1. サンタマリアデッレグラツィエ教会
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会の概要
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会は、イタリアのミラノにある、ユネスコの世界遺産(文化遺産)登録物件です。ミラノ公ルドヴィーコ・スフォルツァの依頼で、レオナルド・ダ・ヴィンチがサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院の食堂の壁画として描いた『最後の晩餐』があることで有名です。教会は15世紀にドミニコ会の修道院として建設され、15世紀後半にミラノ公からの依頼でルネサンスの巨匠であるブラマンテが教会を拡大し、それまでのゴシック建築からルネサンス様式のドームや回廊、食堂が増築されました。
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会は、ルネサンス様式を見せる教会です。聖堂の身廊部はドミニコ会の修道士ソラーリによって1465年から1482年の間に建立されたといわれ、その後を引きついだブラマンテが交差部および後陣の作成にあたったといわれています。また、ブラマンテにより後陣横に3つ目の回廊などが付け加えられました。
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会は、ミラノの中心部にあるため、地下鉄カドルナ駅、コンチリアツィオーネ駅もしくはノルド鉄道のミラノ・カドルナ駅が近く、アクセスしやすい場所にあります。カドルナ駅はターミナル駅のため、路面電車やバスなども頻繁に停車します。
『最後の晩餐』を見学するためには有料の事前予約が必要で、カドルナ駅からは徒歩8分です。
建築様式 | 特徴 |
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ゴシック様式 | 尖塔やアーチが特徴 |
ルネサンス様式 | ドームや回廊が特徴 |
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会の見どころ
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会の見どころは、なんといっても食堂の壁に描かれたレオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』です。この作品は、イエス・キリストが処刑される前夜に12人の使徒と食卓を囲んでいる様子が描かれており、イエス・キリストが食事中に使徒の1人が裏切ることを予告した直後の様子で、12人の使徒が動揺したり哀願的な目でキリストを見つめたりと様々な表情が描かれています。
『最後の晩餐』は、縦4.2m・横9.1mの巨大なテンペラ画で、一点透視図法が用いられ、あたかも絵の奥のほうまで食堂がつながっているかのような錯覚を観る者に起こさせる、いわゆる錯視的演出が施されています。
『最後の晩餐』は、完成後すぐに評判となり、当時の著名な学者や文化人らが「奇跡のごとき」作品と大絶賛しました。しかし、食堂に描かれたものであったため、カビが発生して顔料は落ちてしまい、馬小屋として利用されたり、水没したりと環境は最悪でした。1970年代に修復が開始され、1999年には修復が終わり、現在はダ・ヴィンチが描いた時代のように美しい姿を取り戻しています。
『最後の晩餐』は、レオナルド・ダ・ヴィンチが卵などを用いた顔料で描く「テンペラ」と油彩を組み合わせた、当時としては革新的な技法で描いてました。そして、逆光と遠近法を見事に利用して、人物がまるで壁画から飛び出るようにして、この名画が完成したのです。
見どころ | 説明 |
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『最後の晩餐』 | レオナルド・ダ・ヴィンチが描いた壁画 |
ドーム | ルネサンス様式の美しいドーム |
回廊 | 静寂に満ちた回廊 |
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会へのアクセス
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会へのアクセスは、ミラノの中心部にあるため、地下鉄カドルナ駅、コンチリアツィオーネ駅もしくはノルド鉄道のミラノ・カドルナ駅が近く、アクセスしやすい場所にあります。カドルナ駅はターミナル駅のため、路面電車やバスなども頻繁に停車します。
『最後の晩餐』を見学するためには有料の事前予約が必要で、カドルナ駅からは徒歩8分です。
教会の正面から入るのではありません。まずは別の建物に行きチケットを引き換えます。チケットを引き換えた後は、指定時間に教会の脇にある集合場所へ行きます。見学はグループ単位で、1グループは15名とか25名ぐらいだと思います。時間は15分です。
集合後、移動しますが、グループ全員が一つの部屋に入ったら、次の部屋の扉が開くというかたちで、前室を二つ通り抜けます。外気の直接侵入を避け、調温・調湿のためです。もちろん鳥や虫など遺物の侵入防止でもあります。そして、「最後の晩餐」との対面です。
アクセス方法 | 説明 |
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地下鉄 | カドルナ駅、コンチリアツィオーネ駅 |
路面電車 | 16番線のサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ停留所 |
