古代都市「タウリカのヘルソネソス」とそのホーラとは?世界遺産についての解説

古代都市「タウリカのヘルソネソス」とそのホーラの構成要素
要素 説明
古代都市 紀元前5世紀にギリシャ人が建設した植民都市。黒海貿易の中継地として繁栄した。
ホーラ 古代都市を囲む農業領域。ブドウ園が中心的に展開されていた。
遺跡 古代都市の遺構、城壁、塔、住居、教会など。
農業遺構 クレーロスと呼ばれる区画、灌漑システム、要塞など。
文化 ギリシャ、ローマ、ビザンツ帝国の影響を受けた文化。
宗教 キリスト教が4世紀以降に伝わった。
自然環境 石灰岩が露出しがちな乾燥した土地。ブドウ栽培に適していた。
観光スポット 古代都市の遺跡、ビザンツ帝国時代のキリスト教建造物、ホーラの遺構など。
アクティビティ 遺跡見学、歴史や文化に関する学習、周辺地域の散策など。

1. 古代都市「ヘルソネソス」の歴史と特徴

要約

ヘルソネソスの起源と発展

ケルソネソス・タウリケは、クリミア半島の古称「タウリカ半島」のことであるとともに、その中心都市の名前にもなっていた。現在のセヴァストポリ近郊に存在していた中心都市は、単にケルソネソスとも呼ばれる。ケルソネソスの歴史は、ドーリア人系の植民都市ヘラクレイアがその地に進出し、植民都市を建設した紀元前5世紀後半に始まる。ボスポロス王国が勢力を伸ばす中、紀元前4世紀に入ったころに農業基盤を整え始めたケルソネソスは、世紀半ば以降、北西クリミア地域へとその農業領域を拡大し、ボスポロスとともにクリミアを二分する勢力へと成長した。ケルソネソスは交易上の重要な中継地点であり、ロシアの河川や北方の森林からの収穫物も含めた農林水産物や塩、コハクなどと、地中海世界の手工業製品とを交換していたことが、都市の繁栄を支えていた。そして紀元前3世紀は農業生産の最盛期でもあったと見なされており、それはケルソネソスの最盛期とも重なっている。しかし、その時期にはギリシアとスキタイの戦争が長期化しており、これが交易にも悪影響を及ぼしたことで、ケルソネソスの繁栄に翳りが見られるようになった。他方で、ケルソネソスはその後も一定の自治を保つことには成功している。4世紀以降にキリスト教が伝わると、ケルソネソスはそれを受け入れた。

東ローマ帝国に編入されてからはケルソン(ヘルソン)の名前で史料に登場するが、そこではむしろ辺境の流刑地として言及が見られる。655年にケルソンへ追放されたローマ教皇マルティヌス1世、695年に失脚し、一度はケルソンに追放された皇帝ユスティニアノス2世などが、その例である。8世紀のケルソンは、宗主権を主張していた東ローマとハザールのいずれかに形式的に属していたと考えられているが、実質的な自治は保たれていたのではないかとされている。

9世紀には東ローマ帝国のテマ(軍管区・行政区)が置かれ、東ローマの前哨基地として機能した。また、そのころコンスタンティノポリス総主教庁に属する主教区がケルソンに置かれており、北方へのキリスト教布教の拠点ともなっていた。この時期から10世紀にかけては周辺諸国との通商や外交の面でも重要な役割を担っていたが、10世紀末にウラジーミル1世の侵攻を受けて大きな被害を受けた。さらに12世紀末以降にはイタリア商人の進出がケルソンの通商上の地位を下げ、ジョチ・ウルスをはじめとする遊牧民たちの攻撃にさらされ、15世紀ころには最終的に放棄された。

考古学的調査が行われるようになったのは19世紀半ば以降のことで、「ウクライナのポンペイ」の異名をとっている。

ヘルソネソスの歴史年表
時期 出来事
紀元前5世紀後半 ドーリア人系の植民都市ヘラクレイアが建設
紀元前4世紀 農業基盤を整え、北西クリミア地域へ拡大
紀元前3世紀 農業生産の最盛期。ギリシアとスキタイの戦争
4世紀以降 キリスト教が伝わる
655年 ローマ教皇マルティヌス1世が追放
695年 皇帝ユスティニアノス2世が追放
9世紀 東ローマ帝国のテマが置かれる
10世紀末 ウラジーミル1世の侵攻
12世紀末以降 イタリア商人の進出。遊牧民の攻撃
15世紀頃 放棄
19世紀半ば以降 考古学的調査開始

