パッタダカルの建造物群とは?世界遺産についての解説

パッタダカルの建造物群の概要
項目 内容
位置 インドのカルナータカ州北部
時代 6世紀から8世紀
建築様式 北方型と南方型の融合
主な建造物 ヴィルーパークシャ寺院、マリカールジュナ寺院、サンガメーシュヴァラ寺院など
世界遺産登録 1987年
登録基準 (3) 現存するまたは消滅した文化的伝統または文明の、唯一のまたは少なくとも稀な証拠。(4) 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。

1. パッタダカルとは何か

要約

パッタダカルの地理的位置

パッタダカルは、インドのカルナータカ州北部にある小さな村です。チャールキヤ朝(前期)の首都バーダーミの北東12キロメートル、マラプラバー川の西岸に位置しています。かつてはケスヴォララと呼ばれていました。

パッタダカルは、チャールキヤ朝にとって重要な場所でした。チャールキヤ朝の首都はバーダーミでしたが、王族はパッタダカルを「戴冠の都」として愛し、6世紀から8世紀にかけてはチャールキヤ朝第2ないし第3の都市として繁栄しました。

当初は宗教的に重要な地ではなく、単なる村落でしたが、チャールキヤ朝の王室がこの地に他よりも寺院建立をさかんに行うようになったため、次第に発展していきました。

パッタダカルの地理的位置
項目 内容
カルナータカ州
位置 バーダーミの北東12キロメートル
マラプラバー川西岸
旧名 ケスヴォララ

パッタダカルの遺跡群

パッタダカルには、奇跡的に破壊を免れた遺跡群が残っています。これらの遺跡群は、当時の「寺院都市」の典型を示しており、南インド様式と北インド様式の寺院が混在していることでも知られています。

寺院のシカラ(塔)について、南インド型と北インド型の2つの基本的な型が一つの地にみられるのは、パッタダカル以外ではバーダーミ近郊のマハークティのみであり、きわめて特徴的です。

パッタダカルの寺院群は、1987年に「パッタダカルの建造物群」として、ユネスコ世界遺産の文化遺産に登録されました。

パッタダカルの遺跡群
項目 内容
特徴 寺院都市の典型
様式 南インド様式と北インド様式の混在
登録年 1987年
登録名 パッタダカルの建造物群

パッタダカルの寺院

パッタダカルには、6世紀から8世紀にかけて建てられた9つの寺院が残っています。これらの寺院はすべて、宇宙の破壊と創造を司るヒンドゥー教のシヴァ神を祀ったものです。

寺院は、北から南にかけてほぼ年代順に並んでいます。そのため、ヒンドゥー寺院建築の過程をたどりながら見学することができます。

寺院の建築様式は、階段状ないしピラミッド形をした南部の様式と、砲弾形ないしトウモロコシ形をした北部の様式が混在しています。

パッタダカルの寺院
項目 内容
9つ
シヴァ神
配置 北から南へ年代順
様式 南部様式と北部の様式が混在

まとめ

パッタダカルは、チャールキヤ朝にとって重要な寺院都市であり、現在も多くの遺跡が残っています。これらの遺跡は、南インドと北インドの建築様式の融合が見られる貴重な場所であり、世界遺産に登録されています。

パッタダカルの寺院群は、ヒンドゥー教のシヴァ神を祀っており、北から南にかけて年代順に並んでいるため、ヒンドゥー寺院建築の過程をたどりながら見学することができます。