徒歩 | カドルナ駅から徒歩8分 |
まとめ
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会は、レオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』があることで世界的に有名な教会です。ルネサンス様式の美しい建築様式と、歴史的にも価値のある『最後の晩餐』は、必見の価値があります。
教会は、ミラノの中心部にあるため、アクセスしやすい場所にあります。地下鉄や路面電車を利用すれば、簡単にアクセスできます。
『最後の晩餐』を見学するには、有料の事前予約が必要です。予約は、公式サイトや旅行代理店を通じて行うことができます。
教会内には、レオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』以外にも、見どころがたくさんあります。ぜひ、ゆっくりと見学してみてください。
2. ドメニコ会修道院の歴史
ドミニコ会修道院の設立
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会は、15世紀にドミニコ会の修道院として建設されました。ドミニコ会は、13世紀にスペインのドミニコによって設立されたカトリック教会の修道会です。
ドミニコ会は、貧困、純潔、従順を誓願とし、宣教活動、教育活動、慈善活動などを精力的に行ってきました。サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院は、ミラノにおけるドミニコ会の活動拠点の一つとして、1463年に建設が始まりました。
修道院は、当初は小さな建物でしたが、15世紀後半にミラノ公ルドヴィーコ・スフォルツァの依頼で、ルネサンス建築家ブラマンテによって拡張されました。
ブラマンテは、修道院にドームや回廊、食堂などを増築し、現在の姿に近づけました。
設立者 | ドミニコ |
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設立年 | 13世紀 |
設立場所 | スペイン |
誓願 | 貧困、純潔、従順 |
ドミニコ会修道院の役割
ドミニコ会修道院は、宗教的な活動拠点であると同時に、地域社会の重要な役割を担っていました。修道院は、貧しい人々への救済活動、病気の人の看護、教育活動などを行っていました。
修道院は、また、文化の中心地としての役割も果たしていました。修道院には、図書館や写本室があり、多くの学者が集まりました。
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院は、ミラノにおける文化の中心地として、重要な役割を果たしていました。
修道院は、また、芸術の保護者としても知られていました。修道院には、多くの芸術作品が収蔵されており、芸術家たちの活動拠点となっていました。
役割 | 説明 |
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宗教的な活動拠点 | ミサや祈りを捧げる |
地域社会への貢献 | 貧しい人々への救済活動、病気の人の看護、教育活動 |
文化の中心地 | 図書館や写本室があり、多くの学者が集まった |
芸術の保護者 | 多くの芸術作品が収蔵され、芸術家たちの活動拠点となっていた |
ドミニコ会修道院の現在
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院は、現在もドミニコ会によって運営されています。修道院は、観光客に公開されており、レオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』を見学することができます。
修道院は、また、宗教的な活動拠点としても機能しています。修道士たちは、毎日ミサを行い、祈りを捧げています。
修道院は、また、地域社会への貢献活動も続けています。修道士たちは、貧しい人々への救済活動、病気の人の看護、教育活動などを行っています。
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院は、歴史と文化、そして信仰が融合した場所です。
まとめ
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院は、ドミニコ会によって設立され、宗教的な活動拠点として、地域社会に貢献してきました。
修道院は、また、文化の中心地としての役割も果たし、多くの芸術家や学者の活動拠点となっていました。
現在もドミニコ会によって運営されており、観光客に公開されています。
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院は、歴史と文化、そして信仰が融合した場所であり、訪れる価値のある場所です。
3. レオナルドダヴィンチの「最後の晩餐」について
「最後の晩餐」の概要
レオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』は、1495年から約3年の歳月をかけて制作された壁画で、図版や写真などで誰もが一度は目にしたことがあるのではないでしょうか。
『最後の晩餐』は、完成後すぐに評判となり、当時の著名な学者や文化人らが「奇跡のごとき」作品と大絶賛しました。
『最後の晩餐』は、聖書に登場する一場面が描かれています。キリストが十字架にかけられる前日の夜、12人の弟子たちと共に食事をした際に「この中に裏切り者がいる」と宣言する緊迫の場面を、迫真の描写力で表現しています。