世界遺産登録までの道のり

この物件が世界遺産の暫定リストに登録されたのは、ウクライナがまだソビエト社会主義共和国連邦に含まれていた1989年9月13日のことであり、かつての暫定リスト記載名は「ケルソネソスの古代都市の遺跡群、紀元前4世紀 – 12世紀」であった。

この物件は「ケルソネソス・タウリケの古代都市とその農業領域(紀元前5世紀 – 14世紀)」の名前で、2011年1月30日に正式に推薦された。これに対して世界文化遺産の諮問機関である国際記念物遺跡会議 (ICOMOS) は、現地調査(2012年9月27日 – 10月1日)を踏まえて、「登録」の勧告を出したが、構成資産の基幹的なストーリーから外れているヴィノグラドニイ岬の遺跡は除くべきとの意見がついた。

この勧告を踏まえて、2013年の第37回世界遺産委員会で審議が行われた。ヴィノグラドニイ岬の除外は覆らなかったものの、世界遺産リストへの正式登録が認められた。この物件は文化的景観に分類されているが、ウクライナの世界遺産の中でその分類に属する物件の登録は初めてである。

なお、ウクライナはポーランドと共同推薦していた「ポーランドとウクライナのカルパティア地方の木造教会群」の登録も果たし、この年の世界遺産委員会で世界遺産を2件増やした。登録に際し、推薦国の同意の上で、推薦名の末尾に付いていた時期区分が削られたため、世界遺産としての正式登録名は、Ancient City of Tauric Chersonese and its Chora (英語)、Cité antique de Chersonèse Taurique et sa chôra (フランス語)である。

世界遺産登録までの流れ
出来事
1989年 世界遺産暫定リストに登録
2011年 世界遺産登録推薦
2012年 ICOMOSによる現地調査
2013年 世界遺産リストに登録

世界遺産としての価値

世界遺産の構成資産は8件に分類されているが、うち7件は農業領域の遺構である。古代ギリシアの植民都市の世界遺産ということでいえば、キュレネの考古遺跡(リビアの世界遺産、1982年登録)、ブトリント(アルバニアの世界遺産、1999年登録)などが既にあるし、ギリシア植民都市で商業上も重要だった拠点としては古代都市ネセバル(ブルガリアの世界遺産、1983年登録)がある。また、古代ギリシア以来の農業景観を良好に保存している場所としては、スタリー・グラード平原(クロアチアの世界遺産、2008年登録)が存在している。

しかし、交易上の拠点だった古代ギリシアの植民都市そのものの遺跡が良好に残り、なおかつ周辺の農業領域との結びつきが伝わっている考古学的景観を備えているという点において、ケルソネソス・タウリケは世界遺産としての顕著な普遍的価値が認められた。

世界遺産に登録されている古代都市は、クリミア半島南西部に突き出たヘラクレイア半島(英語版)の、カランティンナ湾とペソチナヤ湾付近に位置していた。都市に残存する遺構の中で重視されているのが街路であり、プラテイア(英語版)を含め、紀元前4世紀に遡る碁盤目状に直交する様子が伝わっている。

この街路の残る市街地を囲んでいたのが市壁で、最古のものは紀元前5世紀に遡る。市壁は市の拡大に伴い、紀元前4世紀から前3世紀にかけて拡大されたが、保存状態は場所によってかなり異なり、黒海の海水面上昇や浸食の影響で、北部はほとんど残っていない。他方で、南東部の状態は良く、市壁に付随していた見張り塔のうちで最も大きな通称「ゼノンの塔」が残るのも南東部である。ゼノンの塔は紀元前3世紀に遡る塔で、5世紀から6世紀にかけてや、9世紀から10世紀にかけて改築された。

世界遺産としての価値
基準 説明
(ii) 建築、科学技術、記念碑、都市計画、景観設計の発展に重要な影響を与えた
(v) あるひとつの文化(または複数の文化)を特徴づけるような伝統的居住形態若しくは陸上・海上の土地利用形態を代表する顕著な見本である

まとめ

ケルソネソス・タウリケは、紀元前5世紀にギリシャ人が建設した植民都市であり、黒海貿易の中継地として繁栄した。その後、ローマ帝国やビザンツ帝国の支配下に入り、15世紀に放棄されるまで、交易や農業の中心地として重要な役割を果たした。

