項目 | 内容 |
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歴史 | ジェノヴァ共和国時代の隆盛、ストラーデ・ヌオーヴェの誕生、ロッリ制度の確立 |
建築 | ストラーデ・ヌオーヴェの建築様式、パラッツィ・デイ・ロッリ制度によるおもてなし |
意義 | パラッツィ・デイ・ロッリ制度とは、パラッツィ・デイ・ロッリ制度の価値、パラッツィ・デイ・ロッリ制度の評価 |
観光 | ストラーデ・ヌオーヴェの代表的な宮殿、その他の観光スポット、ジェノヴァのグルメ |
建造物 | パラッツォ・ステファノ・バルビ、パラッツォ・パッラヴィチーニ=カンビアソ、パラッツォ・パンタレオ・スピノーラ |
未来 | 観光都市としての発展、文化都市としての発展、国際的な交流拠点としての発展 |
1. ジェノヴァの歴史と文化
ジェノヴァ共和国の隆盛
イタリア北西部リグリア州の州都ジェノヴァは、中世、海洋貿易で発達し、イタリア4大海洋都市国家のひとつに数えられました。近世に入るとスペイン帝国などを支える金融センターとなり、ジェノヴァ中心部には数百軒の宮殿が築かれました。特にストラーダ・ヌオーヴァと呼ばれる3本の新街路には最上級の宮殿群が建設されました。世界遺産にはこれら3街路に位置し、16~17世紀に築かれたルネサンス、マニエリスム、バロック様式の42宮殿が登録されています。
天然の良港に恵まれたジェノヴァは古代から港町として発展し、ローマ時代には帝国の海軍基地にもなって港湾都市として発達しました。11世紀にコムーネ(自治都市)として独立してジェノヴァ共和国が成立し、地中海貿易に参戦。ビザンツ帝国やレヴァント地方(現在のシリア・ヨルダン・レバノン・イスラエル周辺)との遠隔地貿易、いわゆる東方貿易(レヴァント貿易)で莫大な富を築き、ヴェネツィアやピサ、アマルフィと並ぶイタリア4大海洋都市国家(すべて世界遺産)に数えられました。
1096年の第1回十字軍を皮切りに十字軍の遠征がはじまると、ジェノヴァはヴェネツィアとともに中心的な役割を果たしました。イスラム教徒と戦ってはいたがムスリム商人(イスラム教徒の商人)との取引は拡大し、西アジアや北アフリカに拠点を設けて地中海貿易は拡大しました。12世紀にアマルフィ、13世紀にピサが没落するとジェノヴァはヴェネツィアと並ぶ地中海の覇者となり、「海の支配者 \”la Dominante dei mari\”」と呼ばれました。
13~14世紀にかけて4次にわたるヴェネツィア=ジェノヴァ戦争が勃発し、両国は甚大な被害を出して終戦を迎えた。この戦争やオスマン帝国の地中海進出によって東方貿易は衰退しました。15世紀に大航海時代がはじまると新世界(ヨーロッパ人が大航海時代に発見した南北アメリカ大陸をはじめとする新たな土地)との交易が活発化し、地中海貿易は衰退して海洋都市としてのジェノヴァの繁栄は終了しました。しかし、黄金世紀を迎えるスペインに対する出資を中心に金融都市として成長し、再興に成功。16~17世紀には黄金時代を迎え、町にはルネサンスやマニエリスム、バロック様式の宮殿が立ち並んだ。
時代 | 出来事 |
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古代 | 港町として発展 |
中世 | 海洋貿易で発展、イタリア4大海洋都市国家に |
近世 | スペイン帝国の金融センターに |
16~17世紀 | ストラーデ・ヌオーヴェ建設、ロッリ制度確立 |
18世紀末 | フランス帝国に侵略 |
19世紀 | サルデーニャ王国に併合 |
ストラーデ・ヌオーヴェの誕生
中世、ジェノヴァは狭い通りが入り組んだ複雑な造りをしていた。経済が飛躍した16世紀半ば、貴族たちはより快適な新街区の整備を決め、巨匠ガレアッツォ・アレッシとその弟子ベルナルディーノ・カントーネ(特に後者)の設計で1551~83年に全長250m・幅7mのストラーダ・ヌオーヴァが建設されました(イタリア独立後にガリバルディ通りに改称)。通りには共和国を代表するパラッツォ・パッラヴィチーニ=カンビアソ、パラッツォ・パンタレオ・スピノーラ、パラッツォ・ドリア=スピノーラ、パラッツォ・バルトロメオ・ロメッリーニといった宮殿群が建設されました。