そこにはレオナルドの類まれな技術と野心が詰め込まれており、ルネサンス芸術の粋を集めた作品としてレオナルドの地位を確固なものとしました。
制作年 | 1495年 – 1498年 |
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制作場所 | サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院の食堂 |
サイズ | 縦4.2m・横9.1m |
技法 | テンペラ画 |
モチーフ | イエス・キリストが処刑される前夜に12人の使徒と食卓を囲んでいる様子 |
「最後の晩餐」が名画と呼ばれる理由
レオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』が名画と呼ばれる理由は、レオナルドが仕掛けた極めて大胆な描写、ドラマチックな構図、そして線遠近法を用いた構図にあります。
レオナルドの『最後の晩餐』では、それまで無個性だったそれぞれの使徒に明確なキャラクターを与え、その光景を劇的なドラマとして表現したのです。
レオナルドは、裏切り者であるユダも他の使徒と同列に配し、一見するとユダがどこにいるか特定できない極めて曖昧な表現をしています。
レオナルドの『最後の晩餐』は、見る者の視線を巧みにリードし、自然とキリストに目がいくよう仕向けられています。中央で神々しく構える人物を見て、当時の文字が読めない人も彼がキリストだと理解したことでしょう。
理由 | 説明 |
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大胆な描写 | 使徒たちの感情の起伏が見て取れる |
ドラマチックな構図 | キリストと使徒はユダも含めて一列に配置されている |
線遠近法を用いた構図 | 一点透視図法を用いて、あたかも絵の奥のほうまで食堂がつながっているかのような錯覚を観る者に起こさせる |
「最後の晩餐」の修復の歴史
レオナルドは「最後の晩餐」で全く新しい技法に挑戦します。卵を用いるテンペラ画と油彩画の混合技法でこの絵を描きました。
しかしそれが悲劇の始まりとなります。フレスコ画と違いテンペラと油彩の混合技法では下地の鉛白に絵具が定着しません。おまけに描かれた場所がサンタ・マリア・デッレ・グラーツィエ聖堂に隣接する修道院の食堂とあって、湿気にも悩まされました。
完成後から傷み始めた「最後の晩餐」ですが、資料によると70年後には「もはやシミの塊にすぎない」という記述があり、さらに94年後には「大部分破損」という記録もあります。
その後も苦難は続きます。18世紀末のナポレオンの時代には食堂は馬小屋として使われ、動物の呼気や排泄物によるガスで損傷はますます進みました。また、ナポレオン軍の兵隊に石や煉瓦を投げつけられたという記録もあります。そして極めつきは1943年のアメリカ軍によるミラノ空爆です。修道院も空爆の被害を受け、食堂の屋根が吹き飛びました。その時、壁画を守ろうと修道士たちが土嚢を積み上げていたため、壁画はかろうじて難を逃れたのです。
時期 | 内容 |
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完成直後 | 絵具の剥落が始まる |
18世紀 | 大規模な修復が行われるが、担当した修復士は自分の趣味や憶測にもとづいて任意に描き直してしまった |
19世紀前半 | 壁画を壁から剥がそうとして大きな亀裂も入りました |
19世紀後半 | 「まるで月の表面のようだった」というところまで損傷が進んでいった |
1977年 – 1999年 | 史上最大規模の修復が行われ、レオナルドが描いたオリジナルにかなり近づいた |
まとめ
レオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』は、レオナルドの類まれな才能と技術の結晶が詰め込まれた作品です。
『最後の晩餐』は、ルネサンス芸術の特徴を遺憾なく表現しており、見る者に強い印象を与えます。
『最後の晩餐』は、完成後から数々の困難に見舞われましたが、修復によって、レオナルドが作り上げたオリジナルに近い作品を私たちは目にすることができます。
『最後の晩餐』は、レオナルド・ダ・ヴィンチの天才性を証明する作品であり、世界中の多くの人々に愛されています。
4. 世界遺産への登録経緯
世界遺産登録の基準
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会とドメニコ会修道院は、世界遺産登録基準のうち、以下の条件を満たし、登録されました。
登録基準(i)『最後の晩餐』は、時代や国籍を越え、普遍的価値のある芸術作品であるという点。
登録基準(ii)『最後の晩餐』は、絵画の技法としての非常に優れたものであるのと同時に、500年以上も現存した、世界で最も模写されている作品の一つであり、美術史の新しい段階へと進化させた名画であるということ。
レオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』が、世界遺産であるというのは、もはや誰もが異論がないところだと思いますが、評価としてはダ・ヴィンチが使用した新しい技法や遠近法と光の利用など、革新的なアイデアが詰まっているという点で、特に評価されています。
基準 | 説明 |
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登録基準(i) | 時代や国籍を越え、普遍的価値のある芸術作品である |
