項目 | 内容 |
---|---|
歴史 | 紀元前3000年から続く長い歴史を持ち、様々な文明や勢力に支配されてきた。交易の中心地として栄え、同時に戦争や災害にも見舞われ、幾度となく破壊と復興を繰り返してきた。 |
文化遺産 | アレッポ城、アル=マディーナ・スーク、アレッポの大モスクなど、歴史的な建造物や施設が数多く存在する。 |
世界遺産登録 | 2013年に「危機にさらされている世界遺産」に登録された。シリア内戦の影響で、アレッポを含むシリアの世界遺産6ヶ所すべてが危機遺産に登録された。 |
観光名所 | アレッポ城、アル=マディーナ・スーク、アレッポの大モスクなど、歴史的な建造物や施設が数多く存在し、観光客を魅了してきた。 |
復興 | 2017年から復興が始まっているが、資金不足、治安不安、政治的な対立など、多くの課題に直面している。 |
特産品と食文化 | アレッポ石鹸などの特産品や、ケバブ、フムス、ファラフェルなどのアラブ料理など、豊かな食文化を持つ都市である。 |
1. 古都アレッポの歴史
アレッポの起源と古代文明
アレッポの歴史は古く、紀元前3000年には交易が行われていたとされています。紀元前2500年にはアッカド人の支配が始まり、紀元前1800年頃にはアムル人の支配下となり、ヤムハド王国の首都として栄えました。メソポタミアと地中海の東西ルートと、シリアからパレスティナからエジプトまでの南北ルートが交わる地点でもあり、当時ハラプ(Ḥalab)やハルペと呼ばれていました。
その後、アレッポはヒッタイト人、アラム人、アッシリア、カルデア、アケメネス朝など、様々な勢力に支配されました。紀元前333年にはマケドニア王国のアレクサンドロス3世に征服され、その後はセレウコス朝の都市となり、ベロエア(Beroia)と改称されました。セレウコス朝の支配は紀元前64年に共和政ローマの将軍グナエウス・ポンペイウスに征服されるまで続きました。
395年のローマ帝国の分裂以降はビザンツ帝国の領土となりましたが、636年にイスラームを信仰するアラブ人がビザンツ軍に勝利し、アレッポを征服しました。この占領においては城塞の保存、教会や家屋の所有権の保証を含む和平協定が結ばれ、アレッポはイスラーム王朝の地方都市となりました。
944年にはモースルのハムダーン朝に征服され首都となり、ビザンツ帝国のヨハネス1世ツィミスケスは974年から987年にかけてアレッポの支配権を取り戻しましたが、のちに再びハムダーン朝の支配下となりました。1025年から1080年にかけては短期間ながらミルダース朝の首都となりました。
時代 | 支配者 |
---|---|
紀元前2500年頃 | アッカド人 |
紀元前1800年頃 | アムル人 |
紀元前1500年頃 | ヒッタイト人 |
紀元前1000年頃 | アラム人 |
紀元前1200年 | アッシリア |
紀元前605年 | カルデア |
紀元前538年 | アケメネス朝 |
紀元前333年 | マケドニア王国(アレクサンドロス3世) |
紀元前64年 | 共和政ローマ |
636年 | アラブ人 |
944年 | ハムダーン朝 |
1025年~1080年 | ミルダース朝 |
1100年、1103年 | ビザンツ帝国 |
1183年 | アイユーブ朝 |
1260年 | モンゴル帝国(フレグ) |
1400年 | ティムール |
1517年 | オスマン帝国 |
十字軍とモンゴル帝国の侵略
12世紀に十字軍の侵攻が始まると、アレッポは前線となりました。神殿だった建築物は要塞化されてアレッポ城になり、アレッポは十字軍に2度包囲されましたが、陥落することはありませんでした。1183年にはアイユーブ朝を開いたクルド人将軍サラーフッディーンにより開城され、アイユーブ朝はヴェネツィア共和国などの諸国との貿易で利益をあげ、アレッポは繁栄しました。
