瓦を作った時の城主の家紋が意匠に使用されており、池田氏の揚羽蝶紋、羽柴(豊臣)氏の桐紋、本多氏の立ち葵紋などがよく見られる。家紋の他には、桃の実(カの櫓、への渡櫓)、銀杏(井郭櫓)、小槌(への門)、波頭と十字[注釈 12](にの門)などが意匠に使用されている。また軒平瓦に滴水瓦が使用されているのは現存城郭では姫路城だけである[99]。大天守に使われている瓦は昭和の大修理時に集計した約8万枚とされてきたが平成の修理時に再集計したところ1割ほど少ない約7万5000枚であることが分かった[100]。姫路市城周辺整備室では昭和の大修理での数字は葺き直した瓦の枚数ではなく取り外した枚数ではないかと推測している。
天守以外の櫓の屋根にも鯱が載せられている。
城壁には狭間(さま)という射撃用の窓が総数997個[102](往時は城郭全体で数千とも[注釈 13])残っており、開口部の内側と外側に角度を付けることで敵を狙いやすく、敵には狙われにくくしている。また城壁を折り曲げて設置している箇所では死角がより少なくなる。形は丸・三角・長方形の穴が開いており長方形のものが「矢狭間」、ほかが「鉄砲狭間」である。長方形の狭間はほかの城にもよく見られるが、さまざまな形の狭間をアクセントとして配置してあるのは独特である。狭間は姫路市内においても公共施設のデザインに組み込まれている[注釈 14]。さらに天守の壁に隠した隠狭間[注釈 15]、門や壁の中に仕込まれた石落としなど、数多くの防御機構がその優美な姿の中に秘められている。大天守と小天守を繋ぐ渡櫓、小天守同士を繋ぐ渡櫓の各廊下には頑丈な扉が設けられ、大天守、小天守それぞれ独自に敵を防ぎ、籠城できるように造られている。
城主の居館は当初、天守台の下にある本丸にあって「備前丸」といった。これは池田輝政の所領備前国にちなむ名である。しかし、備前丸も山上で使いづらいため、本多忠政は三の丸に本城と称する館を建てて住んだ。以降の城主は本城、あるいは中曲輪の市の橋門内の西屋敷に居住している。徳川吉宗の時代の城主・榊原政岑が吉原から高尾太夫を落籍し住まわせたのもこの西屋敷である。西屋敷跡およびその一帯は現在では姫路城西御屋敷跡庭園「好古園」として整備されている。
瓦 | 説明 |
---|---|
鬼瓦 | 屋根の両端につけられる飾り。城主の家紋が意匠に使用されている場合がある。 |
軒丸瓦 | 屋根の軒先につけられる飾り。城主の家紋が意匠に使用されている場合がある。 |
滴水瓦 | 軒平瓦につけられる、雨水を落とすための瓦。現存城郭では姫路城だけ。 |
まとめ
姫路城は、姫山と鷺山を中心とした地形を利用して築かれた平山城で、内曲輪、中曲輪、外曲輪の3重の螺旋を描くような曲輪構造で渦郭式縄張を形成しています。
内曲輪には天守や櫓群などの軍事と、御殿や屋敷などの政務の中枢が置かれ、城下町は外曲輪に位置していました。
姫路城の天守は、江戸時代のままの姿で現在まで残っている12の現存天守の一つで、その中で最大の規模を持つ、まさしく姫路の象徴といえる建物です。
姫路城は、石垣や堀以外のほとんどの建物が木造建築で、その配置や構造、装飾の美しさは世界屈指と評されています。
3. 姫路城の世界遺産登録
世界遺産登録の理由
1992年(平成4年)、日本は世界遺産条約を批准すると、世界遺産暫定リストに姫路城などを記載した。そして姫路城は最初に推薦された物件の一つとなり、1993年(平成5年)12月11日、法隆寺地域の仏教建造物とともに日本初の世界遺産(文化遺産)に登録された。後述するように、木造建築物であり抜本的な修理工事を経ている姫路城の登録は、文化財のオーセンティシティ(真正性、真実性)をどう評価するかという問題を改めて提起し、その後の世界遺産登録にも大きく影響した「奈良ドキュメント」成立につながった[90]。この年から石井幹子による夜間照明の演出が始まる[91]。令和5年から順次LED照明に切り替えられる。