世界遺産登録の際には、古代都市の遺跡だけでなく、周辺の農業領域である「ホーラ」も含まれており、古代ギリシャの植民都市と農業領域の結びつきが評価された。

ケルソネソス・タウリケは、古代ギリシャの文化や歴史、そして農業技術を知る上で貴重な場所であり、世界遺産として保護されている。

現在、クリミア半島はロシアが実効支配しているため、観光は難しい状況である。

2. タウリカのヘルソネソスとは?遺跡の現在と未来

要約

古代都市の遺構

ケルソネソス・タウリケは、クリミア半島の南端にあるギリシア人入植地で、古代都市遺跡と周辺のホーラ跡、およびその文化的景観を登録した世界遺産である。ホーラはポリス(ギリシア都市)を支えていた農業後背地で、構成資産はポリス跡と周辺のホーラ跡、計8件からなる。

タウリカ・ヘルソネソスでは石器時代と青銅器時代から集落の遺跡が出土している。大きく発達したのは紀元前5世紀頃で、ギリシア系ドーリア人が港を築いて黒海貿易の拠点とした。紀元前4~前3世紀には港湾都市として発達し、ポリスの周辺にブドウなどの栽培を行う「ホーラ」と呼ばれる農業後背地が開拓され、ギリシア時代には黒海最大のワイン生産地として名を馳せていたという。

タウリカ・ヘルソネソスは海上貿易だけでなく、中央アジアの遊牧民族であるスキタイ人と貿易を行い、シルクロードの交易都市としても知られていた。しかし紀元前3世紀半ばからギリシアとスキタイの戦争が激化し、ギリシア勢力はクリミア半島から追放された。

紀元前63年、ローマがクリミア半島を征服し、タウリカ・ヘルソネソスを版図に収める。ローマはこの地を戦略拠点として整備し、港湾都市として再建した。しかしながらホーラにおけるワイン生産は下火になり、牧場や採石場として使用された。476年の西ローマ帝国滅亡後、タウリカ・ヘルソネソスはローマとビザンツ帝国(東ローマ帝国)の同盟都市となり、4~5世紀にキリスト教が広がると教会堂が建設された。7~9世紀にはビザンツ帝国の都市となり、貿易と手工業で繁栄した。9世紀にはハンガリー、ハザール、ペチェネグといったアジア系遊牧民族が進出して停滞した。

タウリカのヘルソネソスの歴史
時期 出来事
紀元前5世紀 ギリシア人による植民都市建設
紀元前4~3世紀 港湾都市として発展。ホーラの開拓
紀元前3世紀半ば ギリシアとスキタイの戦争
紀元前63年 ローマ帝国の支配
476年 西ローマ帝国滅亡。ビザンツ帝国との同盟
9世紀 ビザンツ帝国の都市
988年 ウラジーミル1世による征服。キリスト教化
1202~04年 ビザンツ帝国滅亡。トレビゾンド帝国やテオドロ公国の支配
13世紀半ば モンゴル帝国の侵略
15世紀 放棄
19世紀半ば以降 考古学的調査開始

ウラジーミル1世とキリスト教

988年、ノルマン系のルーシ(国家)であるキエフ大公国(キエフ・ルーシ)のウラジーミル1世が9か月にわたってタウリカ・ヘルソネソスを包囲してこれを落とす。同年に洗礼を受けてキリスト教に改宗して国教化すると、ビザンツ皇帝バシレイオス2世の妹アンナと結婚した。その際の洗礼が行わたといわれる場所に立つのが聖ウラジーミル大聖堂(聖ヴォロディームィル大聖堂/ヘルソネソス大聖堂)だ。

また、ウラジーミル1世はキーウ(キエフ)に戻ってカイザリア聖堂や什一聖堂など数々の教会堂を築いて宣教に尽力した。これによりノルマン人のキリスト教化が進み、ヨーロッパ社会に広く認められた。ウラジーミル1世は後に聖人として列聖されて「聖公」の尊称を得ている。

タウリカ・ヘルソネソスはヴェネツィアやジェノヴァ(いずれも世界遺産)といったイタリア海洋都市国家と交易を行って繁栄するが、1202~04年の第4回十字軍でビザンツ帝国が滅んだ後に誕生した亡命政権であるトレビゾンド帝国やテオドロ公国の支配を受け、13世紀半ばにはモンゴル帝国のバトゥの侵略を受けて破壊された。その後、ジェノヴァやヴェネツィア、キプチャク・ハン国(ジョチ・ウルス)、クリミア・ハン国の版図に入るが衰退し、15世紀には放棄された。

