要素 | 内容 |
---|---|
倉庫街 | シュパイヒャーシュタット |
商館街 | コントーアハウス地区 |
代表的な建築物 | チリハウス |
世界遺産登録基準 | (iv) 歴史上の重要な段階を物語る建築物、その集合体、科学技術の集合体、あるいは景観を代表する顕著な見本である。 |
1. ハンブルクの倉庫街とは何か
ハンブルクの倉庫街の歴史
ハンブルクは、かつてハンザ同盟の主要都市として栄えていました。しかし、1842年のハンブルク大火により、中世の街並みはほとんど失われてしまいました。17世紀以降、ハンザ同盟は衰退に向かいましたが、18世紀以降のハンブルクは、アメリカ合衆国の独立やラテンアメリカ諸国の相次ぐ独立に後押しされ、経済的に最盛期を迎えます。ハンブルク・アメリカ郵船会社が急成長を遂げたことも、その要因の一つです。
ハンブルクは中世以来、経済的独立性を保ち、ドイツ関税同盟が成立した後も加わることはなかったのですが、1871年のドイツ帝国成立で情勢が変化します。首相オットー・フォン・ビスマルクがハンブルクをドイツ関税同盟に組み込むことを決め、1880年に通告したのです。これに対し、ハンブルクの商人団はビスマルクと交渉し、自由港地区は残すことと、1881年から1888年を移行期間とした上での加入とすることを承認させました。
ハンブルクはこの移行期間中にハンブルク港を整備しますが、その際には2万人以上の住民を立ち退かせ、既存の建物もことごとく撤去し、まったく新しい港へと生まれ変わらせたのです。世界遺産に登録されたシュパイヒャーシュタットの倉庫群も、このときに形成され始めたのです。ビスマルクとの合意通り、1888年には関税同盟に加入し、ハンブルク港に自由港が改めて公式に開かれました。19世紀前半に5万人に過ぎなかった人口も急増し、20世紀初頭のハンブルクは百万都市となりました。
1896年から1913年にかけての世界経済は、重化学工業を中心に工業生産が急伸し、世界の貿易総額は約3倍に成長しました。ドイツはその中で世界2位の貿易額を占めていました。ドイツの場合、貿易の成長は工業発展に裏打ちされており、イギリスがなおも繊維品が首位を占めていたのと異なり、鉄鋼を皮切りに重化学工業の品々が輸出の4割近くを占め、その7割以上が欧州市場向けとなっていたのです。
時期 | ブロック |
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1885年 – 1888年 | ブロックAからOまで |
1891年 – 1896年 | ブロックPおよびブロックQ/R |
1899年 – 1927年 | ブロックSからXまで |
シュパイヒャーシュタットの建設
シュパイヒャーシュタットは、エルベ川の中洲に、19世紀以降発達した倉庫の建ち並ぶ地区です。自由港に形成された倉庫群で、19世紀末の時点では倉庫街として世界最大規模でした。その延べ床面積30万平方メートルは、まとまった倉庫群の規模としては、現代においても世界最大級です。
シュパイヒャーシュタットは、ドイツ関税同盟に組み込まれる前の移行期間中に建てられ始めました。1881年に持ち上がった計画が1883年にビスマルクの許可を得た後、1885年設立のハンブルク自由港倉庫建築組合によって実現しました。その実現に大きな影響力を持ったのが、1872年にハンブルク建設局の主任技師に就任したフランツ・アンドレアス・マイヤーです。
マイヤーはハンブルク出身ですが、ハノーファーで建築を学んだため、歴史主義建築の中でも当時「ハノーファー派」と呼ばれたレンガ造りのネオ・ゴシック様式の影響を強く受けました。その結果できあがったネオ・ゴシック様式の倉庫群の重厚な外観などは、城に例えられることもあります。その倉庫群は、レンガ造りの7階建てで、上部には軒蛇腹、階段状の張り出し切妻といった装飾要素がいくらか存在します。