この世界遺産登録を機に制定されたのが「平成中期保存修理計画」である。このときには大天守の修理は昭和の大修理から50年を経て別途検討することとなっていたが、その後の破損などを踏まえて計画が前倒しされ、2009年(平成21年)から2015年(平成27年)に姫路城大天守保存修理工事が行われることとなった。これがいわゆる「平成の大修理」である[92]。
この世界遺産は世界遺産登録基準のうち、以下の条件を満たし、登録された(以下の基準は世界遺産センター公表の登録基準からの翻訳、引用である)。
なお、上述の通り、ICOMOSの勧告の時点では封建制の象徴という側面も評価されており、それによる基準 (3) の適用が勧告されていたが[250]、正式登録では採用されなかった。
基準 | 説明 |
---|---|
(i) | 人間の創造的才能を表す傑作である。 |
(iv) | 歴史上の重要な段階を物語る建築物、その集合体、科学技術の集合体、あるいは景観を代表する顕著な見本である。 |
オーセンティシティ問題
かつて、世界遺産登録に際してのオーセンティシティ(真正性、真実性)の評価はヴェネツィア憲章に基礎を置いていた[255]。しかし、その概念はヨーロッパに多く見られる「石の文化」にはよく当てはまるが、解体修理を行う日本的な「木の文化」を正当に評価できない恐れがあった[255]。日本の条約締約および姫路城・法隆寺の推薦・登録は、その再検討の必要性を世界遺産委員会に認識させることになったのである[251]。それが翌年の世界文化遺産奈良コンファレンスの開催、およびそこで採択された「オーセンティシティに関する奈良ドキュメント」(真実性に関する奈良文書)に繋がった[251]。これは、アジア、アフリカの文化遺産登録にとってきわめて重要な意義を持つことになった文書である[256]。
なお、姫路市では世界遺産条約採択40周年記念事業の一環として、2012年に奈良ドキュメント見直しを視野に入れて、オーセンティシティと現実社会の関連を討議する国際会議「姫路会合」が開かれた[257]。
姫路城は、世界遺産登録基準のうち、以下の条件を満たし、登録された(以下の基準は世界遺産センター公表の登録基準からの翻訳、引用である)。
なお、上述の通り、ICOMOSの勧告の時点では封建制の象徴という側面も評価されており、それによる基準 (3) の適用が勧告されていたが[250]、正式登録では採用されなかった。
ポイント | 説明 |
---|---|
美的完成度 | 日本の木造建築の中で美的完成度が高く、世界的に見ても優れている。 |
保存状態 | 天守を初め、櫓、土塀、石垣などの17世紀初頭の建築様式が良い状態で保存されている。 |
城郭構造 | 当時の日本の城郭構造を表している。 |
世界遺産登録後の姫路城
この世界遺産登録を機に制定されたのが「平成中期保存修理計画」である。このときには大天守の修理は昭和の大修理から50年を経て別途検討することとなっていたが、その後の破損などを踏まえて計画が前倒しされ、2009年(平成21年)から2015年(平成27年)に姫路城大天守保存修理工事が行われることとなった。これがいわゆる「平成の大修理」である[92]。
この世界遺産登録を機に制定されたのが「平成中期保存修理計画」である。このときには大天守の修理は昭和の大修理から50年を経て別途検討することとなっていたが、その後の破損などを踏まえて計画が前倒しされ、2009年(平成21年)から2015年(平成27年)に姫路城大天守保存修理工事が行われることとなった。これがいわゆる「平成の大修理」である[92]。
この世界遺産登録を機に制定されたのが「平成中期保存修理計画」である。このときには大天守の修理は昭和の大修理から50年を経て別途検討することとなっていたが、その後の破損などを踏まえて計画が前倒しされ、2009年(平成21年)から2015年(平成27年)に姫路城大天守保存修理工事が行われることとなった。これがいわゆる「平成の大修理」である[92]。
この世界遺産登録を機に制定されたのが「平成中期保存修理計画」である。このときには大天守の修理は昭和の大修理から50年を経て別途検討することとなっていたが、その後の破損などを踏まえて計画が前倒しされ、2009年(平成21年)から2015年(平成27年)に姫路城大天守保存修理工事が行われることとなった。これがいわゆる「平成の大修理」である[92]。
取り組み | 説明 |
---|---|
平成中期保存修理計画 | 2009年から2015年にかけて、大天守の保存修理工事が行われた。 |
オーセンティシティに関する奈良ドキュメント | 世界遺産登録に際して、日本の木造建築の価値を世界に認めさせただけでなく、世界遺産のオーセンティシティ(真正性、真実性)の評価基準の見直しにも貢献した。 |
まとめ
姫路城は、1993年に法隆寺とともに日本で初めて世界遺産に登録されました。
登録された理由は、日本の木造建築の中で美的完成度が高く、世界的に見ても優れていることと、17世紀初頭の城郭建築の最盛期に築かれた城郭構造が良好に保存されていることです。
世界遺産登録後も、2009年から2015年にかけて「平成の大修理」が行われ、現在も多くの観光客で賑わっています。
姫路城の世界遺産登録は、日本の木造建築の価値を世界に認めさせただけでなく、世界遺産のオーセンティシティ(真正性、真実性)の評価基準の見直しにも貢献しました。
4. 姫路城の見どころ
大天守
姫路城のシンボルである大天守は、地下1階、地上6階建てで、高さは約31.5mあります。
大天守の周りには、東小天守、乾小天守、西小天守の3つの小天守があり、渡櫓で結ばれています。
大天守の内部では、武具掛けや石落としなど、戦を意識した仕掛けを見学できます。
最上階には刑部神社があり、宮本武蔵や池田輝政にまつわる伝説が残っています。
階層 | 見どころ |
---|---|
地下1階 | 籠城に備えた流し台 |
地上1階 | 武具掛け、石落とし |
地上2階 | 武具掛け、石落とし |
地上3階 | 心柱の継ぎ目 |
地上6階 | 刑部神社、展望台 |
最上階 | 展望台 |
菱の門
姫路城内で最大の門である菱の門は、安土桃山時代の意匠が施された豪華な造りです。
菱の門の手前で道が直角に曲がっており、敵の勢いを落としたところで、上から攻撃する仕組みになっています。
菱の門は、城の防衛を意識した造りでありながら、美しい外観も持ち合わせています。
菱の門は、姫路城の象徴的な門の一つであり、多くの観光客が訪れます。
見どころ | 説明 |
---|---|
安土桃山時代の意匠 | 豪華な造り |
防御機構 | 敵の勢いを落とすための構造 |
菱の紋 | 冠木にある菱の紋が由来 |
西の丸
西の丸は、徳川家康の孫娘である千姫が、本多忠刻に嫁いだ際に造営された場所です。
西の丸には、女中が控えたとされる長局(百閒廊下)や化粧櫓があります。
千姫は、長局から男山に建立した天満宮を拝んだと言われています。
現在は、姫路城の歴史に関する品々が展示されています。
見どころ | 説明 |
---|---|
長局(百閒廊下) | 女中が控えたとされる廊下 |
化粧櫓 | 千姫が休息所としていた場所 |
歴史に関する展示 | 姫路城の歴史に関する品々が展示されている |
まとめ
姫路城の見どころは、大天守、菱の門、西の丸など、歴史と文化を感じられる場所がたくさんあります。
大天守は、地下1階から6階まであり、最上階からは姫路の街を一望できます。
菱の門は、安土桃山時代の意匠が施された豪華な門で、城の防衛を意識した造りになっています。
西の丸は、千姫が過ごした場所であり、歴史を感じることができます。
5. 姫路城の周辺情報
姫路市立動物園
姫路城の敷地内にある「姫路市立動物園」は、キリン、シマウマ、レッサーパンダなどのほ乳類から、ペンギンやフラミンゴなどの鳥類、ヘビやカメなどのは虫類など、100種類ほどの動物がいます。
さらにミニ牧場やミニ遊園地も併設しているので、モルモットやヤギ、ヒツジなどの動物たちと触れ合ったり、モノレールやティーカップなどレトロな乗り物も楽しめたりできますよ。
見どころ遊びどころが盛りだくさんで、入園料はなんと大人210円、子ども30円ととてもリーズナブル!