しかし、マムルーク朝の時代に内紛が起き、その間にモンゴル帝国のフレグが1260年にアレッポを征服し、破壊と虐殺を行いました。フレグが建国したイルハン朝は後継争いが起き、バイバルスが率いるマムルーク朝がアレッポを再び支配下に置きましたが、アレッポは戦乱で人口が激減し、復旧までに1世紀かかりました。1400年にはティムールによる破壊も受けました。
15世紀までの東方の交易は、ダマスカスがアレッポに対して優位に立っていましたが、15世紀以降はアレッポの交易が優勢になっていきました。内陸にある点が有利に働く場合もあり、十字軍によって海岸沿いの都市が被害を受けたときも無事であり、海岸沿いにめぐっていたキャラバンが内陸へとルートを変更してアレッポの繁栄につながりました。
1517年、オスマン帝国のセリム1世によってアレッポは無血開城し、それ以降の400年近く、アレッポを中心とするアレッポ州が定められ、アレッポはオスマン帝国の州都となりました。アナトリアからの巡礼者や、イスタンブールへの留学が増え、それまでのアラブ都市としての文化にオスマン朝の文化も流入しました。
年代 | 出来事 |
---|---|
紀元前3000年 | 交易開始 |
紀元前2500年 | アッカド人の支配開始 |
紀元前1800年頃 | ヤムハド王国の首都となる |
紀元前1500年頃 | ヒッタイト人による併合 |
紀元前1000年頃 | アラム人の支配 |
紀元前333年 | アレクサンドロス3世による征服 |
紀元前64年 | ローマ帝国による征服 |
636年 | アラブ人による征服 |
944年 | ハムダーン朝による征服 |
1025年~1080年 | ミルダース朝による支配 |
1100年、1103年 | ビザンツ帝国による攻撃 |
1183年 | アイユーブ朝による開城 |
1260年 | モンゴル帝国による征服 |
1400年 | ティムールによる破壊 |
1517年 | オスマン帝国による征服 |
20世紀のアレッポとシリア内戦
16世紀から18世紀にかけてはヨーロッパとのレヴァント貿易で繁栄し、キリスト教徒が増加しました。しかし、18世紀以降は次第に衰退し、1778年の凶作、オスマン帝国の弱体化による交易路での盗賊行為の増加、1787年のペスト流行による人口激減、伝統的な毛織物貿易の終了などが影響を与えました。1822年には大地震が起き、1832年のエジプトの占領による重税などで衰退が続きました。
20世紀初頭のシリアではオスマン帝国に対するアラブの反乱が起き、第一次世界大戦の後は、アレッポはフランスの委任統治領に変わりました。アレッポは委任統治からシリアが独立したのちも繁栄を保っていましたが、1980年にムスリム同胞団を中心とする民衆運動がハマー、ホムス、アレッポなどの都市で活発になり、ハーフィズ・アサド政権はアレッポを攻撃してアレッポ攻囲戦が起き、約2000人が治安部隊に殺害されました。
2011年に発生したシリア内戦はアレッポにも及び、2012年にアレッポ大学の学生がアラブの春を支持する運動を始め、治安部隊が学生4人を殺害しました。これが大学での大規模な反政府デモにつながり、政府は弾圧を続けました。民主化を要求する民衆運動は、自由シリア軍やアル=ヌスラ戦線が反体制側に加わったことで武力衝突へと変化しました。
2012年9月28日に政府軍と反体制派の戦闘により、スークにて火災が起き、歴史的な店舗の大半が消失しました。2023年に発生したトルコ・シリア地震では、旧市街の城壁西側の塔が倒壊するなど、城砦やスークに大きな被害が発生しました。
年代 | 出来事 |
---|---|
16世紀~18世紀 | ヨーロッパとのレヴァント貿易で繁栄 |
18世紀以降 | 衰退 |
1822年 | 大地震 |
1980年 | アレッポ攻囲戦 |
2011年 | シリア内戦勃発 |
2012年 | スークでの火災 |
2023年 | トルコ・シリア地震 |
まとめ
アレッポは、紀元前3000年から続く長い歴史を持つ都市であり、その間、様々な文明や勢力に支配されてきました。交易の中心地として栄え、同時に戦争や災害にも見舞われ、幾度となく破壊と復興を繰り返してきました。