倉庫はいくつもの区画(ブロック)に分けられており、その建築は1885年から1927年まで、3段階に分けられます。第1期はブロックAからOまで、第2期はブロックPおよびブロックQ/R、第3期はブロックSからXまでです。なお、ブロックA
商品 | 特徴 |
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タバコ | 当時の高級品 |
生糸 | 当時の高級品 |
香料 | 当時の高級品 |
カカオ豆 | 取扱量は世界最大 |
コーヒー | 取扱量は世界最大 |
絨毯 | 取扱量は世界最大 |
シュパイヒャーシュタットの機能
倉庫群は関税運河などに面しており、船から直接荷揚げできるようになっています。荷揚げする際には屋根から下がる滑車を利用しましたが、その中には世界遺産登録時点でも稼動しているものもあるそうです。19世紀の主な取扱商品はタバコ、生糸、香料などで、特にカカオ豆、コーヒー、絨毯の取扱量は世界最大だったとされています。
自由港地区が形成された当初は居住に使うことは認められていませんでしたが、このルールは1997年に改正されました。一帯は、大規模なウォーターフロント再開発の一端として、いわゆる「ハーフェンシティ」に含まれていますが、シュパイヒャーシュタットは可能な限り、修復・保存する方針が採用されました。
ただ、シェンゲン協定の広まりにともなって自由港としての意義が薄れた結果、使用されなくなった倉庫の中には、IT企業などが入って再利用している事例もあるそうです。世界遺産には、当時の姿をとどめる15のブロックと、関連する6つの旧施設、すなわち旧ボイラー棟、旧中央動力棟、旧コーヒー取引所、旧有人火災報知棟、旧巻き揚げ機操縦士棟、旧税関が含まれます。
シュパイヒャーシュタットは、ハンブルクが国際貿易港として発展した歴史を物語る重要な建造物群です。レンガ造りの重厚な外観は、当時の繁栄を今に伝えています。
まとめ
ハンブルクの倉庫街は、19世紀後半から20世紀初頭にかけて、国際貿易の急成長によって形成された、世界最大級の倉庫群です。ドイツ関税同盟への加入を機に、ハンブルクは自由港地区を残した上で、港の整備を進め、シュパイヒャーシュタットの倉庫群もその一環として建設されました。
シュパイヒャーシュタットは、当時の国際貿易の中心地としてのハンブルクの繁栄を象徴する建造物群であり、その歴史的価値と建築的価値から、2015年に世界遺産に登録されました。
現在では、一部の倉庫は博物館やオフィスなどに転用されていますが、当時の姿をとどめる倉庫群は、ハンブルクの歴史と文化を伝える貴重な遺産として、多くの人々に親しまれています。
シュパイヒャーシュタットを訪れる際には、レンガ造りの重厚な外観だけでなく、運河や橋などの周辺環境にも注目してみてください。当時のハンブルクの活気と、歴史の重みを感じることができるでしょう。
2. チリハウスとはどんな建造物か
チリハウスの建築概要
チリハウスは、ハンブルクの商館街にある、フリッツ・ヘーガーによって設計された表現主義建築の傑作です。1922年に着工し、1924年4月に竣工しました。面積は5
チリハウスは、チリ硝石の取り扱いで財を築いたハンブルクの富豪ヘンリー・ブラレンス・スローマンにちなんで名付けられました。スローマンは、この場所に新しい建物を建てることを決意し、複数の建築家に計画案を作成してもらいました。その中から、ヘーガーの提案が採用されたのです。
チリハウスは、コンクリート構造の建物ですが、外装材にはレンガが用いられました。ヘーガーは、自然や風土と一体化する建築を目指し、レンガを「建築の宝石」と称していました。チリハウスにおけるレンガは、構造の重量を支える必要がない分、ヘーガーは自由なデザインで貼り付けていったそうです。その数は実に480万個にもなるといいます。