子どもから大人まで一日中過ごせるスポットです。
動物 | 説明 |
---|---|
キリン | 首が長い動物 |
シマウマ | 縞模様の動物 |
レッサーパンダ | 愛らしい動物 |
ペンギン | 南極に生息する鳥 |
フラミンゴ | ピンク色の鳥 |
ヘビ | 爬虫類 |
カメ | 爬虫類 |
モルモット | 小動物 |
ヤギ | 小動物 |
ヒツジ | 小動物 |
姫路城西御屋敷跡庭園 好古園
「好古園」は姫路城内にある日本庭園です。
西御屋敷跡、武家屋敷跡などの遺構をそのまま生かして造られた池泉回遊式庭園で、趣の異なる大小9つの日本庭園から構成されています。
江戸の情緒あふれる佇まいは、時代劇や大河ドラマのロケ地としても使われているので、テレビなどで目にした方は多いのではないでしょうか。
四季によって姿を変える風光明媚な庭園内をゆっくり見て歩くと、まるで心が洗われるよう。また園内には茶室やレストランがあります。御屋敷の庭を眺めながら、優雅に過ごすことができますよ。
庭園 | 説明 |
---|---|
池泉回遊式庭園 | 池や泉を巡りながら散策できる庭園 |
9つの庭園 | 趣の異なる庭園が9つあり、それぞれに特徴がある。 |
茶室 | 庭園を眺めながらお茶を楽しむことができる。 |
レストラン | 庭園を眺めながら食事を楽しむことができる。 |
姫路セントラルパークアクエリア
サファリパーク、遊園地、スケートリンク、そしてプールから構成される広大なレジャー施設「姫路セントラルパーク」。
アクエリアは、その中でも西日本最大級のリゾートプールが楽しめるエリアです。
流水プールや遠浅の渚プールのほか、サーフマットで滑り下りるサーフィンダウンヒルや階段状のロックプール、チューブで滑るロッキーリバーランなど多数のプールやスライダーがそろい、子どもから大人まで思い切り遊ぶことができます。
特にキッズ向けプール「パイレーツキッズアクエリア」は、頭上にあるバケツから大量の水が流れ落ち、至るところで水が噴き出すなどワクワク感満載。子どもから大人気のアトラクションです。
プール | 説明 |
---|---|
流水プール | 流れるプール |
渚プール | 遠浅のプール |
サーフィンダウンヒル | サーフマットで滑り下りるスライダー |
ロックプール | 階段状のプール |
ロッキーリバーラン | チューブで滑るスライダー |
パイレーツキッズアクエリア | キッズ向けのプール。バケツから水が流れ落ちたり、水が噴き出したりする。 |
まとめ
姫路城周辺には、動物園、日本庭園、遊園地など、様々な観光スポットがあります。
姫路市立動物園は、100種類以上の動物を見ることができ、ミニ牧場やミニ遊園地も併設されているので、子ども連れでも楽しめます。
姫路城西御屋敷跡庭園 好古園は、江戸の情緒あふれる池泉回遊式庭園で、四季折々の美しい景色を楽しむことができます。
姫路セントラルパークアクエリアは、西日本最大級のリゾートプールで、子どもから大人まで楽しめる施設です。
6. 姫路城の今後の展望
姫路城の保存と活用
姫路城は、世界遺産として、今後もその歴史的価値と文化的な重要性を守りながら、次世代へと継承していくことが求められます。
そのため、姫路城では、定期的な修理やメンテナンス、そして最新の技術を活用した保存方法の研究開発などが行われています。
また、姫路城は、観光客だけでなく、地元住民にとっても大切な場所です。
姫路城では、地域住民との連携を強化し、イベントやワークショップなどを開催することで、姫路城への理解を深め、愛着を持ってもらうための取り組みを進めています。
取り組み | 説明 |
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定期的な修理 | 姫路城は、世界遺産として、今後もその歴史的価値と文化的な重要性を守りながら、次世代へと継承していくことが求められます。 |