続いて近郊のロメッリニ通り沿いに新たな宮殿群が建設され、さらに1601~18年にかけてバルビ家が西に第2のストラーダ・ヌオーヴァ(現・バルビ通り)を整備しました。1778~86年にはふたつのストラーダ・ヌオーヴァを接続する街路としてストラーダ・ヌオビシマ(現・カイロリ通り)が整備されました。貴族たちはカントーネやジョヴァンニ・バティスタ・カステッロといったルネサンスやマニエリスム、バロックの名建築家を集めて街路整備と宮殿建設に励みました。
宮殿は一般的に3~4階建てのコートハウス(中庭を持つ建物)で、広いエントランス・ホールと階段を持ち、中庭をロッジア(柱廊装飾)が取り囲み、内部は彫刻や絵画、フレスコ画(生乾きの漆喰に顔料で描いた絵や模様)、スタッコ(化粧漆喰)細工で飾り立てられました。代表的な宮殿にはカントーネによるパラッツォ・ドリア、カステッロによるパラッツォ・カッレガ=カタルディ、両者によるパラッツォ・ポデスタなどがあります。
17世紀に整備されたバルビ通りではバロック様式による宮殿建設が盛んになり、より豪奢で装飾豊かなデザインが好まれました。代表的な宮殿には建築家バルトロメオ・ビアンコによるパラッツォ・バルビ=セナレガ、ピア・フランチェスコ・カントーネやカルロ・フォンタナらによるパラッツォ・ステファノ・バルビがあります。
時期 | 内容 |
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1551~1583年 | ストラーダ・ヌオーヴァ(ガリバルディ通り)建設 |
1601~1618年 | バルビ通り建設 |
1778~1786年 | カイロリ通り建設 |
ロッリ制度の確立
ジェノヴァの宮殿群は1576年の上院令に基づいて「ロッリ」と呼ばれる迎賓館目録に登録され、賓客をもてなしました。その数は16世紀末に約150棟、17世紀には約100棟、18世紀には約200棟に及んだ。ロッリには3つのレベルがあるが、ストラーデ・ヌオーヴェの宮殿群は国王・王子・総督のための最上級のリストに分類されました。これ以外に大地主や知事のためのリストなどが存在していました。
17世紀にスペインが没落するとジェノヴァも衰退し、繁栄は終わりを告げました。さらにサヴォイア公国やフランスといった国々との戦いで疲弊し、18世紀末にはナポレオンのフランス帝国に侵略されました。ナポレオン戦争の講和会議である1814~15年のウィーン会議でサルデーニャ王国に併合され、ジェノヴァ共和国は消滅しました。サルデーニャ王家であるサヴォイア家はパラッツォ・ステファノ・バルビを購入し、王宮=パラッツォ・レアーレとして整備しました。
世界遺産としてはストラーデ・ヌオーヴェとその周辺が地域として登録されており、最上級のロッリに含まれた宮殿群が登録されています。ストラーデ・ヌオーヴェはY字状の3街路からなり、東のカイロリ通り~ガリバルディ通り、西のバルビ通り、南のロメッリニ通り~フォッサテッロ通り~サン・ルーカ通りという3街路の42宮殿が登録対象となっています。
登録されている宮殿は(以下、パラッツォは略)、ドリア=スピノーラ、クレメンテ・デッラ・ロヴェレ、ジョルジョ・スピノーラ、トッマソ・スピノーラ、ジャコモ・スピノーラ、ネグローネ、パオロ・バッティスタ・エ・ニコロ・インテリアーノ、パッラヴィチーニ=カンビアソ、パンタレオ・スピノーラ、レルカリ=パロディ、カッレガ=カタルディ、アンジェロ・ジョヴァンニ・スピノーラ、ドリア・オ・ジオ・バッティスタ・スピノーラ、ポデスタ、カッタネオ・アドルノ、ドリア=トゥルシ、バルダッサーレ・ロメッリーニ、ビアンコ、ロッソ、ジェローラモ・グリマルディ、ジオ・カルロ・ブリニョーレ、バルトロメオ・ロメッリーニ、ロメッリーニ=ドリア・ランバ、ジャコモ・ロメッリーニ、ベリンバウ、ドゥラッツォ=パッラヴィチーニ、ジオ・フランチェスコ・バルビ、バルビ=セナレガ、フランチェスコ・マリア・バルビ・ピオヴェラ、ステファノ・バルビ(レア-レ)、コズマ・チェントゥリオーネ、ジョルジョ・チェントゥリオーネ、ジオ・バッティスタ・チェントゥリオーネ、チプリアーノ・パッラヴィチーニ、ニコロ・スピノーラ・ディ・サン・ルカ、スピノーラ・ディ・ペッリチェリア、ジオ・バッティスタ・グリマルディ、ジオ・バッティスタ・グリマルディ(前者と同名)、ステファノ・デ・マリ、アンブロージオ・ディ・ネグロ、エマヌエーレ・フィリベルト・ディ・ネグロ、デ・マリーニ=クローチェの42棟。
レベル | 対象 |
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第1レベル | 枢機卿、君主、副王、植民地総督 |
第2レベル | 封建領主、長官 |
第3レベル | 下位の君主、大使、使節 |
まとめ
ジェノヴァは、古代から港町として発展し、中世には海洋貿易で繁栄したイタリア4大海洋都市国家の一つとして名を馳せました。16世紀にはスペイン王室の銀行家となるほどに成長し、金融都市としての地位を確立しました。その富を背景に、16~17世紀にはルネサンス、マニエリスム、バロック様式の宮殿が建設され、街は華麗さを増しました。
特に、16世紀半ばに整備されたストラーデ・ヌオーヴェは、ジェノヴァ共和国の繁栄を象徴する街路として、現在もその美しい景観を保っています。この街路には、共和国を代表する貴族たちの邸宅が立ち並び、その多くは現在も博物館や美術館として公開されています。
ジェノヴァは、かつての栄光を今に伝える歴史都市として、世界中から観光客を集めています。ストラーデ・ヌオーヴェの宮殿群は、ジェノヴァの歴史と文化を物語る貴重な遺産であり、世界遺産に登録されたことは、その価値を世界に認められた証と言えるでしょう。
ジェノヴァは、歴史と文化、そして美しい街並みを兼ね備えた魅力的な都市です。かつての栄光を今に伝えるストラーデ・ヌオーヴェを訪れ、ジェノヴァの歴史と文化に触れてみてはいかがでしょうか。
2. レストラーデヌオーヴェとは?
ストラーデ・ヌオーヴェの由来
「ストラーデ・ヌオーヴェ」は、16世紀、ジェノヴァ共和国が要職にあるお客様を迎えた際に、もてなすように指定した、ジェノヴェーゼ貴族の中でもより財力と権力を備えた者たちの豪奢な私邸が主に並んだ通りのことです。また、彼らの邸宅をまとめて「パラッツィ・デイ・ロッリ(ロッリの邸宅群)」と呼び、この要人もてなしの様式を「パラッツィ・デイ・ロッリのシステム」と言います。
「Rolli(ロッリ)」という言葉は、「Rottoli(ロットリ)/筒状に巻かれたドキュメントで現存する建物に関する記録が記載されているものの名称」からきていて、要人のおもてなしの命を受けた貴族の私邸宅についても、このドキュメントに記載されていたことから、「パラッツィ・デイ・ロッリ(ロッリの邸宅群)」と呼ばれていると見られます。
公的な権限によって計画され、その役割を割り当てられ、上院議会の通達を基本に、私邸宅を公的な歓待に用いる独特なシステムに結びついた唯一の例として紹介されています。その歴史的かつ美しい建築様式もさることながら、このような点もユネスコ世界遺産に登録されたポイントになるようです。また、この都市計画のモデルの影響は、後のイタリア及びヨーロッパ文学によっても明らかにされています。
ルネサンス様式とバロック様式のものを一緒に含め「ストラーデ・ヌォーヴェ(複数の新しい通り)」と呼ばれていますが、現在のガリバルディ通り(Via Garibaldi)に立ち並んでいる、より大きい邸宅群が位置する場所は、16世紀後半に貴族の居住地域として形成されました。一般的に3-4階建ての建物は、比較的限られたスペースにおいて、段々に造られた庭園、それに直面する華やかな大階段、中庭、柱廊が特徴的です。