タウリカ・ヘルソネソスは全盛期に1万ha以上の領地を持っていたが、世界遺産に登録されているのは約260haで、ポリス跡とその周辺のホーラ跡となっている。ポリス跡には二重の市壁があり、市内は碁盤の目状の方格設計で整然と整備されていた。ポリス跡に残っていた教会跡がウラジーミル1世が洗礼が受けた教会であると考えられ、1850年代に聖ウラジーミル大聖堂の建設がはじまった。1870年代に完成した大聖堂はビザンツ様式のギリシア十字式クロス・ドーム・バシリカで、設計は建築家ニコライ・チャギン、イコン(聖像)の絵は画家アレクセイ・コルズキンが担当した。地下教会にはウラジーミル1世の数々の聖遺物を収めており、ウクライナやロシアでは聖地として崇められている。これ以外にはギリシア神殿やテアトルム(ローマ劇場)、ワイン醸造所、要塞、塔、教会堂である1935年のバシリカやウヴァロフのバシリカなどの跡が発掘されている。

聖ウラジーミル大聖堂
項目 説明
場所 タウリカ・ヘルソネソス
建設時期 1850年代~1870年代
様式 ビザンツ様式のギリシア十字式クロス・ドーム・バシリカ
設計 建築家ニコライ・チャギン
イコン 画家アレクセイ・コルズキン
特徴 ウラジーミル1世の聖遺物を収めている。ウクライナとロシアで聖地として崇められている。

農業後背地「ホーラ」の遺構

農業後背地ホーラは道路と区画壁によって400以上に均等に分割され、それぞれの区画で主にブドウが栽培されていた。灌漑システムが備えられ、要所には塔や砦が設けられた。一帯ではさらに以前にさかのぼる石器時代と青銅器時代の遺跡も発見されている。

本遺産は登録基準(iv)「人類史的に重要な建造物や景観」、(vi)「価値ある出来事や伝統関連の遺産」でも推薦されていた。しかし文化遺産の調査・評価を行っているICOMOS(イコモス=国際記念物遺跡会議)は、(iv)のギリシア時代の方格設計の都市レイアウトについて歴史上の顕著な例でも重要な段階でもないとし、(vi)のキリスト教の普及に対する貢献についてはそれを実証する具体的な遺跡が不十分で、古代ギリシア神話における役割についてはさらに比較研究が必要であるとして認めなかった。

タウリカ・ヘルソネソスはギリシア、ローマ、ビザンツと黒海北部の住民との間で行われた交流に関する類を見ない物理的証拠を提供している。ポリスと周辺のホーラはこうした文化間の影響と交流の中心であり、この役割を千年をはるかに超える長期にわたって継続してきた。

ポリス跡に隣接するホーラは400以上に均等に区画整理されており、古代の土地割当システムを表現し、環境を利用した往時の農業景観を伝えている。壁・要塞・農場・レイアウトの遺跡はポリスの生活スタイルを具現化し、農作物などの変化に関わらず農業と景観の連続性を示している。

ホーラの区画
項目 説明
400以上
形状 長方形
用途 ブドウ栽培
特徴 道路と区画壁で分割。灌漑システムが備えられている。

まとめ

タウリカのヘルソネソスは、古代ギリシャからビザンツ帝国時代にかけて、黒海貿易の中心地として栄えた都市であった。

現在、遺跡は「ウクライナのポンペイ」と呼ばれ、古代都市の遺構や周辺の農業領域である「ホーラ」の遺構が残っている。

しかし、クリミア半島は現在ロシアが実効支配しているため、観光は難しい状況である。

世界遺産としての価値は、古代都市と農業領域の結びつき、そして文化交流の拠点としての役割が評価されている。

3. タウリカのホーラの文化と宗教

要約

ホーラにおける農業

世界遺産登録名のchora / chôra (コーラ、ホーラ)は、意味するところが複数あるが、この場合は都市国家を囲む農業領域の意味で使われている。

黒海北岸の古代ギリシア植民都市のうち、ケルソネソスはオルビア(英語版)、パンティカパイオンとともに、三大ギリシア植民市と位置づけられるが、オルビアとパンティカパイオンが農産物を購入や搾取によって獲得していたのに対し、ケルソネソスだけが成立時からギリシア式農業を営んでいた。

そして、ケルソネソスに残る多数のクレーロス(Klēros ; 割り当て地、持分地)の遺構は世界的にも希少なものであり、古代農業史研究にとって重要な資料と認識されてきた。

ヘラクレイア半島はタウリカ半島の南西に位置し、その西端にあるのがマヤーチヌイ半島である。ヘラクレイア半島には少なくとも128の要塞化された屋敷とそれに付随するクレーロスが残っている。屋敷は外塀と塔を備え、食糧貯蔵庫を持つ塔は攻囲戦にも対応できるようになっていた。こうした屋敷の成立は、論者によって若干のずれはあるものの、おおむね紀元前4世紀から前2世紀ごろとされており、タウロイなどの襲撃に備えたものと考えられている。クレーロスは幅4.5 – 6 mの道で区切られた長方形の畑で、各クレーロスは壁で仕切られていた。

ケルソネソスの農業
項目 説明
特徴 ギリシア式農業を営んでいた
遺構 クレーロス(割り当て地)
重要性 古代農業史研究にとって重要な資料

ホーラにおけるブドウ栽培

ヘラクレイア半島のクレーロスについては、そのカムイシェバヤ湾地区とクルウグラヤ湾地区の35例について詳細な調査が行われており、そのうち5例は畑の用途などまで詳細に分析されている。それらはおおむね紀元前3世紀から前2世紀に使用されていた屋敷を伴うクレーロスで、概要を示すと以下の通りである。

これらは標準的なもの、それより大規模なもの、小規模なものから抽出されており、全体の平均的な面積は26.5 ha 程度とされている。クレーロスの畑の配置には共通性が見られ、方位や土地の起伏を考慮して植えるものが決められていた。そうした計画性から、古代ケルソネソス農業の水準が高かったことが指摘されている。

上記の5つのクレーロス全体に占めるブドウ園の面積は44%を超える上、上記の穀物畑の比率は、分類上、過大に算出されている可能性が指摘されている。こうした調査を元に、ケルソネソスの農業の特色として、ブドウ園の比率の高さが指摘されている。ブドウはもともとギリシア人がこの地にもたらしたものであり、その比重が高まった背景としては、石灰岩が露出しがちな土壌や気候が穀物栽培よりもブドウ栽培に適していたことなどが指摘されている。

ブドウ園はクレーロスの中でも南部に配置されるのが普通で、傾斜地などが利用された。ただし、ブドウ中心の耕作は西暦2世紀ごろまでに行われなくなり、牧畜や採石業へと、土地利用が転換した。なお、ヘラクレイア半島の諸地域に比べて、マヤーチヌイ半島のクレーロスはずっと小規模で、平均すると4ヘクタールであった。このマヤーチヌイ半島も城壁で守られてはいたが、100軒ほどあったと推定されている屋敷は要塞化されておらず、かわりに住民の避難場所として広場が存在していた。

ホーラのブドウ園
項目 説明
比率 全体の44%以上
土壌 石灰岩が露出しがちな乾燥した土地
気候 穀物栽培よりもブドウ栽培に適していた
配置 クレーロスの中でも南部に配置。傾斜地などが利用された
耕作期間 西暦2世紀頃まで
土地利用の変化 牧畜や採石業へ

ホーラにおける宗教

推薦時点では、もう1件「ヴィノグラドニイ岬の農業領域区画」が含まれていた。しかし、その価値は農業領域そのものよりも、中世の洞窟聖堂、地下聖堂、修道院などが中心であり、古代の都市国家と農業領域の景観を示すという観点からは世界遺産の顕著な普遍的価値の証明に寄与しないものと判断された。

前述の通り、ヴィノグラドニイ岬は除外勧告が出され、世界遺産委員会の決議でもそれが踏襲されたため、世界遺産の登録対象には含まれなかった。

この世界遺産は世界遺産登録基準のうち、以下の条件を満たし、登録された(以下の基準は世界遺産センター公表の登録基準からの翻訳、引用である)。

(ii) ある期間にわたる価値観の交流又はある文化圏内での価値観の交流を示すものである。 (v) あるひとつの文化(または複数の文化)を特徴づけるような伝統的居住形態若しくは陸上・海上の土地利用形態を代表する顕著な見本である。又は、人類と環境とのふれあいを代表する顕著な見本である(特に不可逆的な変化によりその存続が危ぶまれているもの)

世界遺産登録基準
基準 説明
(ii) 建築、科学技術、記念碑、都市計画、景観設計の発展に重要な影響を与えた
(v) あるひとつの文化(または複数の文化)を特徴づけるような伝統的居住形態若しくは陸上・海上の土地利用形態を代表する顕著な見本である