チリハウスの最も特徴的な部分は、東端の鋭いファサードです。これは、ヘーガーが途中で計画を変更して追加したもので、スローマンとの議論を経て確定したものです。船の舳先にも例えられるそのダイナミックな形状は、他の表現主義建築にも先例がなく、ハンブルクにとどまらずベルリンの表現主義建築にも影響を与えたと言われています。
項目 | 内容 |
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着工 | 1922年 |
竣工 | 1924年4月 |
面積 | 5,950平方メートル |
延べ床面積 | 36,000平方メートル |
階数 | 10階建て |
外装材 | レンガ(クリンカー煉瓦) |
チリハウスの設計思想
チリハウスは、当時のドイツで流行していたインターナショナル・スタイルとは異なる、表現主義建築の代表作です。ヘーガーは、伝統的なレンガ建築を現代的に解釈し、斬新なデザインを生み出しました。
チリハウスは、機能性と美しさを兼ね備えた建物として設計されました。内部は、テナントが自由に利用しやすいように、垂直の動線を中央に集め、仕切り壁などは設けられていません。また、建物の真ん中を通り抜けるフィッシャートヴィーテという小道が設けられており、建物の雰囲気を味わうことができます。
チリハウスは、周辺環境への配慮も考慮されています。建物の7階から上の部分が少しずつセットバックさせているのは、10階建ての高さによる圧迫感が周辺に生まれないようにするためです。また、道路をまたぐ一体的な建物にすることで、200メートルにわたる長大なファサードを実現しました。
チリハウスは、単なるオフィスビルではなく、当時のハンブルクの経済発展と、表現主義建築の革新性を象徴する建造物です。
チリハウスの評価
チリハウスは、建築界だけでなく、文学界でも高い評価を受けています。カール・ヴェルマンは、チリハウスについて「新しい造形の規範を大きな商館建築のために見いだした」と評価しました。また、ルドルフ・G・ビンディングは、チリハウスを激賞したと言われています。
チリハウスは、ハンブルクの街のシンボルとして、多くの人々に愛されています。その独特なデザインは、多くの観光客を魅了し、写真撮影スポットとしても人気です。
チリハウスは、現在もオフィスビルとして使用されています。そのため、建物内を自由に観光することはできませんが、建物の外からその独特なデザインを鑑賞することができます。
チリハウスは、ハンブルクの歴史と文化を伝える重要な建造物であり、世界遺産に登録された「ハンブルクの倉庫街とチリハウスを含む商館街」の重要な構成要素の一つです。
まとめ
チリハウスは、ハンブルクの商館街にある、表現主義建築の傑作です。フリッツ・ヘーガーによって設計され、1924年に竣工しました。チリハウスは、その独特なデザインと、機能性と美しさを兼ね備えた建築様式で、多くの人々を魅了しています。
チリハウスは、当時のハンブルクの経済発展と、表現主義建築の革新性を象徴する建造物であり、世界遺産に登録された「ハンブルクの倉庫街とチリハウスを含む商館街」の重要な構成要素の一つです。
チリハウスを訪れる際には、その鋭いファサードだけでなく、レンガの積み重ね方や、周辺環境との調和にも注目してみてください。チリハウスは、単なる建物ではなく、当時のハンブルクの文化と歴史を伝える貴重な遺産です。
チリハウスは、ハンブルクを訪れる際には、ぜひ訪れてほしい観光スポットの一つです。
3. 商館街の魅力とは
商館街の形成
コントーアハウス地区は、シュパイヒャーシュタットに隣接するオフィスビル街です。19世紀後半から20世紀初頭に形成された一連のオフィスビルはコントーアハウスと呼ばれ、日本では「商館(建築)」などと訳出されます。
それらは倉庫街の形成と急速な経済発展に対応して求められるようになったものですが、19世紀末から20世紀初頭にかけてドイツで見られた故郷保護運動およびそれに基づく故郷保護建築・故郷様式の影響を受けたのです。