名称 | 内容 |
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Rottoli | 筒状に巻かれたドキュメントで現存する建物に関する記録 |
Rolli | 要人のおもてなしの命を受けた貴族の私邸宅に関する記録 |
ロッリ制度によるおもてなし
これらの邸宅は、大きさや美しさによって3段階に区分されていますが、客人の高位により、くじでどの邸宅でもてなされるかが割り振られていました。第1のレベルでは、枢機卿(カトリック教会で教皇に最も近い身分の人たち)・各君主・副王・植民地総督を、第2のレベルでは、封建領主や長官を、第3のレベルでは、下位の君主や大使、使節を受け入れ、歓待することが義務付けられていました。
これらのもてなしを受けた客人たちが、地元に戻って「パラッツィ・デイ・ロッリ」の建築様式や文化について語ったことにより、有名なアーティストや旅行家たちは魅了され、自己の技量を提供するためにジェノヴァにやって来るようになりました。その重要な証拠の一つが、ここに残されていて、パラッツォ・ビアンコ(Palazzo Bianco/白い宮殿)で鑑賞できるピーター・ポール・ルーベンスの絵画コレクションなどになります。
パラッツィ・デイ・ロッリに指定されているものとして有名なものは、ガリバルディ通り(Via Garibaldi)に集中していますが、北西端はプリンチペ駅から伸びるバルビ通り(Via Balbi)に位置するパラッツォ・レアーレ(Palazzo Reale/王宮)、東端はコルヴェット広場(Piazza Corvetto)に面し、現在は県庁の建物として使用されているドリア/アントニオ邸、南端はポルト・アンティーコ(旧港)にほど近いデ・マリーニ-クローチェ邸と、42の建物がそれに指定されています。
美術館として一般に公開されているもの以外に、その多くは官庁組織・各種銀行・一般オフィス・一般居住地として使用されていますので、全ての建物の中に足を踏み入れることはできませんが、地図を片手に町歩きをしながら、邸宅群の様式を鑑賞するのも、また味わい深いところです。2006年7月13日よりユネスコ世界遺産に登録されたジェノヴァの見所スポットです。華やかな記念碑的ガリバルディ通りは、16世紀後半から17世紀前半のストラーデ・ヌオーヴェ(「新しい通り」の意)の中でも、特に一般公開されている美術館が複数位置している通りなので必見です!(2019年12月)
レベル | 対象 |
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第1レベル | 枢機卿、君主、副王、植民地総督 |
第2レベル | 封建領主、長官 |
第3レベル | 下位の君主、大使、使節 |
ストラーデ・ヌオーヴェの建築様式
ストラーデ・ヌオーヴェは、ジェノヴァの大通りの一つで、商業的な中心地に近い16世紀の邸宅群が並んでいる街区である。同時に、立ち並ぶ宮殿(パラッツォ)群が建築学上の大きなインパクトを持っている歴史地区の大通りである。スタール夫人はこの通りを「王たちの通り」(Via dei Re)と呼ぶに相応しいとした。
かつてはストラーダ・ヌオーヴァ(新街路)と呼ばれたが、1882年にイタリア統一に功があったジュゼッペ・ガリバルディにあやかって改称された。かつてのジェノヴァ共和国時代の「迎賓館目録」(Rolli degli alloggiamenti pubblici)は、身分の高い人々を迎えるための宮殿や貴族の高級住宅をまとめた一覧だった。
そこに挙げられていた宮殿のうち、パラッツォ・カンビャーゾ(Palazzo Cambiaso
この世界遺産は世界遺産登録基準のうち、以下の条件を満たし、登録された(以下の基準は世界遺産センター公表の登録基準からの翻訳、引用である)。
通り | 位置 |
