アクイレイアの遺跡地域と総主教聖堂バシリカとは?世界遺産についての解説

アクイレイアの遺跡地域と総主教聖堂バシリカの構成要素
項目 内容
アクイレイアの遺跡 古代ローマ時代の都市の遺構。フォーラム、公共倉庫、浴場、邸宅、劇場、墓地などが点在する。
総主教聖堂バシリカ 1031年に再建されたロマネスク様式とゴシック様式が融合した建築。床一面のモザイク画やフレスコ画が有名。
考古学博物館 アクイレイアで発見されたローマ時代の出土品が展示されている。
Sepolcreto Romano(Necropolis) ローマ時代の墓地。墓石や棺などが野ざらしになっている。
Fondo Pasqualis 1953〜1954年に発掘作業が行われていた考古エリア。ローマ時代には市場だった。

1. アクイレイアの歴史

要約

アクイレイアの建設と繁栄

イタリア北東部のアクイレイアは、紀元前181年にローマ人が軍事目的で建設した都市です。アドリア海の北端、ポー平原の東端にあたるナティッサ川流域に位置し、地中海と中央ヨーロッパを結ぶ交易拠点として発展しました。ワイン、オリーブオイル、毛皮、ガラス、鉄、奴隷などの売買が盛んに行われ、ローマ帝国でも大いに繁栄した都市として知られています。紀元前89年にはローマ市民権を得て自治都市ムニキピウムとなり、さらに発展を遂げました。

313年のミラノ勅令でキリスト教が公認されると、アクイレイアはキリスト教宣教の拠点としても重要な役割を果たすようになりました。皇帝コンスタンティヌス1世の支援を受けたアクイレイアの司教テオドロは、総主教を名乗り、総主教聖堂のバシリカを建設しました。バシリカは、もともとローマ時代の長方形の集会所を指していましたが、ローマ時代末期にはキリスト教の教会堂として使用されるようになり、長方形の教会堂という意味を持つようになりました。

3~4世紀のテトラルキア(ローマ帝国の4分割統治)の時代には、西方正帝マクシミアヌスの下で帝国の首都のひとつとなり、最盛期には20万人を超える人口を擁し、ヨーロッパ屈指の都市となりました。アクイレイアは、ローマ帝国初期において最大かつもっとも裕福な都市のひとつとして、ローマ文明の重要な証拠を提示していると言えるでしょう。

アクイレイアの建設と繁栄
時期 出来事
紀元前181年 ローマ人が軍事目的でアクイレイアを建設
紀元前89年 ローマ市民権を得て自治都市ムニキピウムとなる
313年 ミラノ勅令でキリスト教が公認され、アクイレイアはキリスト教宣教の拠点となる
3~4世紀 テトラルキアの時代には帝国の首都のひとつとなり、最盛期には20万人を超える人口を擁する

アクイレイアの衰退と破壊

しかし、5世紀に入ると、民族大移動の影響で西ゴート人やフン族などの侵入に悩まされるようになり、452年にはフン帝国のアッティラによる侵略を受け、略奪・破壊されてしまいました。その後、都市は再建されましたが、6世紀に再び異民族の侵入により、当時の総大司教が南のグラードへ逃亡しました。

アクイレイアは、交易都市としての役割も西90kmほどに誕生したヴェネツィアに譲り、次第に衰退していきました。中世には、ローマ時代の都市遺跡は採石場となり、建築資材として持ち去られてしまったため、ほとんどの建物は姿を消してしまいました。

アクイレイアの遺跡の多くは未発掘のまま地下に眠っており、そのためにそれはその種の中で最も大きな考古学的な保護地域となっています。

アクイレイアの衰退と破壊
時期 出来事
5世紀 西ゴート人やフン族などの侵入に悩まされる
452年 フン帝国のアッティラによる侵略を受け、略奪・破壊される
6世紀 再び異民族の侵入により、総大司教がグラードへ逃亡
中世 ローマ時代の都市遺跡は採石場となり、建築資材として持ち去られる

アクイレイアの再建と総大司教座の変遷

9世紀にアクイレイア総大司教のパウリヌス2世やマクセンティウスがフランク王国カール大帝の支援を受けるようになり、アクイレイアは再び輝きを取り戻しました。アクイレイア総大司教はキリスト教勢力の中で地位を上げ、アクイレイアを直轄地として持つ封建領主として君臨しました。

マクセンティウスは聖堂跡地に大聖堂の建設を開始し、跡を継いだポッポーネの時代、1031年にアクイレイア大聖堂が完成しました。しかし、この地域の統治権を巡る争いは絶えず、マジャール人の侵入などもあってアクイレイアがこれ以上に繁栄することはありませんでした。

