古代都市ウシュマルとは?世界遺産についての解説

古代都市ウシュマルの構成要素
項目 内容
発見と歴史 ウシュマルの名称、位置、建設時期、衰退、スペインによる征服、発見と研究
建造物と遺跡 魔法使いのピラミッド、尼僧院、総督の館
宗教的意義と神殿 雨の神チャック、チャックモールの像、神殿
文化と生活環境 プウク様式、生活用水、農業
古代都市ウシュマルと周辺地域の関係性 ウシュマルとチチェン・イッツァ、ウシュマルと周辺地域、ウシュマルと交易
世界遺産登録の意義 世界遺産登録、世界遺産としてのウシュマル、ウシュマルの保護と活用

1. 古代都市ウシュマルの発見と歴史

要約

ウシュマルの名称と位置

ウシュマルは、メキシコ・ユカタン州にあるマヤ文明の遺跡です。ウシュマルという名前は、マヤ語で「三度にわたって建てられた町」を意味するとされています。この名前の由来は、ウシュマルが長い歴史の中で何度も再建され、拡張されてきたことを示唆しています。ウシュマルは、メリダの南方78kmの地点に位置し、カンペチェへ向かうメキシコの高速自動車国道261号線で、メリダから110kmの地点にあります。

ウシュマルは、古典期後期から後古典期にかけて栄えたマヤ文明の都市遺跡です。多くの観光客の目的地となるためにウシュマルの建造物の整備や復元にたくさんの労力が注がれる一方で、細々とであるが真摯な考古学的な発掘調査や研究がなされてきた。この都市の占地が行われた時代はよくわかっていないが、人口は、現時点では概算で2万5千人ほどと推定されている。

今日目にすることのできる大多数の建造物は、だいたい紀元700年から1100年の間に建てられたものである。マヤの年代記によれば、ウシュマルは、フン=ウィツィル=トゥトゥル=シウによって紀元500年に建てられた町であるという。ウシュマルは何代にもわたってシウ家によって支配され、ユカタン西部でもっとも強力な都市であった。そしてチチェン・イッツアと同盟を結んで北部ユカタン全域を支配していた。

ウシュマルの名称と位置
名称 意味
ウシュマル 三度にわたって建てられた町
位置 メキシコ・ユカタン州、メリダの南方78km

ウシュマルの衰退とスペインによる征服

紀元1200年以降は主要な建築物を新たに建築することは行われなくなる。このことは、ウシュマルと同盟者チチェン・イッツアの衰退とマヤパンへユカタンの権力が移っていく過程と関係しているとおもわれる。シウ家が、マニへ首都を移すとともに、ウシュマルの人口は減少していった。

スペインによる征服後、シウ家自身は、スペインの同盟者となったが、初期植民地時代の記録によると、ウシュマルは、1550年代までは、ある程度の数の人々が住む重要な場所であったが、そこにスペイン風の町が建てられることはなくやがてウシュマルは放棄されることとなった。

ウシュマルの衰退とスペインによる征服
時期 出来事
紀元1200年以降 主要な建築物の建設が止まる
スペインによる征服後 ウシュマルは放棄される

ウシュマルの発見と研究

ウシュマルの復元作業は、建物が通常より良好に残っていたおかげで他の多くのマヤ遺跡よりも良い条件で行うことができた。建物によく使われる漆喰のツナギを使用しないで精巧に切り取られた切り石を使用して建てられている。ウシュマルにある建造物は、優雅さと美しさにおいてパレンケの建造物に匹敵するものである。ウシュマルにおいては、その前半の時期においては、その大部分がプウク式の建物である。

保存状態が良好であるため、一般の観光客にも当時のウシュマルの祭祀センターの様子をほぼ完全な形で想像させることのできる数少ないマヤ遺跡のひとつとなっている。よく知られている著名な建造物は下記のとおりである。ウシュマルには、ほかにも注目すべき建物や多くの神殿ピラミッド、方形回廊状建物や記念碑、埋まったまま保存されている建物がある。

マヤ文字が刻まれた銘文の多くは、一連の石碑に刻まれているが、一つの神殿に対になるようにグループになっているわけではない。この石碑に刻まれているのは歴代のウシュマルの王たちである。また石碑は、たおれかかっていたり、ばらばらに壊れそうな兆候を示しているので、建て直したり修復したりする必要がある。