最新の技術を活用した保存方法の研究開発 | 定期的な修理やメンテナンス、そして最新の技術を活用した保存方法の研究開発などが行われています。 |
地域住民との連携強化 | 姫路城は、観光客だけでなく、地元住民にとっても大切な場所です。 |
イベントやワークショップの開催 | 地域住民との連携を強化し、イベントやワークショップなどを開催することで、姫路城への理解を深め、愛着を持ってもらうための取り組みを進めています。 |
観光客への魅力向上
姫路城は、世界遺産として、国内外から多くの観光客が訪れます。
姫路城では、観光客の満足度を高めるために、様々な取り組みを行っています。
例えば、多言語対応の案内表示や音声ガイドの充実、イベントや体験プログラムの開催などです。
また、姫路城周辺の観光資源との連携を強化することで、観光客の滞在時間を長くし、姫路の魅力をより深く知ってもらうための取り組みも進めています。
取り組み | 説明 |
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多言語対応の案内表示 | 観光客の満足度を高めるために、様々な取り組みを行っています。 |
音声ガイドの充実 | 多言語対応の案内表示や音声ガイドの充実、イベントや体験プログラムの開催などです。 |
イベントや体験プログラムの開催 | 多言語対応の案内表示や音声ガイドの充実、イベントや体験プログラムの開催などです。 |
観光資源との連携強化 | 姫路城周辺の観光資源との連携を強化することで、観光客の滞在時間を長くし、姫路の魅力をより深く知ってもらうための取り組みも進めています。 |
地域活性化への貢献
姫路城は、世界遺産として、姫路市の観光産業の活性化に大きく貢献しています。
姫路城では、観光客の増加による経済効果だけでなく、地域住民の雇用創出や地域文化の振興にも貢献しています。
また、姫路城は、地域住民の誇りであり、愛着の対象です。
姫路城は、今後も地域住民と協力し、地域活性化に貢献していくことが期待されています。
取り組み | 説明 |
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観光客の増加による経済効果 | 姫路城は、世界遺産として、姫路市の観光産業の活性化に大きく貢献しています。 |
地域住民の雇用創出 | 姫路城では、観光客の増加による経済効果だけでなく、地域住民の雇用創出や地域文化の振興にも貢献しています。 |
地域文化の振興 | 姫路城では、観光客の増加による経済効果だけでなく、地域住民の雇用創出や地域文化の振興にも貢献しています。 |
地域住民との協力 | 姫路城は、地域住民の誇りであり、愛着の対象です。 |
まとめ
姫路城は、世界遺産として、その歴史的価値と文化的な重要性を守りながら、次世代へと継承していくことが求められています。
姫路城では、保存と活用、観光客への魅力向上、地域活性化への貢献など、様々な取り組みを進めています。
姫路城は、今後も地域住民と協力し、世界中の人々に愛される城であり続けるでしょう。
姫路城は、日本の歴史と文化を象徴する貴重な遺産であり、これからも多くの人々に感動を与え続ける存在です。
参考文献
・5分で分かる姫路城の歴史|いつ・誰が・何のために作ったの …
・兵庫県の世界文化遺産「姫路城」とは?建造した人物や見所 …
・姫路城の構造・特徴を簡単に解説!高さ何メートルで内部は何 …
・【姫路城】歴史や見どころは?日本初の世界遺産の魅力とは …
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