それらの運動や様式は工業化や合理主義化への反動という側面を持ち、アイデンティティを伝統の中に求めることを志向していたので、ハンブルクにおいても北ドイツの伝統的様式が再評価されました。そして、ハンブルクにおいてどのような商館が望ましいかという議論になった際には、シカゴ流の合理性最優先の高層建築は拒絶され、歴史的価値や建築的価値を尊重する観点から、7階建てから11階建てまでとすることが決められたのです。
この商館建築の躯体は鉄骨鉄筋コンクリート構造で作られていました。外装材は、19世紀末の時点までは、主に漆喰によりネオ・ルネッサンス様式の仕上げが採用されていましたが、故郷保護運動のイデオロギーにより故郷性(Heimatlichkeit)が重視され、北ドイツでの伝統的素材であるレンガが注目されたのです。
商館街の建築様式
もともと北ドイツでは石材の調達が難しいこともあり、12世紀頃からレンガ建築が広まっていたのです。19世紀末以降、レンガの中でも色彩、硬度、対候性に優れたクリンカー煉瓦が普及したことも、これを後押ししました。
ハンブルクの故郷保護運動の中心人物は、ハンブルク美術館館長のアルフレート・リヒトヴァルクで、その理念の下で建築を進めたのがハンブルク市建築監理長官アルバート・エルベでした。レンガの商館建築では、当初彼らの影響が大きかったのですが、大きな画期となったのはフリッツ・シューマッハーでした。
1909年にハンブルクの都市建築主監として招かれたシューマッハーはブレーメン出身で、ドレスデン工科大学教授となったあと、ドイツ工作連盟結成にも参加しました。シューマッハーは、ハンブルクに招聘されたあと、その地の伝統の影響を受け、建材にレンガを取り入れるようになり、「急勾配の屋根、三角形の妻壁の強調、白い格子状の窓の建具」などの伝統を尊重した様式を採用しました。
シューマッハーはその著書『現代煉瓦建築の本質』(1917年)で、自然と人間の統一を志向し、それを具現する材質としてのレンガの特性と優位性とを詳しく論じました。しかし、レンガが伝統的な建材だからといって、ハノーファー派のような過去の様式への回帰は拒絶し、レンガを駆使した表現主義建築という、新たな様式が発展する基盤となりました。
特徴 | 説明 |
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レンガ造り | 北ドイツの伝統的な素材 |
7階建てから11階建て | 歴史的価値や建築的価値を尊重 |
急勾配の屋根 | 伝統的な様式 |
三角形の妻壁 | 伝統的な様式 |
白い格子状の窓 | 伝統的な様式 |
商館街の代表的な建築物
このシューマッハーの影響により、ヘルマン・ディステル、ゲルソン兄弟、フリッツ・ヘーガーおよびその弟ヘルマン・ヘーガーなどが、レンガによる商館建築を手がけていきました。
その中でも最高傑作とされるのがチリハウスですが、これは次節に別記します。他の商館建築としては、7階建てのミラマール=ハウス、10階建てのメースベルクホーフ、9階建てのモンタンホーフ、8階建て及び9階建てのシュプリンケンホーフなどがあります。
北ドイツ表現主義建築について博士論文をまとめた長谷川章は、これらを手がけた表現主義建築家たちの共通点を「ぎざぎざの形態の多用」「クリスタルや星形のモチーフ」「3角形の窓・柱・プラン」「煉瓦の多用」「外観の垂直性の強調」「平滑な壁面のテキスタイル状の装飾」「セラミックの彫刻」「白い梯子状の桟の窓」とまとめ、ベルリンなどの表現主義建築にも共通する要素と、北ドイツの伝統的な要素との融合が見られるとしたのです。
商館街は、伝統的なレンガ建築と、表現主義建築が融合した、独特の景観を形成しています。
名称 | 階数 | 竣工年 |
---|---|---|
ミラマール=ハウス | 7階建て | 1921年 – 1922年 |