パッタダカルは、インドの歴史と文化を理解する上で重要な場所であり、観光客にとって魅力的な場所です。

2. パッタダカルの建築様式について

要約

北方型と南方型の寺院

インドの寺院建築には、大きく分けて「北方型」と「南方型」の2つの様式があります。パッタダカルの建造物群は、この2つの様式が混在していることで有名です。

北方型寺院は、シカラ(塔)が砲弾型やトウモロコシ型をしています。一方、南方型寺院は、シカラが階段状やピラミッド型をしています。

パッタダカルの建造物群では、北方型と南方型の寺院が隣接して建てられているため、両方の様式を比較することができます。

北方型と南方型の寺院
様式 シカラの特徴
北方型 砲弾型、トウモロコシ型
南方型 階段状、ピラミッド型

パッタダカルの建築様式の特色

パッタダカルの建築様式は、北方型と南方型の要素を融合させた、独自の様式と言えるでしょう。

チャールキヤ朝の王たちは、インド各地から優れた石工や彫刻家を招き、それぞれの技術や伝統を融合させて寺院を建設しました。

そのため、パッタダカルの寺院には、北方型と南方型の要素が混在しているだけでなく、他の地域の影響も見て取れます。

パッタダカルの建築様式の評価

パッタダカルの建築様式は、その融合性と独創性から高く評価されています。

北方型と南方型の要素を融合させた建築様式は、パッタダカルでしか見ることができません。

また、チャールキヤ朝の王たちが、インド各地から優れた石工や彫刻家を招いたことによって、多様な文化が融合した建築様式が生まれたことも評価されています。

まとめ

パッタダカルの建築様式は、北方型と南方型の要素を融合させた、独自の様式です。

チャールキヤ朝の王たちは、インド各地から優れた石工や彫刻家を招き、それぞれの技術や伝統を融合させて寺院を建設しました。

パッタダカルの建築様式は、その融合性と独創性から高く評価されており、世界遺産に登録される要因の一つとなっています。

3. パッタダカルの主な建造物

要約

ヴィルーパークシャ寺院

ヴィルーパークシャ寺院は、パッタダカルで最大規模を誇る寺院です。8世紀にパッラヴァ朝との戦いに勝利して凱旋したヴィクラマーディティヤ2世の栄光を記念するため、王妃ローカ・マハーデーヴィの命で造営されました。

寺院の壁には、悪魔を退散させる無数のシヴァ神像が彫刻されており、3段構造のヴィマーナ(本堂)が戦勝を記念して寺院群の中にそびえ立っています。

寺院正面には、シヴァ神に仕える牡牛ナンディンの像があります。

ヴィルーパークシャ寺院
項目 内容
規模 最大規模
建立目的 ヴィクラマーディティヤ2世の戦勝記念
特徴 3段構造のヴィマーナ、シヴァ神像の彫刻、ナンディンの像
建立者 王妃ローカ・マハーデーヴィ

マリカールジュナ寺院

マリカールジュナ寺院は、ヴィルーパークシャ寺院をやや小規模にした寺院です。

こちらも、王の戦勝記念に、妹の第2王妃が造営したと言われています。

ヴィルーパークシャ寺院と同様に、屋根は水平層を階段状に積み重ねる形式になっています。

マリカールジュナ寺院
項目 内容
規模 ヴィルーパークシャ寺院より小規模
建立目的 王の戦勝記念
特徴 水平層を階段状に積み重ねる形式
建立者 妹の第2王妃

サンガメーシュヴァラ寺院

サンガメーシュヴァラ寺院は、ヴィルーパークシャ寺院やマリカールジュナ寺院よりも少し前に建てられた寺院です。

この寺院は、リンガを祀っており、屋根を階段状に水平に積み上げる南部様式の寺院です。

サンガメーシュヴァラ寺院は、ヴィジャヤーディティヤの時代に建てられた寺院です。

サンガメーシュヴァラ寺院
項目 内容
規模 ヴィルーパークシャ寺院やマリカールジュナ寺院より小規模
建立目的 不明
特徴 リンガを祀る、南部様式
建立者 ヴィジャヤーディティヤ