まとめ

タウリカのヘルソネソスのホーラは、古代ギリシャの農業技術と文化を伝える重要な場所である。

特に、ブドウ園の比率が高いことが特徴であり、石灰岩の土壌や気候がブドウ栽培に適していたことがわかる。

また、ホーラは都市国家を囲む農業領域であり、古代都市と農業領域の結びつきを示す重要な要素である。

世界遺産登録基準(ii)と(v)を満たしており、古代ギリシャの文化交流と農業景観の代表的な例として評価されている。

4. タウリカのヘルソネソスに残る遺跡の謎

要約

古代都市の遺構

世界遺産登録名のchora / chôra (コーラ、ホーラ)は、意味するところが複数あるが、この場合は都市国家を囲む農業領域の意味で使われている。

黒海北岸の古代ギリシア植民都市のうち、ケルソネソスはオルビア(英語版)、パンティカパイオンとともに、三大ギリシア植民市と位置づけられるが、オルビアとパンティカパイオンが農産物を購入や搾取によって獲得していたのに対し、ケルソネソスだけが成立時からギリシア式農業を営んでいた。

そして、ケルソネソスに残る多数のクレーロス(Klēros ; 割り当て地、持分地)の遺構は世界的にも希少なものであり、古代農業史研究にとって重要な資料と認識されてきた。

ヘラクレイア半島はタウリカ半島の南西に位置し、その西端にあるのがマヤーチヌイ半島である。ヘラクレイア半島には少なくとも128の要塞化された屋敷とそれに付随するクレーロスが残っている。屋敷は外塀と塔を備え、食糧貯蔵庫を持つ塔は攻囲戦にも対応できるようになっていた。こうした屋敷の成立は、論者によって若干のずれはあるものの、おおむね紀元前4世紀から前2世紀ごろとされており、タウロイなどの襲撃に備えたものと考えられている。クレーロスは幅4.5 – 6 mの道で区切られた長方形の畑で、各クレーロスは壁で仕切られていた。

ケルソネソスの農業
項目 説明
特徴 ギリシア式農業を営んでいた
遺構 クレーロス(割り当て地)
重要性 古代農業史研究にとって重要な資料

ホーラにおけるブドウ栽培

ヘラクレイア半島のクレーロスについては、そのカムイシェバヤ湾地区とクルウグラヤ湾地区の35例について詳細な調査が行われており、そのうち5例は畑の用途などまで詳細に分析されている。それらはおおむね紀元前3世紀から前2世紀に使用されていた屋敷を伴うクレーロスで、概要を示すと以下の通りである。

これらは標準的なもの、それより大規模なもの、小規模なものから抽出されており、全体の平均的な面積は26.5 ha 程度とされている。クレーロスの畑の配置には共通性が見られ、方位や土地の起伏を考慮して植えるものが決められていた。そうした計画性から、古代ケルソネソス農業の水準が高かったことが指摘されている。

上記の5つのクレーロス全体に占めるブドウ園の面積は44%を超える上、上記の穀物畑の比率は、分類上、過大に算出されている可能性が指摘されている。こうした調査を元に、ケルソネソスの農業の特色として、ブドウ園の比率の高さが指摘されている。ブドウはもともとギリシア人がこの地にもたらしたものであり、その比重が高まった背景としては、石灰岩が露出しがちな土壌や気候が穀物栽培よりもブドウ栽培に適していたことなどが指摘されている。

ブドウ園はクレーロスの中でも南部に配置されるのが普通で、傾斜地などが利用された。ただし、ブドウ中心の耕作は西暦2世紀ごろまでに行われなくなり、牧畜や採石業へと、土地利用が転換した。なお、ヘラクレイア半島の諸地域に比べて、マヤーチヌイ半島のクレーロスはずっと小規模で、平均すると4ヘクタールであった。このマヤーチヌイ半島も城壁で守られてはいたが、100軒ほどあったと推定されている屋敷は要塞化されておらず、かわりに住民の避難場所として広場が存在していた。

ホーラのブドウ園
項目 説明
比率 全体の44%以上
土壌 石灰岩が露出しがちな乾燥した土地
気候 穀物栽培よりもブドウ栽培に適していた
配置 クレーロスの中でも南部に配置。傾斜地などが利用された
耕作期間 西暦2世紀頃まで
土地利用の変化 牧畜や採石業へ