メースベルクホーフ | 10階建て | 1922年 – 1924年 |
モンタンホーフ | 9階建て | 1924年 – 1926年 |
シュプリンケンホーフ | 8階建て及び9階建て | 1927年 – 1932年 |
まとめ
ハンブルクの商館街は、19世紀後半から20世紀初頭にかけて、急速な経済発展とともに形成されたオフィスビル街です。
商館街の建築は、北ドイツの伝統的なレンガ建築と、表現主義建築が融合した、独特の様式で、歴史的価値と建築的価値を兼ね備えています。
商館街には、チリハウスをはじめ、多くの個性的な建築物が建ち並んでおり、当時のハンブルクの活気と、建築の革新性を物語っています。
商館街を訪れる際には、レンガ造りの重厚な外観だけでなく、建物の細部にも注目してみてください。伝統と革新が融合した、ハンブルクの建築の魅力を感じることができるでしょう。
4. ハンブルクの倉庫街の世界遺産登録について
世界遺産登録への道のり
ハンブルクの倉庫街とチリハウスを含む商館街は、2015年に世界遺産に登録されました。この物件が最初に世界遺産の暫定リストに記載されたのは、1999年9月20日のことでしたが、その時点で対象となっていたのはチリハウスのみでした。コントーアハウス地区やシュパイヒャーシュタットにまで拡大されたのは2007年2月1日のことでした。
正式な推薦は、2014年1月23日に行われました。比較研究の対象となったのは、その時点では世界遺産だった海商都市リヴァプール(イギリスの世界遺産、2004年登録/2021年抹消)のほか、世界遺産になっていないロッテルダム、ニューヨーク、リオデジャネイロなどの世界各国の港町などで、日本からは横浜赤レンガ倉庫が比較対象となりました。
ドイツ当局は当初、世界遺産の登録基準のうち、(1)
しかし、ICOMOSは、確かにチリハウス単体としてならば、建築学に関する各種文献でも参照されており、適用できる可能性があるとしつつも、その証明が不十分であり、また、倉庫街やビジネス街全体としてみた場合には該当しないとして退けました。
ICOMOSの勧告
建築や技術の交流に適用される基準 (2) は、国際貿易の急成長に合わせた機能集約的な都市設計などと結び付けられていましたが、ICOMOSは、機能の集約自体は他の都市でも見られうるものであって、その見本としての価値を持つことの証明がなされていないとして退けました。
文明や文化的伝統などに関する基準 (3) は、ハンザ同盟の港町としての伝統と結び付けられましたが、ICOMOSは整備された地区がハンブルク限定のものであって、文化的伝統や文明というには限定的に過ぎるとして退けました。
しかし、人類の重要な時代と結びつく建造物群などに適用される基準 (4) のみは、ドイツ当局が推薦後に提出した追加情報も踏まえて当てはまることを認め、その基準のみの適用による「登録」を勧告しました。
2015年の第39回世界遺産委員会の審議では、委員国からも賛成意見が相次ぎ、問題なく登録が認められました。ただし、緩衝地域については拡大すべきことなどが勧められました。
基準 | 評価 |
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(1) 創造的才能 | 証明が不十分 |
(2) 建築や技術の交流 | 証明が不十分 |
(3) 文明や文化的伝統 | 限定的に過ぎる |
(4) 人類の重要な時代と結びつく建造物群 | 該当することを認め、登録を勧告 |
登録名称について
上述の通り、この物件は当初、表現主義の傑作であるチリハウスを単独で推薦するものであったが、ICOMOSの評価の重点はそこに無かったのです。そのICOMOSの登録勧告では、登録名からチリハウスを除外し、「シュパイヒャーシュタットとコントーアハウス地区」と単純化することも勧められていました。