ウシュマルの発見と研究
時期 出来事
1838年 ジャン=フレデリック・ワルデック伯爵がウシュマルについて詳細な記録を出版
1840年代 ジョン・ロイド・スティヴンズとフレデリック・キャザウッドがウシュマルを訪れ、建造物のプランやスケッチを作成
1909年 シルヴァヌス・モーレイがウシュマルの地図を作成

まとめ

ウシュマルは、マヤ文明の興亡を物語る重要な遺跡です。かつては、ユカタン半島を支配するほどの勢力を持っていたウシュマルですが、マヤパンの台頭とともに衰退し、スペインによる征服を経て、長い間忘れられた存在となっていました。しかし、近年になって発掘調査や研究が進められ、その壮大な歴史が明らかになってきました。

ウシュマルは、マヤ文明の建築技術や芸術性の高さを示す貴重な遺産であり、その歴史的価値は世界的に認められています。現在では、世界遺産に登録され、多くの観光客が訪れる人気の観光スポットとなっています。

2. ウシュマルの建造物と遺跡

要約

魔法使いのピラミッド

ウシュマルで最も有名な建造物は、魔法使いのピラミッドです。高さ36.5mのピラミッドで、楕円形の底辺は長さが約73m、幅が約36.5m。そして急傾斜で有名な118段の階段を登ると神殿があります。階段の両脇にはいくつもの雨の神「チャック」が階段に沿ってはめ込まれており、頂上の神殿入口も大きな「チャック」の顔になっています。

このピラミッドは、他のマヤ都市にはない楕円形の底面をしており、その長さは73m、幅36.5m、高さは36.5mあります。傾斜が非常に急な階段が118段あり、頂上に神殿があります。

名前の由来ですが、魔法使いが育てた小人が超自然的な力で一晩で造り上げたという伝説があるためです。「小人のピラミッド」とも呼ばれています。

魔法使いのピラミッド
高さ 36.5m
底辺の長さ 約73m
底辺の幅 約36.5m
階段段数 118段

尼僧院

魔法使いのピラミッドに隣接し、約45m×約65mの中庭を囲むように東西南北の方向に四つの細長い建物が建っています。スペイン人が母国にある尼僧院に似てることから付けた名前で、実際には神官など身分の高い人の住居だったと考えられてます。

この建物群では、プウク様式の特徴である多くのレリーフ、モザイク状の壁など見どころ満載。雨の神「チャック」を始め、双頭の蛇やジャガー、フクロウや小鳥などのレリーフがふんだんに使われており、見学者の目を楽しませてくれます。

マヤ建築でよく使われるマヤアーチなども使われており、そこを通して見る風景は古代と同じように見えるかもしれません。

尼僧院
中庭の大きさ 約45m×約65m
特徴 プウク様式のレリーフ、モザイク状の壁
レリーフ 雨の神「チャック」、双頭の蛇、ジャガー、フクロウ、小鳥

総督の館

ウシュマルの建造物で一番大きな建物の総督の館。180m×150mの基壇の上に奥行き12m、高さ8m、そして幅が100m近くもあるこの巨大な建物の中には、26もの部屋があります。ここには大広間が3つもあり、建物全体の間取りから見てウシュマルの行政庁だったと推測されています。

「尼僧院」と同様、プウク様式で装飾された外壁には多くの動物とチャックのレリーフが見られます。建物正面の広場には、お尻どうしをくっつけたような格好の2頭のジャガーの置物があり、人と神を表してるとの説があるので、ぜひ見てみてくださいね。

総督の館
基壇の大きさ 180m×150m
建物の大きさ 奥行き12m、高さ8m、幅約100m
部屋数 26部屋
特徴 プウク様式の装飾、ジャガーの置物

まとめ

ウシュマルには、魔法使いのピラミッド、尼僧院、総督の館など、見どころ満載の建造物が数多く残されています。これらの建造物は、プウク様式と呼ばれる、マヤ文明独特の建築様式で建てられており、精巧な彫刻やモザイク装飾が施されています。

ウシュマルの建造物は、マヤ文明の高度な技術力と芸術性を示す貴重な遺産であり、世界遺産に登録されるにふさわしい価値を持っています。

3. ウシュマルの宗教的意義と神殿

要約

雨の神チャック

ウシュマルの建造物には、雨の神チャックのレリーフが数多く見られます。チャックは、マヤ文明において重要な神であり、雨や豊穣をもたらす存在として崇拝されていました。ウシュマルは、ユカタン半島の中でも特に乾燥した地域に位置しており、雨は人々の生活にとって欠かせないものでした。