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ガリバルディ通り | ストラーデ・ヌオーヴェの中心 |
バルビ通り | ストラーデ・ヌオーヴェの北西端 |
カイロリ通り | ストラーデ・ヌオーヴェの東端 |
ロメッリニ通り | ストラーデ・ヌオーヴェの南端 |
まとめ
ストラーデ・ヌオーヴェは、ジェノヴァ共和国が要職にあるお客様を迎える際に、もてなすように指定した、ジェノヴェーゼ貴族の中でもより財力と権力を備えた者たちの豪奢な私邸が主に並んだ通りです。
これらの邸宅は、大きさや美しさによって3段階に区分され、客人の高位により、くじでどの邸宅でもてなされるかが割り振られていました。
ストラーデ・ヌオーヴェは、ルネサンス様式とバロック様式の美しい建築様式が調和し、歴史的な価値と芸術的な価値を兼ね備えています。
現在も多くの邸宅が博物館や美術館として公開されており、当時のジェノヴァの文化や建築様式を垣間見ることができます。
3. パラッツィデイロッリ制度の意義
パラッツィ・デイ・ロッリ制度とは
パラッツィ・デイ・ロッリ制度とは、ジェノヴァ共和国が、世界各国から訪れる要人を迎えるために、貴族の邸宅を公的な宿泊施設として指定した制度のことです。1576年にジェノヴァ共和国の上院は、最も優れた宮殿を、著名なゲストのための公的な宿泊施設として登録するロッリ制度を確立しました。
この制度は、ジェノヴァ共和国の経済力と政治力を示すものであり、同時に、当時のヨーロッパにおける都市計画と建築の発展に大きな影響を与えました。
ロッリ制度は、貴族の邸宅を公的な宿泊施設として利用することで、ジェノヴァ共和国の威信を高め、国際的な交流を促進する役割を果たしました。
また、この制度は、ジェノヴァの都市計画と建築の発展に大きな影響を与え、後のイタリア及びヨーロッパの都市計画にも影響を与えました。
パラッツィ・デイ・ロッリ制度の価値
パラッツィ・デイ・ロッリ制度は、ジェノヴァ共和国の経済力と政治力を示すだけでなく、当時のヨーロッパにおける都市計画と建築の発展に大きな影響を与えたという点で、世界遺産に登録されました。
ストラーデ・ヌオーヴェの宮殿群は、ルネサンス様式とバロック様式の建築様式が調和し、当時のジェノヴァの文化や建築様式を物語る貴重な遺産です。
また、パラッツィ・デイ・ロッリ制度は、貴族の邸宅を公的な宿泊施設として利用することで、ジェノヴァ共和国の威信を高め、国際的な交流を促進する役割を果たしました。
この制度は、当時のヨーロッパにおける都市計画と建築の発展に大きな影響を与え、後のイタリア及びヨーロッパの都市計画にも影響を与えました。
パラッツィ・デイ・ロッリ制度の評価
パラッツィ・デイ・ロッリ制度は、世界遺産登録基準のうち、以下の条件を満たし、登録されました。
(ii) – 建築、科学技術、記念碑、都市計画、景観設計の発展に重要な影響を与えた、ある期間にわたる価値観の交流又はある文化圏内での価値観の交流を示すものである。
(iv) – 歴史上の重要な段階を物語る建築物、その集合体、科学技術の集合体、あるいは景観を代表する顕著な見本である。
パラッツィ・デイ・ロッリ制度は、ジェノヴァ共和国の経済力と政治力を示すだけでなく、当時のヨーロッパにおける都市計画と建築の発展に大きな影響を与えたという点で、世界遺産に登録されました。
基準 | 内容 |
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(ii) | 建築、科学技術、記念碑、都市計画、景観設計の発展に重要な影響を与えた |
(iv) | 歴史上の重要な段階を物語る建築物、その集合体、科学技術の集合体、あるいは景観を代表する顕著な見本である |
まとめ
パラッツィ・デイ・ロッリ制度は、ジェノヴァ共和国が、世界各国から訪れる要人を迎えるために、貴族の邸宅を公的な宿泊施設として指定した制度のことです。
この制度は、ジェノヴァ共和国の経済力と政治力を示すものであり、同時に、当時のヨーロッパにおける都市計画と建築の発展に大きな影響を与えました。