特に、12世紀の十字軍の侵攻、13世紀のモンゴル帝国の侵略、そして2011年から続くシリア内戦は、アレッポに大きな傷跡を残しました。
しかし、アレッポの人々は、困難な状況の中でも、街を再建し、文化を継承してきました。
アレッポの歴史は、人類の歴史そのものと言えるでしょう。
2. 古都アレッポの文化遺産
アレッポ城
アレッポ城は、紀元前10世紀に最初に建築された神殿を原型とする古城です。古代から城塞だった東端の丘は10世紀に城壁で囲まれ、宮殿や官庁が建設されました。たび重なる戦争の歴史のなかで、しだいに城砦化していき、12世紀には十字軍の侵略に際して改築されました。
周囲2.5キロメートルで、深さ20メートル、幅30メートルの濠に囲まれ、城門には防衛用の熱油落としなどがありました。城内には地下牢、モスク、アイユーブ朝時代の宮殿などが残っています。
アレッポ城は、アレッポの象徴的な存在であり、その歴史と文化を物語る重要な遺産です。
しかし、シリア内戦の影響で、アレッポ城も大きな被害を受けており、現在は政府軍が駐留し、激しい戦闘の場となっています。
特徴 | 内容 |
---|---|
築造時期 | 紀元前10世紀 |
構造 | 周囲2.5キロメートルの濠に囲まれた城砦 |
主な施設 | 地下牢、モスク、アイユーブ朝時代の宮殿 |
現在の状況 | 政府軍が駐留し、激しい戦闘の場となっている |
アル=マディーナ・スーク
アル=マディーナ・スークは、世界最古ともいわれる市場で、イスラーム王朝時代に、ローマ時代の東西列柱大通りが平行する細い通りに分割されてスークになりました。かつては4000軒以上の店舗があったといわれています。
通路が屋根に覆われて天窓があいており、日用品から高級品、専門品や中古品まで取引されています。小売と卸売を兼ねている店や、手工業製品の製造小売なども行われており、アレッポを訪れる多くの観光客向けの店舗もありました。
スークは商業施設だけでなく、その中にモスク、学院、公衆浴場などを含む社交や情報交換、娯楽の場でもありました。
しかし、2012年9月28日に政府軍と反体制派の戦闘によりスークにて火災が発生し、歴史的な店舗の大半は消失してしまいました。
特徴 | 内容 |
---|---|
規模 | 世界最大の屋根に覆われた歴史的市場 |
商品 | シルク、スパイス、香料、農産品、毛織物、石鹸など |
現在の状況 | 内戦で大きな被害を受けたが、復興が進められている |
アレッポの大モスク
アレッポの大モスクは、8世紀に建設されたのち戦乱で破壊され、13世紀に再建されました。しかし、シリア内戦による2013年4月24日の戦闘でミナレットが破壊され、預言者ムハンマドの髪が入っていたと伝えられる箱を含め遺物が略奪されました。
アレッポの大モスクは、アレッポの信仰の中心であり、その建築様式は他のモスクの手本になったともいわれています。
シリア内戦の影響で、アレッポの大モスクも大きな被害を受けており、現在も修復作業が進められています。
アレッポの大モスクは、アレッポの歴史と文化を象徴する重要な遺産です。
特徴 | 内容 |
---|---|
築造時期 | 8世紀 |
建築様式 | 他のモスクの手本になったともいわれる |
現在の状況 | 内戦でミナレットが破壊され、修復作業が進められている |
まとめ
アレッポの文化遺産は、アレッポ城、アル=マディーナ・スーク、アレッポの大モスクなど、歴史的な建造物や施設が数多く存在します。
これらの遺産は、アレッポの歴史と文化を物語る重要なものであり、世界中の人々を魅了してきました。
しかし、シリア内戦の影響で、これらの遺産は大きな被害を受けており、現在も修復作業が進められています。
アレッポの文化遺産は、アレッポの人々の誇りであり、未来への希望です。
3. 世界遺産への登録経緯
世界遺産条約