1238年に総大司教座がウーディネに移動し、1420年にはヴェネツィアがウーディネを併合してアクイレイアもその支配下に入りました。総大司教座は1751年に廃止されています。

アクイレイアの再建と総大司教座の変遷
時期 出来事
9世紀 フランク王国カール大帝の支援を受け、再び輝きを取り戻す
1031年 アクイレイア大聖堂が完成
1238年 総大司教座がウーディネに移動
1420年 ヴェネツィアがウーディネを併合し、アクイレイアも支配下に入る
1751年 総大司教座が廃止される

まとめ

アクイレイアは、ローマ帝国初期には軍事拠点として、その後は交易拠点として、そしてキリスト教宣教の拠点として、重要な役割を果たしてきました。しかし、5世紀以降、異民族の侵入や採石場としての利用によって、都市は衰退し、現在では遺跡として残っています。

アクイレイアは、ローマ帝国初期における最大かつもっとも裕福な都市のひとつであり、ローマ文明の重要な証拠を提示していると言えるでしょう。

現在も発掘調査が続けられており、その全貌はまだ明らかになっていませんが、アクイレイアは、ローマ帝国初期における最大級の都市であった可能性もあり、今後の発掘調査に期待が寄せられています。

2. バシリカとは何か?

要約

バシリカの起源と意味

バシリカは、古代ローマ時代に建設された長方形の公共建築物です。当初は、裁判所や市場、集会所など、様々な用途で使用されていました。

ローマ時代末期には、キリスト教の教会堂として使用されるようになり、長方形の教会堂という意味を持つようになりました。

バシリカは、キリスト教建築に大きな影響を与え、中世以降の教会建築の原型となりました。

バシリカの起源と意味
時代 用途
古代ローマ時代 裁判所、市場、集会所など
ローマ時代末期 キリスト教の教会堂
中世以降 教会建築の原型

バシリカの特徴

バシリカは、一般的に、中央の身廊と両側に並ぶ側廊、そして正面玄関と後陣と呼ばれる祭壇のある部分で構成されています。

身廊は、中央に柱が立ち並び、天井はアーチ状になっています。側廊は、身廊よりも低く、天井は平らになっています。

正面玄関は、通常、柱廊玄関で飾られています。後陣は、祭壇が置かれ、聖職者席や聖歌隊席が設けられています。

バシリカの特徴
部分 特徴
身廊 中央に柱が立ち並び、天井はアーチ状
側廊 身廊よりも低く、天井は平ら
正面玄関 柱廊玄関で飾られる
後陣 祭壇が置かれ、聖職者席や聖歌隊席が設けられる

バシリカの代表的な例

バシリカの代表的な例としては、ローマのサン・ピエトロ大聖堂、ヴェネツィアのサン・マルコ寺院、アクイレイアの総主教聖堂などがあります。

これらのバシリカは、それぞれ独自の建築様式や装飾を備えていますが、基本的な構造は共通しています。

バシリカは、キリスト教建築の重要な要素であり、世界各地で様々なバリエーションのバシリカが建設されています。

バシリカの代表的な例
場所 バシリカ
ローマ サン・ピエトロ大聖堂
ヴェネツィア サン・マルコ寺院
アクイレイア 総主教聖堂

まとめ

バシリカは、古代ローマ時代の公共建築物であり、キリスト教建築に大きな影響を与えた建築様式です。

バシリカは、長方形の教会堂を指す言葉として、現在でも広く使用されています。

世界各地に様々なバリエーションのバシリカが存在し、それぞれのバシリカが、その地域の文化や歴史を物語っています。

3. アクイレイアの遺跡地域全体の概要

要約

アクイレイアの遺跡

アクイレイアの遺跡は、古代ローマ時代の都市の規模の大きさを物語っています。フォーラム(広場)、公共倉庫、浴場、邸宅、劇場、墓地などが点在し、発掘調査はまだ続いており、都市の規模はローマでも最大級のものだった可能性があるほどです。

しかし、遺跡は採掘場となってしまったため、現在は遺構しか残っていません。フォロ・ロマーノの柱の一部を除いて建造物として立っているものはほとんどありませんが、その跡やモザイク、墓などが残されており、国立考古学博物館には石碑や彫像、モザイク、貨幣などの遺物が展示されています。