そのため、ウシュマルの人々は、チャックを信仰し、雨乞いの儀式を行っていたと考えられています。チャックのレリーフは、ウシュマルの建造物だけでなく、周辺地域のマヤ遺跡にも多く見られます。

雨の神チャック
役割 雨や豊穣をもたらす
信仰 ウシュマルの人々はチャックを信仰し、雨乞いの儀式を行っていた
レリーフ ウシュマルの建造物だけでなく、周辺地域のマヤ遺跡にも多く見られる

チャックモールの像

ウシュマルの建造物には、チャックモールの像も数多く見られます。チャックモールは、マヤ文明の宗教儀式に用いられた石像で、通常は仰向けに寝そべった姿で、胸に皿を乗せています。

チャックモールの像は、ウシュマルの建造物だけでなく、他のマヤ遺跡にも多く見られます。チャックモールの像の用途については、様々な説がありますが、生贄の儀式に用いられたという説が有力です。

チャックモールの像
特徴 仰向けに寝そべった姿で、胸に皿を乗せている
用途 生贄の儀式に用いられたという説が有力
分布 ウシュマルの建造物だけでなく、他のマヤ遺跡にも多く見られる

神殿

ウシュマルには、魔法使いのピラミッドの頂上にある神殿をはじめ、多くの神殿が残されています。これらの神殿は、チャックや他のマヤの神々を祀るために建てられたと考えられています。

神殿の内部には、祭壇や壁画などが残されており、当時のマヤの人々の信仰の様子を垣間見ることができます。

神殿
場所 魔法使いのピラミッドの頂上、ウシュマルの他の建造物
用途 チャックや他のマヤの神々を祀る
内部 祭壇、壁画

まとめ

ウシュマルの建造物には、雨の神チャックやチャックモールなど、マヤ文明の宗教的なモチーフが数多く見られます。これらのモチーフは、当時のマヤの人々の信仰や生活の様子を物語っています。

ウシュマルは、マヤ文明の宗教的な側面を理解する上で重要な遺跡であり、その宗教的な意義は世界的に認められています。

4. ウシュマルの文化と生活環境

要約

プウク様式

ウシュマルの建造物は、プウク様式と呼ばれる、マヤ文明独特の建築様式で建てられています。プウク様式は、建物下部を切石の積み上げにより構成し、その上部を、彫刻を施した石の組み合わせで装飾する建築様式です。

プウク様式は、ユカタン半島の乾燥した環境に適した建築様式であり、雨水を効率的に貯めるための工夫が凝らされています。また、プウク様式は、マヤ文明の高度な技術力と芸術性を示すものであり、世界的に高く評価されています。

プウク様式
特徴 建物下部を切石の積み上げ、上部を彫刻を施した石の組み合わせで装飾
目的 乾燥した環境に適した建築様式、雨水を効率的に貯めるための工夫
評価 マヤ文明の高度な技術力と芸術性を示す
分布 ウシュマル、カバー、サイルなどの遺跡

生活用水

ウシュマルは、ユカタン半島の乾燥した地域に位置しており、川もセノーテ(泉)もありません。そのため、当時のマヤの人々は、雨水を生活用水として利用していました。

ウシュマルの遺跡からは、雨水を貯めるための貯水タンクが数多く発見されています。これらの貯水タンクは、石灰岩という水を通しやすい地に作られており、当時のマヤの人々の優れた技術力を物語っています。

生活用水
水源 川やセノーテ(泉)がないため、雨水を生活用水として利用
貯水施設 雨水を貯めるための貯水タンクが数多く発見されている
技術 石灰岩という水を通しやすい地に貯水タンクが作られている

農業

ウシュマル周辺の地域は、乾燥した気候のため、農業には適していませんでした。しかし、当時のマヤの人々は、限られた水資源を有効活用し、独自の農業技術を開発しました。

マヤの人々は、雨季に降った雨水を貯水タンクに貯め、乾季にその水を農業に利用していました。また、マヤの人々は、乾燥に強い作物を栽培したり、輪作を行ったりすることで、厳しい環境の中で農業を営んでいました。

まとめ

ウシュマルは、乾燥した環境に適したプウク様式の建築様式や、雨水を有効活用した生活用水システムなど、当時のマヤの人々の優れた技術力と環境への適応能力を示す遺跡です。

ウシュマルの遺跡は、マヤ文明の文化と生活環境を理解する上で重要な役割を果たしており、世界遺産に登録されるにふさわしい価値を持っています。

5. 古代都市ウシュマルと周辺地域の関係性

要約

ウシュマルとチチェン・イッツァ

ウシュマルは、マヤ文明の遺跡のひとつとして有名なチチェン・イッツァと同盟を結んで北部ユカタン全域を支配していたようです。しかし、その後、両都市は対立し、ウシュマルは衰退していきました。