世界遺産条約は、文化遺産や自然遺産を人類全体のための世界の遺産として、損傷・破壊等の脅威から保護し、保存することが重要との観点から、国際的な協力・援助の体制を確立することを目的とする条約です。
1972年にユネスコ総会で採択され、現在では182ヶ国が締約国となっています。
世界遺産条約に基づき、ユネスコの「世界遺産委員会」が、各締約国からの推薦に基づき、「顕著な普遍的価値」を有する文化遺産、自然遺産を「世界遺産一覧表」に記載しています。
現在、世界で830件が登録されており、文化遺産が644件、自然遺産が162件、複合遺産が24件となっています。
項目 | 内容 |
---|---|
目的 | 文化遺産や自然遺産を人類全体のための世界の遺産として保護し、保存すること |
採択年 | 1972年 |
締約国数 | 182ヶ国 |
登録件数 | 830件(文化遺産644件、自然遺産162件、複合遺産24件) |
古代都市アレッポの世界遺産登録
古代都市アレッポは、2011年に発生したシリア内戦の影響で、2013年の第37回世界遺産委員会で「危機にさらされている世界遺産」に登録されました。
シリア内戦の影響で、アレッポを含むシリアの世界遺産6ヶ所すべてが危機遺産に登録されました。
ユネスコは、文化遺産を保護するためにプロジェクトを立ち上げ、専門家を通じて遺跡などの出土品を安全な場所に移したり、国外に持ち出されないようにしています。
日本をはじめ国際社会全体の協力が望まれています。
項目 | 内容 |
---|---|
登録年 | 2013年 |
登録基準 | 登録基準(iii)旧市街は、さまざまな民族が住んだこともあり、多様な文化で溢れていて、人類の歴史が多く詰まった都市の1つであったとという点。 登録基準(iv)アレッポは、12世紀のアイユーブ朝時代の都市建築の傑作であり、軍事要塞としても評価が高いという点。 |
現在の状況 | 危機遺産に登録されている |
登録基準
古代都市アレッポは、世界遺産登録基準のうち、以下の条件を満たし、登録されました。
登録基準(iii)旧市街は、さまざまな民族が住んだこともあり、多様な文化で溢れていて、人類の歴史が多く詰まった都市の1つであったとという点。
登録基準(iv)アレッポは、12世紀のアイユーブ朝時代の都市建築の傑作であり、軍事要塞としても評価が高いという点。
アレッポの旧市街は歴史が深すぎて、街全体が博物館といっても過言ではないでしょう。
まとめ
古代都市アレッポは、世界遺産条約に基づき、ユネスコの世界遺産委員会によって世界遺産に登録されました。
アレッポは、その歴史的・文化的価値が認められ、世界遺産に登録されました。
しかし、シリア内戦の影響で、アレッポは危機遺産に登録され、その保護が危ぶまれています。
世界遺産委員会は、アレッポの保護のために、国際社会全体の協力を求めています。
4. アレッポの観光名所
アレッポ城
アレッポ城は、アレッポの象徴的な存在であり、世界遺産に登録されている古代都市アレッポの中心的な観光スポットです。
紀元前10世紀に最初に建築された神殿を原型とする古城で、古代から城塞だった東端の丘は10世紀に城壁で囲まれ、宮殿や官庁が建設されました。
たび重なる戦争の歴史のなかで、しだいに城砦化していき、12世紀には十字軍の侵略に際して改築されました。
周囲2.5キロメートルで、深さ20メートル、幅30メートルの濠に囲まれ、城門には防衛用の熱油落としなどがありました。城内には地下牢、モスク、アイユーブ朝時代の宮殿などが残っています。
特徴 | 内容 |
---|---|
築造時期 | 紀元前10世紀 |
構造 | 周囲2.5キロメートルの濠に囲まれた城砦 |
主な施設 | 地下牢、モスク、アイユーブ朝時代の宮殿 |
現在の状況 | 政府軍が駐留し、激しい戦闘の場となっている |
アル=マディーナ・スーク
アル=マディーナ・スークは、アレッポ城のすぐ前に広がっている世界最大の屋根に覆われた歴史的市場です。