しかし、委員会審議では委員国トルコの反対意見が支持され、登録名称の変更は行われなかったのです。その結果、この世界遺産の正式登録名は、英語: Speicherstadt and Kontorhaus District with Chilehaus およびフランス語: La Speicherstadt et le quartier Kontorhaus avec la Chilehaus となりました。
その日本語名は、ドイツ語部分を日本語に直すかどうかも含め、以下のような揺れがあるのです。
この世界遺産は世界遺産登録基準のうち、以下の条件を満たし、登録されたのです。
まとめ
ハンブルクの倉庫街とチリハウスを含む商館街は、2015年に世界遺産に登録されました。登録の過程では、ICOMOSからいくつかの否定的な指摘がありましたが、最終的には人類の重要な時代と結びつく建造物群などに適用される基準 (4) にのみ該当すると認められ、登録されました。
登録名称は、当初はチリハウスを除外して「シュパイヒャーシュタットとコントーアハウス地区」と単純化することが勧められていましたが、委員国の反対により、変更されませんでした。
ハンブルクの倉庫街とチリハウスを含む商館街は、19世紀後半から20世紀初頭にかけて、国際貿易の急成長によって形成された、歴史的な建造物群です。
この世界遺産は、当時のハンブルクの経済発展と、都市計画の変遷を物語る貴重な遺産であり、世界中の人々にその歴史と文化を伝えています。
5. チリハウスの歴史と文化的意義
チリハウスの建築様式
チリハウスは、1920年代に建設された、表現主義建築の傑作です。表現主義建築は、第一次世界大戦後のドイツで生まれた新しい建築様式で、従来の古典主義や伝統的な建築様式とは異なる、斬新なデザインが特徴です。
表現主義建築は、戦争の悲惨さを経験したドイツの人々が、伝統的な価値観や秩序を否定し、新しい時代への希望を表現しようとしたことから生まれたと言われています。
チリハウスは、その鋭いファサードや、レンガを積み重ねた独特なデザインで、表現主義建築の代表的な作品として知られています。
チリハウスは、当時のハンブルクの経済発展と、表現主義建築の革新性を象徴する建造物です。
チリハウスの設計者
チリハウスを設計したのは、フリッツ・ヘーガーという建築家です。ヘーガーは、北ドイツ出身で、伝統的なレンガ建築を現代的に解釈した、独自の建築様式を確立しました。
ヘーガーは、チリハウスを設計するにあたって、自然や風土と一体化する建築を目指しました。そのため、外装材にはレンガを用い、構造の重量を支える必要がない分、自由なデザインで貼り付けていったそうです。
ヘーガーは、チリハウスの設計において、当時の流行していたインターナショナル・スタイルとは異なる、独自の表現方法を追求しました。
ヘーガーは、チリハウス以外にも、多くの優れた建築作品を残しており、ドイツの表現主義建築の代表的な建築家の一人として知られています。
チリハウスの文化的意義
チリハウスは、単なるオフィスビルではなく、当時のハンブルクの経済発展と、表現主義建築の革新性を象徴する建造物です。
チリハウスは、ハンブルクの街のシンボルとして、多くの人々に愛されています。その独特なデザインは、多くの観光客を魅了し、写真撮影スポットとしても人気です。
チリハウスは、現在もオフィスビルとして使用されています。そのため、建物内を自由に観光することはできませんが、建物の外からその独特なデザインを鑑賞することができます。
チリハウスは、ハンブルクの歴史と文化を伝える重要な建造物であり、世界遺産に登録された「ハンブルクの倉庫街とチリハウスを含む商館街」の重要な構成要素の一つです。
まとめ
チリハウスは、ハンブルクの商館街にある、表現主義建築の傑作です。フリッツ・ヘーガーによって設計され、1924年に竣工しました。チリハウスは、その独特なデザインと、機能性と美しさを兼ね備えた建築様式で、多くの人々を魅了しています。