ウシュマルとチチェン・イッツァは、マヤ文明における重要な都市であり、両都市の関係は、マヤ文明の歴史を理解する上で重要な要素です。

ウシュマルとチチェン・イッツァ
関係 同盟→対立
影響 両都市はマヤ文明における重要な都市であり、両都市の関係は、マヤ文明の歴史を理解する上で重要な要素
結果 ウシュマルは衰退していった

ウシュマルと周辺地域

ウシュマルは、ユカタン半島のプウク地方に位置しており、周辺にはカバー、サイル、カバなどのマヤ遺跡があります。これらの遺跡は、ウシュマルと同じく、プウク様式の建造物が特徴です。

ウシュマルと周辺地域の遺跡は、マヤ文明の文化や生活様式を理解する上で重要な役割を果たしており、世界遺産に登録されるにふさわしい価値を持っています。

ウシュマルと周辺地域
周辺地域 カバー、サイル、カバ
特徴 プウク様式の建造物が特徴
意義 マヤ文明の文化や生活様式を理解する上で重要

ウシュマルと交易

ウシュマルは、周辺地域との交易の中心地でもありました。ウシュマルは、農業に適した土地が少なく、周辺地域から食料や資源を輸入していました。

ウシュマルは、周辺地域に独自の文化や技術を伝播させ、マヤ文明の発展に貢献しました。

ウシュマルと交易
交易品 食料、資源
役割 周辺地域との交易の中心地
影響 周辺地域に独自の文化や技術を伝播させ、マヤ文明の発展に貢献

まとめ

ウシュマルは、周辺地域との密接な関係の中で発展した都市です。ウシュマルは、チチェン・イッツァとの同盟関係や周辺地域との交易を通じて、マヤ文明の文化や経済の中心地としての役割を果たしていました。

ウシュマルは、周辺地域との関係性を理解することで、マヤ文明の全体像をより深く理解することができます。

6. 古代都市ウシュマルの世界遺産登録の意義

要約

ウシュマルの世界遺産登録

ウシュマルは、1996年にユネスコの世界遺産に登録されました。ウシュマルは、マヤ文明の芸術と建築の傑作であり、マヤ文明後期の社会構造を示す重要な遺跡として評価されています。

ウシュマルは、世界遺産に登録されることで、その歴史的価値が世界的に認められました。

ウシュマルの世界遺産登録
登録年 1996年
登録基準 (i)(ii)(iii)
評価 マヤ文明の芸術と建築の傑作、マヤ文明後期の社会構造を示す重要な遺跡

世界遺産としてのウシュマル

世界遺産に登録されたウシュマルは、現在では、多くの観光客が訪れる人気の観光スポットとなっています。ウシュマルを訪れる観光客は、マヤ文明の壮大な歴史と文化に触れることができます。

ウシュマルは、世界遺産として保護され、後世に継承されていくことが重要です。

世界遺産としてのウシュマル
役割 世界遺産として保護され、後世に継承されていくことが重要
意義 世界遺産に登録されることで、その歴史的価値が世界的に認められた
現状 多くの観光客が訪れる人気の観光スポット

ウシュマルの保護と活用

ウシュマルは、世界遺産に登録されたことで、その保護と活用が重要課題となっています。ウシュマルの保護には、遺跡の保存と修復、観光客の増加による環境負荷の抑制などが挙げられます。

ウシュマルの活用には、観光客への情報提供、教育活動、研究活動などが挙げられます。

ウシュマルの保護と活用
保護 遺跡の保存と修復、観光客の増加による環境負荷の抑制
活用 観光客への情報提供、教育活動、研究活動
目的 ウシュマルを未来へ継承していく

まとめ

ウシュマルは、世界遺産に登録されたことで、その歴史的価値が世界的に認められ、多くの観光客が訪れる人気の観光スポットとなっています。

ウシュマルは、世界遺産として保護され、後世に継承されていくことが重要です。そのため、遺跡の保存と修復、観光客の増加による環境負荷の抑制、観光客への情報提供、教育活動、研究活動など、様々な取り組みが必要となります。

参考文献

魔法使いのピラミッド!メキシコの世界遺産「古代都市ウシ …

古代都市ウシュマル | メキシコ | 世界遺産オンラインガイド

ウシュマル | Wikipedia

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