項目 | 内容 |
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橋の名前 | ソコルル・メフメト・パシャ橋 |
建設場所 | ボスニア・ヘルツェゴビナ東部、スルプスカ共和国の町ヴィシェグラード |
架かる川 | ドリナ川 |
建設時期 | 16世紀末 |
設計者 | ミマール・スィナン |
全長 | 179.5m |
アーチの数 | 11 |
世界遺産登録年 | 2007年 |
1. ヴィシェグラードのメフメドパシャソコロヴィッチ橋の概要
ヴィシェグラードのメフメドパシャソコロヴィッチ橋とは?
ヴィシェグラードのメフメド・パシャ・ソコロヴィッチ橋は、ボスニア・ヘルツェゴビナ東部、スルプスカ共和国の町ヴィシェグラードにある橋で、市内を流れるドリナ川に架かっています。この橋は、オスマン帝国の宮廷建築家だったミマール・スィナンが16世紀末に手がけた橋で、当時のオスマン帝国の建築水準の高さを例証する産業遺産として、2007年にユネスコの世界遺産に登録されました。ボスニア・ヘルツェゴビナの世界遺産としては2例目の登録で、最初の登録物件であるスタリ・モストと同じく、橋の世界遺産です。
橋の名前は、この橋の建築を命じた大宰相ソコルル・メフメト・パシャ (Sokollu Mehmet Paşa) に由来します。全長は 179.5 m で、11の石組みのアーチから成っています。これらのアーチは、20世紀の二度の世界大戦で壊滅的な被害を受けたが、その後再建されて今に至る。ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争中のヴィシェグラードの虐殺(英語版)(1992年)では惨劇の現場にもなった。
ユーゴスラビアのノーベル文学賞受賞作家イヴォ・アンドリッチの代表作『ドリナの橋』は、このソコルル・メフメト・パシャ橋を舞台にした歴史小説である。
世界遺産としての価値
この世界遺産は世界遺産登録基準のうち、以下の条件を満たし、登録された(以下の基準は世界遺産センター公表の登録基準からの翻訳、引用である)。
登録基準(ii):古くから重要な地であったヴィシェグラードに築かれた橋は、バルカン半島、オスマン帝国、地中海で発達した技術や、キリスト教とイスラム教の交流が見られるという点。
登録基準(iv):橋はオスマン帝国の辺境に造られた現在でも残る建築物であり、建築史の重要な段階を示しているということ。
基準 | 内容 |
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登録基準(ii) | バルカン半島、オスマン帝国、地中海の技術交流 |
登録基準(iv) | オスマン帝国の建築史を示す |
ヴィシェグラードのメフメドパシャソコロヴィッチ橋の場所
ヴィシェグラードのメフメド・パシャ・ソコロヴィッチ橋は、ボスニア・ヘルツェゴビナ東部、スルプスカ共和国の町ヴィシェグラードにあります。ヴィシェグラードは、セルビアやモンテネグロの国境近くに位置し、ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボから約120キロの場所に位置します。
サラエボを含めボスニア・ヘルツェゴビナの主要都市からはバスが出ています。もっと効率的に観光をしたい方にはソコルル・メフメト・パシャ橋を含んだツアーへの参加か、レンタカーを借りて訪れるのがおすすめです。サラエボからは車で約2時間ほどです。
サラエボからのバスは1日に1本で、ヴィシェグラードから約14キロほど離れた街Strmicaまで約3時間ほどになります。
アクセス方法 | 所要時間 |
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サラエボからのバス | 約3時間 |
サラエボからの車 | 約2時間 |
ツアー参加 | 時間や内容はツアーによって異なる |
まとめ
ヴィシェグラードのメフメド・パシャ・ソコロヴィッチ橋は、ボスニア・ヘルツェゴビナ東部のドリナ川に架かる16世紀末に建設された橋です。オスマン帝国の宮廷建築家ミマール・スィナンによって設計されたこの橋は、当時のオスマン帝国の建築水準の高さを示す重要な建造物であり、2007年にユネスコの世界遺産に登録されました。
橋は、バルカン半島、オスマン帝国、地中海で発達した技術や、キリスト教とイスラム教の交流が見られる点、そしてオスマン帝国の辺境に造られた現在でも残る建築物であり、建築史の重要な段階を示している点で評価されています。
ヴィシェグラードは、セルビアやモンテネグロの国境近くに位置し、ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボから約120キロの場所に位置します。サラエボからバスやレンタカーでアクセスできます。