パラッツィ・デイ・ロッリ制度は、ジェノヴァ共和国の威信を高め、国際的な交流を促進する役割を果たしました。
この制度は、当時のヨーロッパにおける都市計画と建築の発展に大きな影響を与え、後のイタリア及びヨーロッパの都市計画にも影響を与えました。
4. ジェノヴァの観光名所と見どころ
ストラーデ・ヌオーヴェの代表的な宮殿
ストラーデ・ヌオーヴェには、多くの美しい宮殿が立ち並んでいますが、中でも有名なのは、パラッツォ・ステファノ・バルビ、パラッツォ・パッラヴィチーニ=カンビアソ、パラッツォ・パンタレオ・スピノーラ、パラッツォ・ポデスタ、パラッツォ・カッレガ=カタルディ、パラッツォ・バルビ=セナレガ、パラッツォ・ロッソなどです。
パラッツォ・ステファノ・バルビは、ジェノヴァの名門バルビ家が17世紀に建設した宮殿で、現在は王宮として使用されています。バロック様式の豪華な内装が特徴で、特に鏡のギャラリーは必見です。
パラッツォ・パッラヴィチーニ=カンビアソは、1558年頃に建築家ベルナルディーノ・カントーネが設計した宮殿で、画家ルーベンスはここで迎えられて『ニコロ・パッラヴィチーニの肖像』などの作品を残しました。
パラッツォ・パンタレオ・スピノーラは、1558年頃にジェノヴァ・バロックの第一人者とされるベルナルド・スパツィの設計で建設された宮殿で、内部はジョヴァンニ・カルローネとジョヴァンニ・バッティスタ・カルローネの兄弟の見事なフレスコ画をはじめ、美しい装飾で彩られています。
宮殿 | 特徴 |
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パラッツォ・ステファノ・バルビ | バロック様式、鏡のギャラリー |
パラッツォ・パッラヴィチーニ=カンビアソ | ルネサンス、マニエリスム、バロック様式の融合 |
パラッツォ・パンタレオ・スピノーラ | シンプルな外観、美しい装飾 |
パラッツォ・ポデスタ | 豪華なファサード、マニエリスム様式のスタッコ |
パラッツォ・カッレガ=カタルディ | ルネサンス様式とバロック様式の融合 |
パラッツォ・バルビ=セナレガ | 豪奢なバロック空間 |
パラッツォ・ロッソ | バロック&ロココ様式の彫刻、スタッコ細工 |
その他の観光スポット
ストラーデ・ヌオーヴェ以外にも、ジェノヴァには、歴史的な建造物や美術館、教会など、多くの観光スポットがあります。
ジェノヴァ大聖堂は、11世紀に建設されたロマネスク様式の教会で、ジェノヴァの象徴的な建造物です。
ジェノヴァ水族館は、世界最大級の水族館の一つで、様々な海洋生物を見ることができます。
ジェノヴァ旧港は、かつてジェノヴァ共和国が栄えた港で、現在も活気のある港町として賑わっています。
スポット | 特徴 |
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ジェノヴァ大聖堂 | ロマネスク様式、ジェノヴァの象徴 |
ジェノヴァ水族館 | 世界最大級の水族館 |
ジェノヴァ旧港 | かつてのジェノヴァ共和国の港 |
白の宮殿 | ストラーダ・ヌオーヴァ美術館、カラヴァッジオの作品 |
赤の宮殿 | ストラーデ・ヌオーヴァ美術館、ブリニョーレ・サーレ家のコレクション |
ドーリア・トゥルシ宮殿 | ストラーデ・ヌオーヴァ美術館、市庁舎 |
ジェノヴァのグルメ
ジェノヴァは、海の幸が豊富な街として知られており、新鮮な魚介を使った料理が楽しめます。
ジェノヴァ名物のジェノベーゼパスタは、バジル、松の実、チーズを使ったパスタで、独特の風味があります。
また、ジェノヴァでは、フォカッチャと呼ばれるパンも有名です。
ジェノヴァの街を散策しながら、美味しい料理を味わってみてください。
料理 | 特徴 |
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ジェノベーゼパスタ | バジル、松の実、チーズを使ったパスタ |