登録基準(ii) | 絵画の技法としての非常に優れたものであるのと同時に、500年以上も現存した、世界で最も模写されている作品の一つであり、美術史の新しい段階へと進化させた名画である |
世界遺産登録の意義
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会とドミニコ会修道院の世界遺産登録は、レオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』の芸術的価値と歴史的意義を世界的に認め、保護していくための重要な一歩となりました。
世界遺産登録は、この貴重な文化遺産を未来の世代に継承していくための国際的な取り組みです。
世界遺産登録は、観光客の増加にもつながり、地域経済の活性化にも貢献しています。
世界遺産登録は、世界中の人々に、この貴重な文化遺産を理解し、大切にすることを促す役割を果たしています。
意義 | 説明 |
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芸術的価値と歴史的意義の国際的な承認 | 世界的に認め、保護していくための重要な一歩 |
未来の世代への継承 | 国際的な取り組み |
観光客の増加 | 地域経済の活性化 |
文化遺産の理解と大切にすることの促進 | 世界中の人々に理解と大切にすることを促す |
世界遺産登録後の取り組み
世界遺産登録後、サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会とドミニコ会修道院は、保存と修復のための取り組みを強化しています。
教会は、定期的に専門家による調査と修復を行い、壁画の劣化を防いでいます。
また、教会は、観光客向けの施設整備や情報提供を行い、世界遺産としての価値をより高めています。
世界遺産登録は、サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会とドミニコ会修道院にとって、新たな章の始まりとなりました。
取り組み | 説明 |
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保存と修復 | 専門家による調査と修復を行い、壁画の劣化を防いでいる |
観光客向けの施設整備 | 観光客向けの施設整備や情報提供を行い、世界遺産としての価値を高めている |
まとめ
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会とドミニコ会修道院は、レオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』という貴重な文化遺産を有しており、世界遺産に登録されました。
世界遺産登録は、この貴重な文化遺産を未来の世代に継承していくための国際的な取り組みであり、教会は、保存と修復のための取り組みを強化しています。
世界遺産登録は、観光客の増加にもつながり、地域経済の活性化にも貢献しています。
世界遺産登録は、世界中の人々に、この貴重な文化遺産を理解し、大切にすることを促す役割を果たしています。
5. 訪れる際のポイント
予約方法
『最後の晩餐』を見学するには、有料の事前予約が必要です。予約は、公式サイトや旅行代理店を通じて行うことができます。
公式サイトでは、3ヶ月ごとにオンラインまたは電話で予約を受け付けています。予約受付開始と同時に完売してしまうことが多いので、定期的にサイトをチェックしましょう。
オプショナルツアーサイトでは、日本語で予約ができるので安心です。ただし、料金は公式サイトよりも高くなる場合が多いです。
予約が難しい場合は、当日朝にチケットオフィスでキャンセル待ちをすることもできます。ただし、確実ではありません。
方法 | 説明 |
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公式サイト | 3ヶ月ごとにオンラインまたは電話で予約を受け付けている |
オプショナルツアーサイト | 日本語で予約ができる |
当日朝 | チケットオフィスでキャンセル待ちをする |
見学時の注意点
見学時間は15分と短いため、事前に見学ルートや見どころを調べておきましょう。
見学中は、静かに鑑賞しましょう。写真撮影は禁止されている場合もあります。
見学前に、トイレを済ませておきましょう。見学中はトイレ休憩はできません。
見学後は、教会の周辺を散策してみましょう。教会の周辺には、美しい庭園やカフェがあります。
注意点 | 説明 |
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見学時間 | 15分と短いため、事前に見学ルートや見どころを調べておきましょう |
静寂 | 静かに鑑賞しましょう |
写真撮影 | 写真撮影は禁止されている場合もあります |
トイレ | 見学前に、トイレを済ませておきましょう |
アクセス
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会は、ミラノの中心部にあるため、アクセスしやすい場所にあります。
地下鉄カドルナ駅、コンチリアツィオーネ駅もしくはノルド鉄道のミラノ・カドルナ駅から徒歩でアクセスできます。
教会の近くには、路面電車の停留所もあります。
ミラノ市内には、多くの観光スポットがありますので、教会見学と合わせて、他の観光スポットも巡ってみましょう。
アクセス方法 | 説明 |