2. メフメドパシャソコロヴィッチ橋の建設経緯と背景
ソコルル・メフメト・パシャの役割
この橋の名前は、この橋の建築を命じた大宰相ソコルル・メフメト・パシャ (Sokollu Mehmet Paşa) に由来します。ソコルル・メフメト・パシャは、スレイマン1世に見出され、セリム2世、ムラト3世の3代に渡って仕えたオスマン帝国の大宰相でした。
彼は、急流で渡るのに苦労するドリナ川に橋をかけて生まれ育った地元に貢献したいということからメフメットパシャソコロヴィッチ橋を建設することを決意しました。
ミマール・スィナンの設計
橋の建設は1571年に着工し、1577年に完成しました。橋の設計をおこなったのはミマール・スィナンです。スィナンはトルコ中に多くのモスク、メドレサなどの建築に関わった人でブルーモスク、エデルネの巨大モスクなど数々の有名な建築物にも関わっています。
スィナンは世界遺産の建造物のいくつかに関わっています。この橋も関わっているのかという驚きがあります。橋は11のアーチからなる全長179.5mの石橋です。
橋の建設とその後
橋の建設着工は1571年で、完成は1577年です。橋の設計をおこなったのはミマール・スイナンです。スイナンはトルコ中に多くのモスク、メドレサなどの建築に関わった人でブルーモスク、エデルネの巨大モスクなど数々の有名な建築物にも関わっています。スイナンは世界遺産の建造物のいくつかに関わっています。
この橋も関わっているのかという驚きがあります。橋は11のアーチからなる全長179.5mの石橋です。橋を渡って行きます。
橋の前後に3つのダムが造られているために、川幅は広く、水面は波立たず、流れがありません。ダム湖といっていいようです。ダムができるまでは、急流の洪水がよくおこっていた川でした。
まとめ
ヴィシェグラードのメフメド・パシャ・ソコロヴィッチ橋は、オスマン帝国の大宰相ソコルル・メフメト・パシャの命により、16世紀に宮廷建築家ミマール・スィナンによって建設されました。
ソコルル・メフメト・パシャは、地元への貢献を目的として、ドリナ川に橋を架けることを決意しました。スィナンは、当時のオスマン帝国を代表する建築家であり、数々のモスクやメドレサなどの建築物に関わっていました。
橋は1571年に着工し、1577年に完成しました。11のアーチからなる全長179.5mの石橋で、当時のオスマン帝国の建築技術の高さを示しています。
3. メフメドパシャソコロヴィッチ橋の文化的価値と意義
文化の交流と融合
ヴィシェグラードのメフメド・パシャ・ソコロヴィッチ橋は、「文化の交流と融合を示す顕著な例」として評価されています。オスマン帝国の影響を受けた建築様式が見られ、その技術と美学は当時のヨーロッパとアジアの文化的交差点を示しています。
橋は、オスマン帝国の建築技術とヨーロッパの建築技術が融合した独特なデザインとなっています。また、橋の周辺には、オスマン帝国時代のモスクやバザールなどの建築物が残っており、当時の文化交流の様子を垣間見ることができます。
建築と技術の発展
ヴィシェグラードのメフメド・パシャ・ソコロヴィッチ橋は、「建築や技術の発展を示す顕著な例」としても評価されています。橋の設計と構造は、16世紀のオスマン建築の技術的革新と美学的価値を反映しています。
橋は、11のアーチから成り、その全長は179.5メートルに及びます。橋のデザインと構造は、オスマン帝国時代の建築技術の頂点を示しています。
文学作品や映画の舞台
ヴィシェグラードのメフメド・パシャ・ソコロヴィッチ橋は、オスマン帝国の影響を受けたボスニア・ヘルツェゴビナの重要な文化遺産です。橋は、地域の文化を反映し、多くの文学作品や映画の舞台ともなっています。
特に、ユーゴスラビアのノーベル文学賞受賞作家イヴォ・アンドリッチの代表作『ドリナの橋』は、このソコルル・メフメト・パシャ橋を舞台にした歴史小説です。この小説は、橋の建設から第一次世界大戦までの約400年の歴史を描いており、橋の文化的意義を象徴する作品として知られています。
まとめ
ヴィシェグラードのメフメド・パシャ・ソコロヴィッチ橋は、オスマン帝国の影響を受けた建築様式と、当時の技術革新を融合させた、文化的価値の高い建造物です。
橋は、ヨーロッパとアジアの文化的交差点を示すだけでなく、地域の文化を反映し、多くの文学作品や映画の舞台ともなっています。
この橋は、歴史的、文化的、建築的価値から、訪れる人々に深い感動を与えます。
4. メフメドパシャソコロヴィッチ橋の設計と構造
橋の構造
ヴィシェグラードのメフメド・パシャ・ソコロヴィッチ橋は、11のアーチから成り、その全長は179.5メートルに及びます。橋のデザインと構造は、オスマン帝国時代の建築技術の頂点を示しています。