ホーラにおける宗教

推薦時点では、もう1件「ヴィノグラドニイ岬の農業領域区画」が含まれていた。しかし、その価値は農業領域そのものよりも、中世の洞窟聖堂、地下聖堂、修道院などが中心であり、古代の都市国家と農業領域の景観を示すという観点からは世界遺産の顕著な普遍的価値の証明に寄与しないものと判断された。

前述の通り、ヴィノグラドニイ岬は除外勧告が出され、世界遺産委員会の決議でもそれが踏襲されたため、世界遺産の登録対象には含まれなかった。

この世界遺産は世界遺産登録基準のうち、以下の条件を満たし、登録された(以下の基準は世界遺産センター公表の登録基準からの翻訳、引用である)。

(ii) ある期間にわたる価値観の交流又はある文化圏内での価値観の交流を示すものである。 (v) あるひとつの文化(または複数の文化)を特徴づけるような伝統的居住形態若しくは陸上・海上の土地利用形態を代表する顕著な見本である。又は、人類と環境とのふれあいを代表する顕著な見本である(特に不可逆的な変化によりその存続が危ぶまれているもの)

世界遺産登録基準
基準 説明
(ii) 建築、科学技術、記念碑、都市計画、景観設計の発展に重要な影響を与えた
(v) あるひとつの文化(または複数の文化)を特徴づけるような伝統的居住形態若しくは陸上・海上の土地利用形態を代表する顕著な見本である

まとめ

タウリカのヘルソネソスのホーラは、古代ギリシャの農業技術と文化を伝える重要な場所である。

特に、ブドウ園の比率が高いことが特徴であり、石灰岩の土壌や気候がブドウ栽培に適していたことがわかる。

また、ホーラは都市国家を囲む農業領域であり、古代都市と農業領域の結びつきを示す重要な要素である。

世界遺産登録基準(ii)と(v)を満たしており、古代ギリシャの文化交流と農業景観の代表的な例として評価されている。

5. タウリカのホーラの自然と環境

要約

ホーラの地形と気候

タウリカのヘルソネソスのホーラは、黒海に面したクリミア半島の南西部に位置し、ヘラクレイア半島と呼ばれる地域に広がっている。

この地域は、石灰岩が露出しがちな乾燥した土地であり、穀物栽培よりもブドウ栽培に適していた。

そのため、ホーラではブドウ園が中心的に展開され、その比率は全体の44%を超えていたと考えられている。

また、ホーラは道路と区画壁によって400以上に均等に分割され、それぞれの区画は壁で仕切られていた。これは、古代ギリシャの土地割当システムである「クレーロス」の遺構であり、当時の農業技術の高さを示している。

ホーラの地形と気候
項目 説明
位置 黒海に面したクリミア半島の南西部
地形 ヘラクレイア半島
土壌 石灰岩が露出しがちな乾燥した土地
気候 穀物栽培よりもブドウ栽培に適していた

ホーラの環境問題

現在、ホーラは都市開発の影響を受けており、その一部は失われている。

また、沿岸部であることから、浸食作用による遺跡の損傷も懸念されている。

さらに、クリミア半島は現在ロシアが実効支配しているため、遺跡の保護や管理が難しい状況である。

これらの問題を解決するためには、国際的な協力と、ロシアとの関係改善が不可欠である。

ホーラの環境問題
問題 説明
都市開発 一部のホーラが失われている
浸食作用 遺跡の損傷が懸念されている
政治状況 ロシアの実効支配により保護と管理が難しい

ホーラの自然環境

ホーラは、古代ギリシャ人が開拓した農業領域であり、その自然環境は、当時の農業技術と文化を反映している。

石灰岩の土壌や気候は、ブドウ栽培に適しており、ホーラではブドウ園が中心的に展開されていた。

また、ホーラには、灌漑システムや要塞などの遺構が残っており、当時の農業技術の高度さを示している。

ホーラの自然環境は、古代ギリシャの文化と農業技術を知る上で貴重な場所である。

ホーラの自然環境
項目 説明
特徴 古代ギリシャ人が開拓した農業領域
土壌 石灰岩
気候 乾燥した気候
遺構 灌漑システム、要塞など
価値 古代ギリシャの文化と農業技術を知る上で貴重な場所