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地下鉄 | カドルナ駅、コンチリアツィオーネ駅 |
路面電車 | 16番線のサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ停留所 |
徒歩 | カドルナ駅から徒歩8分 |
まとめ
『最後の晩餐』を見学する際は、事前に予約をすることが必須です。
見学時間は15分と短いため、事前に見学ルートや見どころを調べておきましょう。
教会は、ミラノの中心部にあるため、アクセスしやすい場所にあります。
ミラノ市内には、多くの観光スポットがありますので、教会見学と合わせて、他の観光スポットも巡ってみましょう。
6. サンタマリアデッレグラツィエ教会とドミニコ会修道院の関係
ドミニコ会修道院の設立
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会は、15世紀にドミニコ会の修道院として建設されました。ドミニコ会は、13世紀にスペインのドミニコによって設立されたカトリック教会の修道会です。
ドミニコ会は、貧困、純潔、従順を誓願とし、宣教活動、教育活動、慈善活動などを精力的に行ってきました。サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院は、ミラノにおけるドミニコ会の活動拠点の一つとして、1463年に建設が始まりました。
修道院は、当初は小さな建物でしたが、15世紀後半にミラノ公ルドヴィーコ・スフォルツァの依頼で、ルネサンス建築家ブラマンテによって拡張されました。
ブラマンテは、修道院にドームや回廊、食堂などを増築し、現在の姿に近づけました。
設立者 | ドミニコ |
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設立年 | 13世紀 |
設立場所 | スペイン |
誓願 | 貧困、純潔、従順 |
ドミニコ会修道院と「最後の晩餐」
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院の食堂の壁画として、レオナルド・ダ・ヴィンチが描いた『最後の晩餐』は、ドミニコ会修道院の歴史と深く結びついています。
『最後の晩餐』は、ドミニコ会修道士たちの信仰と生活を象徴する作品であり、修道院の重要な一部となっています。
『最後の晩餐』は、ドミニコ会修道院の食堂に描かれたことで、修道士たちの日常的な空間を聖なる空間に変え、彼らの信仰心を高める役割を果たしました。
『最後の晩餐』は、ドミニコ会修道院の重要な文化遺産であり、世界遺産に登録された理由の一つとなっています。
関係 | 説明 |
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修道士たちの信仰と生活を象徴 | 修道院の重要な一部 |
聖なる空間への変容 | 修道士たちの日常的な空間を聖なる空間に変え、彼らの信仰心を高める役割を果たした |
重要な文化遺産 | 世界遺産に登録された理由の一つ |
ドミニコ会修道院の現在
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院は、現在もドミニコ会によって運営されています。修道院は、観光客に公開されており、レオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』を見学することができます。
修道院は、また、宗教的な活動拠点としても機能しています。修道士たちは、毎日ミサを行い、祈りを捧げています。
修道院は、また、地域社会への貢献活動も続けています。修道士たちは、貧しい人々への救済活動、病気の人の看護、教育活動などを行っています。
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院は、歴史と文化、そして信仰が融合した場所です。
まとめ
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会とドミニコ会修道院は、長い歴史の中で、宗教的な活動拠点として、地域社会に貢献してきました。
修道院は、また、文化の中心地としての役割も果たし、多くの芸術家や学者の活動拠点となっていました。
現在もドミニコ会によって運営されており、観光客に公開されています。
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院は、歴史と文化、そして信仰が融合した場所であり、訪れる価値のある場所です。
参考文献
・【作品解説】レオナルド・ダ・ヴィンチ「最後の晩餐」 – Artpedia …
・イタリアの世界遺産「レオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の …
・「最後の晩餐」とは?レオナルド・ダヴィンチの名作や意味 …
・レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」は何が凄いのか …
・レオナルド・ダ・ヴィンチ「最後の晩餐」を分かりやすく解説 …
・「最後の晩餐」とは?天才レオナルド・ダ・ヴィンチの傑作を …
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・最後の晩餐の予約方法、見学手順を案内します | ミラノ観光 …
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