橋は、ドリナ川に架かっており、川岸で直角に折れ、四つのアーチをもつ120mの傾斜路で道路と結ばれています。これは、地盤が硬く架橋が困難だった左岸側への対応策として考えられています。
構造 | 内容 |
---|---|
アーチの数 | 11 |
全長 | 179.5m |
幅 | 6.7m |
傾斜路 | 左岸側に4つのアーチを持つ120mの傾斜路 |
材質 | 石造り |
建築様式
橋は、オスマン建築の特徴である優雅なアーチと精巧な石細工が見られます。11のアーチはそれぞれ異なる高さと幅を持ち、全体として美しい調和を生み出しています。
橋の装飾には、イスラム教の伝統的なモチーフが用いられています。
技術革新
ヴィシェグラードのメフメド・パシャ・ソコロヴィッチ橋は、当時の技術革新を象徴する建造物です。橋の建設には、石材の加工技術やアーチ構造の技術などが用いられています。
特に、橋のアーチは、当時の技術水準では非常に高度な技術を用いて建設されています。
まとめ
ヴィシェグラードのメフメド・パシャ・ソコロヴィッチ橋は、11のアーチから成る全長179.5メートルの石造りの橋です。
橋は、オスマン建築の特徴である優雅なアーチと精巧な石細工が見られ、当時の技術革新を象徴する建造物です。
橋の設計と構造は、当時の技術水準では非常に高度な技術を用いて建設されており、オスマン帝国時代の建築技術の頂点を示しています。
5. メフメドパシャソコロヴィッチ橋周辺の観光スポット
イヴォ・アンドリッチの家
ヴィシェグラードのメフメド・パシャ・ソコロヴィッチ橋の近くには、ノーベル文学賞を受賞した作家イヴォ・アンドリッチの生家があります。
アンドリッチは、この橋を舞台にした小説『ドリナの橋』で知られています。小説は、橋の建設から第一次世界大戦までの約400年の歴史を描いており、橋の文化的意義を象徴する作品として知られています。
映画村
ヴィシェグラードには、映画村と呼ばれる観光スポットがあります。
映画村は、世界的に有名な映画監督エミール・クストリッツァが、イヴォ・アンドリッチの小説『ドリナの橋』を映画化した際に建設されたセットです。
ヴィシェグラードの街並み
ヴィシェグラードは、石畳が特徴的な街です。
街には、オスマン帝国時代の建築物が残っており、当時の雰囲気を感じることができます。
まとめ
ヴィシェグラードのメフメド・パシャ・ソコロヴィッチ橋周辺には、イヴォ・アンドリッチの家や映画村など、観光スポットがあります。
イヴォ・アンドリッチの家は、ノーベル文学賞を受賞した作家イヴォ・アンドリッチの生家で、映画村は、世界的に有名な映画監督エミール・クストリッツァが、イヴォ・アンドリッチの小説『ドリナの橋』を映画化した際に建設されたセットです。
ヴィシェグラードの街並みは、石畳が特徴的で、オスマン帝国時代の建築物が残っており、当時の雰囲気を感じることができます。
6. メフメドパシャソコロヴィッチ橋の現在と未来展望
橋の保存と修復
ヴィシェグラードのメフメド・パシャ・ソコロヴィッチ橋は、20世紀の二度の世界大戦で壊滅的な被害を受けましたが、その後再建されて今に至ります。
現在も、橋の保存と修復が続けられています。
観光客への影響
ヴィシェグラードのメフメド・パシャ・ソコロヴィッチ橋は、世界遺産に登録されたことで、多くの観光客が訪れるようになりました。
橋は、地域の経済活性化に貢献しています。
未来展望
ヴィシェグラードのメフメド・パシャ・ソコロヴィッチ橋は、今後も、歴史的、文化的、建築的な価値を継承していくことが期待されています。
橋は、地域の人々にとって重要なシンボルであり、今後も大切に保存されていくでしょう。
まとめ
ヴィシェグラードのメフメド・パシャ・ソコロヴィッチ橋は、世界遺産に登録されたことで、世界中から注目を集め、地域の経済活性化に貢献しています。
橋は、今後も、歴史的、文化的、建築的な価値を継承していくことが期待されています。
橋は、地域の人々にとって重要なシンボルであり、今後も大切に保存されていくでしょう。
参考文献
・歴史を映す世界遺産!ヴィシェグラードのソコルル・メフメト …
・ヴィシュシェグラードにある世界遺産の橋、メフメットパシャ …
・Mehmed Paša Sokolović Bridge in Višegrad – UNESCO …
・ヴィシェグラードのソコルル・メフメト・パシャ橋 | 世界遺産 …
・ヴィシェグラードのソコルル・メフメト・パシャ橋 | ボスニア …
・ヴィシェグラードのメフメド-パシャ-ソコロヴィッチ橋(ヴィ …
・Jaxa だいち(Alos)写真ギャラリー | ヴィシェグラードのメフメド …
・ソコルル・メフメト・パシャ橋 – ソコルル・メフメト・パシャ …
・ヴィシェグラードのメフメド・パシャ・ソコロヴィッチ橋 | Tosh …
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