フォカッチャ | ジェノヴァで有名なパン |
魚介料理 | 新鮮な魚介を使った料理 |
まとめ
ジェノヴァは、歴史的な建造物、美術館、教会、港町など、多くの観光スポットがあります。
ストラーデ・ヌオーヴェの宮殿群は、ジェノヴァの歴史と文化を物語る貴重な遺産であり、必見です。
ジェノヴァは、海の幸が豊富な街として知られており、新鮮な魚介を使った料理が楽しめます。
ジェノヴァを訪れる際は、歴史と文化、そして美味しい料理を満喫してください。
5. パラッツィデイロッリの建造物と美術品
パラッツォ・ステファノ・バルビ
パラッツォ・ステファノ・バルビは、もともとジェノヴァの名門バルビ家が17世紀に建設した宮殿ですが、ドゥラッツォ家などの手を経て19世紀はじめにサヴォイア家が購入して王宮=パラッツォ・レアーレとして整備しました。
ジェノヴァの宮殿でもっとも豪奢なバロック建築として知られ、特に鏡のギャラリーは名高く、当時は高価だった鏡を惜しげもなく使用し、ローマ神話の神々を描いたジェノヴァの巨匠ドメニコ・パロディのフレスコ画やフィリッポ・パロディの彫像等で飾られている。
また、絵画のギャラリーはベルナルド・ストロッツィ、ジョヴァンニ・バッティスタ・ガウッリ、ドメニコ・フィアセッラ、ティントレット、ルカ・ジョルダーノといった名だたる芸術家の作品を収蔵している。
庭も広く、八角形の池を中心とした幾何学式庭園でも知られる。
場所 | 内容 |
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鏡のギャラリー | ローマ神話の神々を描いたフレスコ画 |
絵画のギャラリー | ベルナルド・ストロッツィ、ジョヴァンニ・バッティスタ・ガウッリ、ドメニコ・フィアセッラ、ティントレット、ルカ・ジョルダーノの作品 |
庭園 | 八角形の池を中心とした幾何学式庭園 |
パラッツォ・パッラヴィチーニ=カンビアソ
パラッツォ・パッラヴィチーニ=カンビアソは1558年頃にパッラヴィチーニ家の邸宅として建築家ベルナルディーノ・カントーネが設計した宮殿で、画家ルーベンスはここで迎えられて『ニコロ・パッラヴィチーニの肖像』などの作品を残した。
また、アンドレアととオッタヴィオのセミノ兄弟の作品『サビニ女性の略奪』や『愛とプシュケー』もよく知られる。
建物としてはルネサンス、マニエリスム様式からバロック様式への過渡期にあたる建築で、それぞれの影響が見られる。
同宮殿は18世紀にカンビアソ家が購入して現在の名前となった。
場所 | 内容 |
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絵画 | ルーベンスの『ニコロ・パッラヴィチーニの肖像』 |
絵画 | セミノ兄弟の『サビニ女性の略奪』 |
絵画 | セミノ兄弟の『愛とプシュケー』 |
パラッツォ・パンタレオ・スピノーラ
パラッツォ・パンタレオ・スピノーラはパラッツォ・ガンバロとも呼ばれるスピノーラ家の宮殿で、1558年頃にジェノヴァ・バロックの第一人者とされるベルナルド・スパツィの設計で建設された。
外観はマニエリスムの影響を残すシンプルな造りだが、内部はジョヴァンニ・カルローネとジョヴァンニ・バッティスタ・カルローネの兄弟の見事なフレスコ画をはじめ、美しい装飾で彩られている。
パラッツォ・ポデスタはベルナルディーノ・カントーネとジョヴァンニ・バティスタ・カステッロというふたりの名建築家が設計した宮殿で、16世紀半ばに建設された。
スタッコ細工で装飾された豪華なファサードを持ち、内部もマニエリスム様式のスタッコやベルナルド・ストロッツィやドメニコ・パロディ、ジャコモ・ボーニらのフレスコ画で飾られている。
場所 | 内容 |
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内部 | ジョヴァンニ・カルローネとジョヴァンニ・バッティスタ・カルローネの兄弟の見事なフレスコ画 |