シルクロードを渡ってきたシルク、アラビア方面から来たスパイスや香料、シリア地域の農産品や毛織物、名物の石鹸など所狭しと店と商品が並び、スークとその活気はアレッポの象徴でした。
残念ながら内戦で大きな被害を被りましたが、アレッポの顔でもあるスーク復活への地元民の熱い想いが少しずつスークの灯を再び灯らせて来ました。
スークは、アレッポの文化と歴史を感じることができる重要な場所です。
特徴 | 内容 |
---|---|
規模 | 世界最大の屋根に覆われた歴史的市場 |
商品 | シルク、スパイス、香料、農産品、毛織物、石鹸など |
現在の状況 | 内戦で大きな被害を受けたが、復興が進められている |
アレッポの大モスク
アレッポの大モスクは、アレッポの信仰の中心であり、スークのすぐ横に建っていました。
元は8世紀頃にイスラム教勢力(ウマイヤド朝)が初めてアレッポに到達した時に建てられ、中世に拡張工事がなされて現代に至りました。
スーク同様に内戦の戦火によって機能不全に陥りましたが、アレッポ市民の心の拠りどころであるこのモスクもそう遠くない未来により一層美しく、強く蘇る事でしょう。
アレッポの大モスクは、アレッポの歴史と文化を象徴する重要な遺産です。
特徴 | 内容 |
---|---|
築造時期 | 8世紀 |
建築様式 | 他のモスクの手本になったともいわれる |
現在の状況 | 内戦でミナレットが破壊され、修復作業が進められている |
まとめ
アレッポには、アレッポ城、アル=マディーナ・スーク、アレッポの大モスクなど、歴史的な建造物や施設が数多く存在し、観光客を魅了してきました。
これらの観光名所は、アレッポの歴史と文化を物語る重要なものであり、世界中の人々を魅了してきました。
しかし、シリア内戦の影響で、これらの観光名所は大きな被害を受けており、現在も修復作業が進められています。
アレッポの観光名所は、アレッポの人々の誇りであり、未来への希望です。
5. アレッポの復興と今後の展望
復興の現状
2016年末に政府がアレッポの支配権を確立すると、2017年から町の復興がはじまりました。
たとえば人々の生活を支えるスークについて、これまでに3件が再建されています。
しかし、スークは戦争前に37ほどあったといわれており、復興されたのは1割にも及びません。
また、すでにオープンしているスークに店舗はほとんど入っておらず、ガラガラの状態であるようです。
項目 | 内容 |
---|---|
復興開始時期 | 2017年 |
復興状況 | スークの3件が再建されているが、全体の1割程度。店舗はほとんど入っておらず、ガラガラの状態。 |
人口 | 160万人ほどに回復している |
住宅の再建 | マンションやアパートの再建は進んでいない。資金不足が大きな問題。 |
資金援助 | 政府援助は10%程度。欧米諸国の経済制裁により、海外からの資金提供が困難。 |
復興の課題
復興の大きな課題は、資金不足です。
多くの市民には、部屋の修復や家やマンションの再建に必要な資金がありません。
政府援助も10%程度しかカバーできないようで、資金不足にあえいでいます。
ビルの再建など大型公共事業が進展することで資金が回り、人々の雇用が確保されて復興は進みますが、シリアではこの循環が起きていません。
課題 | 内容 |
---|---|
資金不足 | 部屋の修復や家やマンションの再建に必要な資金が多くの市民にはない。 |
治安不安 | 爆弾テロや毒ガス攻撃などが発生している。 |
政治的な対立 | アサド政権と反政府勢力の綱引きが続いている。 |
国際社会の支援
国連(UNDP=国際連合開発計画やUNICEF=国際連合児童基金)は水や食料の確保、上下水道の整備など衛生状態の改善、学校や病院の修復といった支援を行っていますが、ほぼ人道支援に限られており、大規模な復興には携われないでいます。
イランとロシアはシリアを支援していますが、両国とも自身が経済制裁を受けている身ですから十分な支援は望むべくもありません。