まとめ

パッタダカルには、ヴィルーパークシャ寺院、マリカールジュナ寺院、サンガメーシュヴァラ寺院など、多くの見事な寺院があります。

これらの寺院は、チャールキヤ朝の繁栄を物語る貴重な遺産であり、世界遺産に登録されています。

パッタダカルを訪れる際には、これらの寺院をじっくりと見学することをおすすめします。

4. パッタダカルの歴史的背景

要約

チャールキヤ朝の繁栄

パッタダカルは、6世紀から8世紀にかけて、チャールキヤ朝が繁栄した時代に建設されました。

チャールキヤ朝は、デカン高原を支配する大国であり、パッタダカルは、チャールキヤ朝の重要な都市の一つでした。

チャールキヤ朝の王たちは、パッタダカルに多くの寺院を建設し、この地を宗教の中心地として発展させました。

チャールキヤ朝の繁栄
項目 内容
時代 6世紀から8世紀
支配地域 デカン高原
重要都市 パッタダカル
特徴 多くの寺院を建設

パッラヴァ朝との戦争

8世紀には、チャールキヤ朝は、インド半島南東部のタミル人王朝パッラヴァ朝と戦争を繰り広げました。

ヴィクラマーディティヤ2世は、パッラヴァ朝との戦いに勝利し、その戦勝を記念して、パッタダカルにヴィルーパークシャ寺院を建設しました。

ヴィクラマーディティヤ2世は、パッラヴァ朝の建築文化に感銘を受け、南インド各地から石工や彫刻家を招いて、パッタダカルに多くの寺院を建設しました。

パッラヴァ朝との戦争
項目 内容
時代 8世紀
結果 ヴィクラマーディティヤ2世の勝利
記念建造物 ヴィルーパークシャ寺院
影響 パッラヴァ朝の建築文化の影響

ラーシュトラクータ朝による滅亡

755年、チャールキヤ朝は、自らの封臣であったラーシュトラクータ朝によって滅ぼされました。

ラーシュトラクータ朝は、チャールキヤ朝を滅ぼした後、デカン高原を支配しました。

チャールキヤ朝の滅亡後、パッタダカルは衰退していきました。

ラーシュトラクータ朝による滅亡
項目 内容
時代 755年
結果 チャールキヤ朝の滅亡
その後 ラーシュトラクータ朝がデカン高原を支配
パッタダカル 衰退

まとめ

パッタダカルは、チャールキヤ朝の繁栄と衰退を物語る場所です。

チャールキヤ朝は、パッラヴァ朝との戦争に勝利し、パッタダカルに多くの寺院を建設しました。

しかし、ラーシュトラクータ朝によって滅ぼされた後、パッタダカルは衰退していきました。

5. パッタダカルの世界遺産登録に至る経緯

要約

世界遺産登録基準

パッタダカルの建造物群は、1987年にユネスコ世界遺産に登録されました。

世界遺産登録基準のうち、以下の2つの条件を満たしています。

(3) 現存するまたは消滅した文化的伝統または文明の、唯一のまたは少なくとも稀な証拠。

(4) 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。

世界遺産登録基準
基準 内容
(3) 現存するまたは消滅した文化的伝統または文明の、唯一のまたは少なくとも稀な証拠。
(4) 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。

登録の理由

パッタダカルの建造物群は、南インドと北インドの建築様式の融合が見られる貴重な場所です。

また、チャールキヤ朝の繁栄と衰退を物語る歴史的な場所でもあります。

これらの理由から、パッタダカルの建造物群は、世界遺産に登録されました。

世界遺産としての価値

パッタダカルの建造物群は、世界遺産に登録されたことで、その歴史的・文化的価値が広く認められました。

世界遺産登録は、パッタダカルの建造物群の保護と保存に役立っています。

また、世界遺産登録は、パッタダカルの観光振興にも役立っています。

まとめ

パッタダカルの建造物群は、南インドと北インドの建築様式の融合が見られる貴重な場所であり、世界遺産に登録されました。

世界遺産登録は、パッタダカルの建造物群の保護と保存、観光振興に役立っています。

パッタダカルの建造物群は、世界遺産として、今後も大切に保護されていくでしょう。

6. パッタダカルの建造物群を訪れる際のポイント

要約

アクセス方法

パッタダカルは、アクセスが難しい場所です。

最寄りの空港はゴア空港ですが、ゴアからパッタダカルまでは車で5時間半程度かかります。

ハンピからパッタダカルまでは車で2時間程度ですが、ハンピ自体もアクセスが難しい場所です。

パッタダカルへ行くには、ツアーに参加するか、レンタカーを借りるか、公共交通機関を乗り継ぐ必要があります。

アクセス方法
手段 所要時間
ゴア空港から 車で5時間半
ハンピから 車で2時間
公共交通機関 乗り継ぎが必要

観光のポイント

パッタダカルの建造物群は、広大な敷地内に点在しています。

そのため、見学には十分な時間が必要です。

また、パッタダカルは、日差しが強い場所なので、帽子や日焼け止めクリームを持参することをおすすめします。

その他

パッタダカルには、宿泊施設がほとんどありません。

そのため、パッタダカルを訪れる場合は、バーダーミやハンピに宿泊することをおすすめします。

パッタダカルの建造物群は、歴史的な建造物なので、見学する際には、マナーを守って行動しましょう。

まとめ

パッタダカルの建造物群は、アクセスが難しい場所ですが、その価値は高いです。

見学には十分な時間と準備が必要です。

パッタダカルを訪れる際には、歴史的な建造物であることを意識し、マナーを守って行動しましょう。

参考文献

パッタダカルの建造物群(パッタダカルのけんぞうぶつぐん)とは …

パッタダカルの建造物群 | インド | 世界遺産オンラインガイド

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