チリハウスは、当時のハンブルクの経済発展と、表現主義建築の革新性を象徴する建造物であり、世界遺産に登録された「ハンブルクの倉庫街とチリハウスを含む商館街」の重要な構成要素の一つです。
チリハウスを訪れる際には、その鋭いファサードだけでなく、レンガの積み重ね方や、周辺環境との調和にも注目してみてください。チリハウスは、単なる建物ではなく、当時のハンブルクの文化と歴史を伝える貴重な遺産です。
チリハウスは、ハンブルクを訪れる際には、ぜひ訪れてほしい観光スポットの一つです。
6. 商館街周辺の観光スポット
ミニチュアワンダーランド
ミニチュアワンダーランドは、ハンブルクの倉庫街にある、世界最大級の鉄道模型テーマパークです。
アメリカ、スカンジナビア、ハンブルク、中部ドイツ、クヌッフィンゲン空港、バイエルン、スイス、オーストリア、イタリアの9つのエリアを表現したジオラマ世界が展開されています。
驚異の精巧さとさまざまな仕掛けが魅力で、鉄道模型や各エリアの名所はもちろんのこと、人々の生活ぶりまでが細かに造りこまれています。
空港で飛行機が離発着する様子や、火山が噴火する様子まで見られます。ボタンを押すと、音楽が流れ登場人物がダンスを始めたり、ヘリコプターが動きだしたりといった、見学者参加型の仕掛けも好評です。
エルプフィルハーモニー・ハンブルク
エルプフィルハーモニー・ハンブルクは、ハンブルクの倉庫街にある、新しいランドマークとなるコンサートホールです。
スイスの建築家「ヘルツォーク&ド・ムーロン」によって設計され、2017年1月11日にオープンしました。
大小2つのコンサートホール、スタジオ、ウェスティンホテル、コンドミニアム(住居)が入る26階建ての複合施設です。
建物は、上部と下部に完全に分離したデザインを採用しているのが特徴です。波をイメージし曲面ガラスを駆使した上部のモダンデザインと下部の赤レンガ外壁ファサードの対比が印象的です。
ハンブルク港クルーズ
ハンブルク港は、ヨーロッパで最も重要な港のひとつです。エルベ川から北海までの区間は非常に広く、深いため、大型船も入港できます。
ハンブルク港では、クルーズ船が頻繁に寄港しており、クルーズツアーを楽しむことができます。
クルーズツアーでは、ハンブルクの街並みや、エルベ川に広がる港の絶景を、水上からのんびりと眺めることができます。
ハンブルク港クルーズは、ハンブルクを訪れた際には、ぜひ体験したい観光の一つです。
まとめ
ハンブルクの倉庫街とチリハウスを含む商館街周辺には、ミニチュアワンダーランドやエルプフィルハーモニー・ハンブルクなど、魅力的な観光スポットがたくさんあります。
ミニチュアワンダーランドは、世界最大級の鉄道模型テーマパークで、精巧なジオラマとさまざまな仕掛けが楽しめます。
エルプフィルハーモニー・ハンブルクは、新しいランドマークとなるコンサートホールで、モダンなデザインと、港の絶景が魅力です。
ハンブルク港クルーズでは、ハンブルクの街並みや、エルベ川に広がる港の絶景を、水上からのんびりと眺めることができます。
参考文献
・ハンブルクの倉庫街とチリハウスを含む商館街 – Wikipedia
・ドイツの世界遺産「ハンブルクの倉庫街とチリハウスを含む …
・ハンブルクの倉庫街とチリハウスを含む商館街|世界遺産ガイド
・【世界遺産】ハンブルクの倉庫街とは?|ドイツ最大の港湾 …
・ハンブルクの倉庫街とチリハウスを含む商館街 – ハンブルクの …
・倉庫街の場所・行き方・散策記録|ハンブルク観光|キザルの …
・(ドイツの世界遺産)チリハウスでハンブルク伝統の赤レンガ …
・ハンブルクの倉庫街とチリハウスを含む商館街 – トラベルタウンズ
・ハンブルクの倉庫街とチリハウスを含む商館街 | 世界遺産 …
・ドイツ・ハンブルクで観光に訪れたい場所5選! – たびこふれ
・倉庫街(シュパイヒャーシュタット)を撮る | 地球の歩き方