政府も復興は政府関連や自分を支援する団体や人物関係の物件を優先しており、政権を安定させるための手段と割り切っているようです。
アメリカやヨーロッパによる経済制裁も、復興の大きな障害となっています。
支援団体 | 内容 |
---|---|
国連(UNDP、UNICEF) | 水や食料の確保、衛生状態の改善、学校や病院の修復など人道支援 |
イラン、ロシア | 経済制裁を受けているため、十分な支援は難しい |
アメリカ、ヨーロッパ | 経済制裁を実施しているため、資金提供が困難 |
まとめ
アレッポの復興は、資金不足、治安不安、政治的な対立など、多くの課題に直面しています。
しかし、アレッポの人々は、困難な状況の中でも、街を再建し、生活を立て直そうとしています。
アレッポの復興は、長い道のりですが、国際社会の支援とアレッポの人々の努力によって、必ず実現すると信じています。
アレッポの復興は、シリアの復興、そして中東の平和への希望です。
6. アレッポの特産品と食文化
アレッポ石鹸
アレッポ石鹸は、アレッポを代表する特産品の一つです。
中世から製造していたとも言われ、オリーブが中心の原料でオリーブ石鹸とも呼ばれています。
美容効果が非常に高いとされ、世界的にも人気を博しています。
アレッポ石鹸は、アレッポの伝統と文化を象徴するものです。
特徴 | 内容 |
---|---|
原料 | オリーブ |
効果 | 美容効果が高い |
特徴 | 世界的にも人気 |
アレッポの食文化
アレッポの食文化は、シリアの伝統的な食文化を受け継いでいます。
アレッポでは、ケバブ、フムス、ファラフェルなどのアラブ料理が人気です。
また、アレッポ石鹸を使った伝統的な料理も数多く存在します。
アレッポの食文化は、アレッポの人々の生活と文化を反映しています。
料理 | 特徴 |
---|---|
ケバブ | シリアの伝統的な料理 |
フムス | ひよこ豆のペースト |
ファラフェル | ひよこ豆のコロッケ |
アレッポ石鹸を使った料理 | 独特の風味を楽しむことができる |
アレッポの伝統料理
アレッポの伝統料理は、オリーブオイルやスパイスをふんだんに使ったものが多く、風味豊かで奥深い味わいが特徴です。
アレッポ石鹸を使った料理も人気で、独特の風味が楽しめます。
アレッポの伝統料理は、長い歴史と文化を物語るものです。
アレッポの伝統料理は、アレッポの人々の生活と文化を反映しています。
料理 | 特徴 |
---|---|
オリーブオイル | 風味豊かで奥深い味わい |
スパイス | 風味豊かで奥深い味わい |
アレッポ石鹸 | 独特の風味 |
まとめ
アレッポは、アレッポ石鹸などの特産品や、ケバブ、フムス、ファラフェルなどのアラブ料理など、豊かな食文化を持つ都市です。
アレッポの特産品と食文化は、アレッポの歴史と文化を物語る重要なものです。
アレッポの特産品と食文化は、アレッポの人々の生活と文化を反映しています。
アレッポの特産品と食文化は、アレッポの未来への希望です。
参考文献
・シリアの世界遺産「古代都市アレッポ」とは?世界遺産マニア …
・シリアの古代都市「アレッポ」(内戦前の街並みとアレッポ城 …
・シリア第2に都市に残る壮大な旧市街!世界遺産「古代都市 …
・古代都市アレッポ | シリア | 世界遺産オンラインガイド
・古都アレッポ(ことアレッポ)とは? 意味や使い方 – コトバンク
・世界でも最も古い大都市の一つアレッポ(シリア) – Voyage …
・古代都市アレッポ 古代都市アレッポの概要 – Weblio 辞書
・笑顔あふれる人々、歴史的な町並み。シリア内戦で失われた …
・19/09/25:復興が進まないシリア・アレッポの現状 – Art …
・古都アレッポ クチコミ・アクセス・営業時間 … – フォートラベル
・京都の世界遺産『古都京都の文化財』一覧、全17カ所のリスト
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