まとめ

タウリカのヘルソネソスのホーラは、黒海に面したクリミア半島の南西部に位置し、石灰岩が露出しがちな乾燥した土地である。

この地域は、古代ギリシャ人が開拓した農業領域であり、ブドウ園が中心的に展開されていた。

現在、ホーラは都市開発や浸食作用の影響を受けており、その保護と管理が課題となっている。

しかし、ホーラは古代ギリシャの文化と農業技術を知る上で貴重な場所であり、その保護と保全が重要である。

6. タウリカのヘルソネソスの観光スポットとアクティビティ

要約

古代都市の遺跡

ケルソネソス・タウリケの古代都市遺跡は、街路や建物、城壁、塔などが残っており、古代ギリシャやローマ時代の都市の様子を垣間見ることができる。

特に、市壁に付随する見張り塔のうち最大とされる「ゼノンの塔」は、世界遺産ケルソネソスの見どころの1つである。

また、一般の居住地域からはさまざまな時代や職業の住居が出土していて、とくにワイン醸造者の家などは興味深い。

発掘調査では、当初は雨水を利用していた給水が、古代ローマ帝国時代に泉から取水する方式に変わるなど、時代による都市構造の変遷のようすも明らかとなった。

古代都市の遺跡
場所 説明
街路 碁盤目状に直交する街路が残っている
建物 建物の土台が整然と並んでいる
城壁 紀元前5世紀に遡る城壁が残っている
ゼノンの塔など、見張り塔が残っている
住居 さまざまな時代や職業の住居が出土している
給水施設 雨水利用から泉からの取水へ変化した
見どころ ゼノンの塔、ワイン醸造者の家など

ビザンツ帝国時代のキリスト教建造物

ケルソネソスでは、ビザンツ帝国時代のキリスト教建造物群も多く見つかっている。

10~11世紀に再建されたクルーゼのバシリカや、10世紀に改装されたウヴァロフのバジリカなどがある。

とくに、海辺に佇む「1935年のバシリカ」と呼ばれる6世紀の聖堂跡は、世界遺産ケルソネソス遺跡のシンボルとなっている。

これらの建造物は、ケルソネソスがキリスト教を受け入れた歴史を物語っている。

ビザンツ帝国時代のキリスト教建造物
建造物 説明
クルーゼのバシリカ 10~11世紀に再建された
ウヴァロフのバジリカ 10世紀に改装された
1935年のバシリカ 6世紀の聖堂跡。遺跡のシンボル

農業領域「ホーラ」の遺構

世界遺産「タウリカの古代都市ケルソネソスとその領域」の登録英名にある「Chora(ホーラまたはコーラ)」とは、都市国家を囲む農業領域を意味している。

黒海北岸の古代ギリシア植民都市のうち、三大ギリシャ植民市の1つともいわれるケルソネソスの周辺からは、古代農業史研究にとって重要な農業遺跡が多数見つかっている。

植民市建設時に市民に平等に分配された私有地「クレーロス」の区画が明瞭に残っていることから、世界的にも希少な考古学的資料と認識されてきた。

クリミア半島の南西に伸びるへラクレイア半島には、少なくとも128の要塞化された屋敷と、それに付随するクレーロスが残っている。ケルソネソスの農業領域(ホーラ)は、ブドウ園の比率が高いことが特徴といわれている。ただし、ブドウ中心の耕作は2世紀頃までで、その後は牧畜や採石業へと土地利用が転換していったと考えられている。

農業領域「ホーラ」の遺構
場所 説明
ヘラクレイア半島 少なくとも128の要塞化された屋敷とクレーロスが残っている
クレーロス 植民市建設時に市民に平等に分配された私有地
特徴 ブドウ園の比率が高い
土地利用の変化 2世紀頃からは牧畜や採石業へ

まとめ

タウリカのヘルソネソスは、古代都市の遺跡と周辺の農業領域「ホーラ」の遺構を見学できる貴重な場所である。

古代ギリシャやローマ時代の都市構造、ビザンツ帝国時代のキリスト教建造物、そして古代の農業技術を垣間見ることができる。

ただし、現在クリミア半島はロシアが実効支配しているため、観光は難しい状況である。

いつか平和な状況が訪れ、再び観光客で賑わうことを願う。

参考文献

ケルソネソス・タウリケの古代都市とその農業領域 – Wikipedia

古代都市タウリカ・ヘルソネソスとそのホーラ – 世界遺産 …

古代都市「タウリカのヘルソネソス」とそのホーラ|世界遺産 …

ウクライナの世界遺産「ケルソネソス・タウリケの古代都市と …

古代都市「タウリカのヘルソネソス」とそのホーラ …

Ancient City of Tauric Chersonese and its Chora

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