外観 | マニエリスムの影響を残すシンプルな造り |
まとめ
ストラーデ・ヌオーヴェには、パラッツォ・ステファノ・バルビ、パラッツォ・パッラヴィチーニ=カンビアソ、パラッツォ・パンタレオ・スピノーラなど、多くの美しい宮殿があります。
これらの宮殿は、ルネサンス様式、マニエリスム様式、バロック様式など、様々な建築様式で建てられており、当時のジェノヴァの文化や建築様式を物語る貴重な遺産です。
宮殿内には、ルーベンス、カラヴァッジオ、ティントレットなど、著名な芸術家の作品が数多く展示されています。
ストラーデ・ヌオーヴェを訪れる際は、これらの宮殿を巡り、当時のジェノヴァの文化や芸術に触れてみてください。
6. ジェノヴァの未来への可能性
観光都市としての発展
ジェノヴァは、歴史的な建造物や美術館、教会、港町など、多くの観光スポットがあり、世界中から観光客を集めています。
ストラーデ・ヌオーヴェの宮殿群は、ジェノヴァの歴史と文化を物語る貴重な遺産であり、観光客にとって大きな魅力となっています。
ジェノヴァは、観光都市としての発展を続けており、今後も多くの観光客が訪れることが予想されます。
ジェノヴァは、歴史と文化、そして美しい街並みを兼ね備えた魅力的な都市です。
文化都市としての発展
ジェノヴァは、歴史と文化が豊かな都市であり、多くの美術館や劇場、音楽ホールがあります。
ストラーデ・ヌオーヴェの宮殿群は、ジェノヴァの文化を象徴する場所であり、今後も多くの文化イベントが開催されることが予想されます。
ジェノヴァは、文化都市としての発展を続けており、今後も多くの芸術家や文化人が集まる街となるでしょう。
ジェノヴァは、歴史と文化、そして芸術が調和した魅力的な都市です。
国際的な交流拠点としての発展
ジェノヴァは、地中海に面した港町であり、古くから国際的な交流拠点として発展してきました。
ストラーデ・ヌオーヴェの宮殿群は、ジェノヴァの国際的な交流の歴史を物語る場所であり、今後も多くの国際的なイベントが開催されることが予想されます。
ジェノヴァは、国際的な交流拠点としての発展を続けており、今後も世界中の人々が集まる街となるでしょう。
ジェノヴァは、歴史と文化、そして国際的な交流が活発な魅力的な都市です。
まとめ
ジェノヴァは、歴史と文化、そして美しい街並みを兼ね備えた魅力的な都市です。
ストラーデ・ヌオーヴェの宮殿群は、ジェノヴァの歴史と文化を物語る貴重な遺産であり、世界遺産に登録されたことは、その価値を世界に認められた証と言えるでしょう。
ジェノヴァは、観光都市、文化都市、国際的な交流拠点としての発展を続けており、今後も多くの観光客や芸術家、文化人が集まる街となるでしょう。
ジェノヴァを訪れ、歴史と文化、そして美しい街並みを満喫してください。
参考文献
・ジェノヴァのレ・ストラーデ・ヌオーヴェとパラッツィ・デイ …
・ジェノヴァ:レ・ストラーデ・ヌオーヴェとパラッツィ・デイ …
・ストラーデ・ヌオーヴェ(新道)とパラッツィ・デイ・ロッリ …
・ジェノヴァのレ・ストラーデ・ヌオーヴェとパラッツィ・デイ …
・ジェノヴァ:レ・ストラーデ・ヌオーヴェ とパラッツィ・デイ …
・ジェノヴァ:レ-ストラーデ-ヌオーヴェとパラッツィ-デイ-ロッリ …
・『正式名称が「レ・ストラーデ・ヌオーヴェ とパラッツィ …
・ジェノヴァのレ・ストラーデ・ヌオーヴェとパラッツィ・デイ …
・「ジェノヴァ/レ・ストラーデ・ヌオーヴェとパラッツィ・デイ …
・実は名画が眠る世界遺産。ジェノヴァ、白の宮殿 – イタリア …
・ジェノヴァのレ・ストラーデ・ヌオーヴェとパラッツィ・デイ …
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・ジェノヴァ:レ・ストラーデ・ヌオーヴェ とパラッツィ・デイ …
・Genoa: Le Strade Nuove and the system of the Palazzi dei Rolli