アクイレイアの遺跡は、ローマ帝国初期における都市の姿を残す貴重な史跡であり、地中海世界における初期ローマ都市の中でも保存状態がよいものです。

アクイレイアの遺跡
場所 内容
フォーラム 広場
公共倉庫 倉庫
浴場 浴場
邸宅 邸宅
劇場 劇場
墓地 墓地

アクイレイアの総主教聖堂

アクイレイアに残る総主教聖堂は、1031年に再建されたものです。ロマネスク様式を基本とし、14世紀にゴシック様式が加えられていったものです。

内部は身廊と2つの側廊から構成され、南側のホールには4世紀に建造されたラパルムが見られるモザイクがあります。

他にも4世紀の礼拝堂や5世紀の洗礼堂、12世紀の地下聖堂など、さまざまな時代の遺構が残り、キリスト教の歴史が見られます。

アクイレイアの総主教聖堂
部分 特徴
身廊 コリント式の柱が並ぶ
側廊 2つの側廊がある
南側のホール 4世紀に建造されたラパルムが見られるモザイクがある
礼拝堂 4世紀の礼拝堂がある
洗礼堂 5世紀の洗礼堂がある
地下聖堂 12世紀の地下聖堂がある

アクイレイアの重要性

アクイレイアは、4世紀には司教座が置かれ、6世紀には総大司教にまで昇格しました。アクイレイア総大司教は、中央ヨーロッパの広大な地域におけるキリスト教布教に重要な役割を果たしました。

総主教聖堂のバシリカは、中世初期に中央ヨーロッパへキリスト教を布教させるのに重要な役割を果たしたという点で評価されています。

アクイレイアは、ローマ帝国初期における最大級の都市であった可能性もあり、総大司教聖堂は中世における中央ヨーロッパのキリスト教の拡大という面において重要な役割を果たしたという点で評価されています。

アクイレイアの重要性
役割 内容
司教座 4世紀に置かれる
総大司教 6世紀に昇格
キリスト教布教 中央ヨーロッパの広大な地域で重要な役割を果たす
世界遺産登録基準 (iii)(iv)(vi)

まとめ

アクイレイアの遺跡地域は、ローマ帝国初期における都市の規模の大きさを物語る貴重な史跡であり、地中海世界における初期ローマ都市の中でも保存状態がよいものです。

総主教聖堂は、中世初期に中央ヨーロッパへキリスト教を布教させるのに重要な役割を果たしたという点で評価されています。

アクイレイアは、ローマ帝国初期における最大級の都市であった可能性もあり、今後の発掘調査に期待が寄せられています。

4. 総主教聖堂バシリカの特徴

要約

総主教聖堂バシリカの建築様式

総主教聖堂バシリカは、1031年に再建されたもので、ロマネスク様式を基本とし、1348年の地震で壊れた部分の補修に一部ゴシック様式が取り入れられています。

正面から見ると「凸」形の三廊式(中央の身廊をふたつの側廊が挟む様式)で、平面65.6×30.0m・高さ23.0mを誇ります。

身廊にコリント式の柱が並ぶシンプルなロマネスク様式ですが、バラ窓や尖塔アーチなどゴシック様式の意匠が取り入れられているのが特徴です。

総主教聖堂バシリカの建築様式
様式 特徴
ロマネスク様式 身廊にコリント式の柱が並ぶ
ゴシック様式 バラ窓や尖塔アーチなど
平面 65.6×30.0m
高さ 23.0m

総主教聖堂バシリカのモザイク

総主教聖堂バシリカの床には、エデンの動物たちや預言者ヨナなどを描いた37×20mの見事なモザイク画が展開しています。

4世紀の作品で、11世紀から1909年まで粘土で塗り込められていたため状態はきわめて良好です。

南側のホールには4世紀に建造されたラパルムが見られるモザイクがあり、キリスト教信仰の歴史を伝えています。

総主教聖堂バシリカのモザイク
場所 特徴
エデンの動物たちや預言者ヨナなどを描いたモザイク画
南側のホール 4世紀に建造されたラパルムが見られるモザイク

総主教聖堂バシリカの見どころ

総主教聖堂バシリカの見どころは、モザイク床だけではありません。東端のアプス(後陣)やクリプト(地下聖堂)は、イエスやマリア、アクイレイアの初代主教・聖エルマゴラスらを描いた11~12世紀の見事なフレスコ画で覆われています。

また、高さ73mの鐘楼も、ローマ時代のテアトルム(ローマ劇場)の石を転用して築かれており、美しいモザイク画が残されています。

西の洗礼堂は八角形の円堂で、六角形の洗礼盤を備えています。

総主教聖堂バシリカの見どころ
場所 特徴
アプス イエスやマリア、アクイレイアの初代主教・聖エルマゴラスらを描いたフレスコ画
クリプト 11~12世紀のフレスコ画
鐘楼 高さ73m、ローマ時代のテアトルムの石を転用して築かれている
洗礼堂 八角形の円堂、六角形の洗礼盤を備えている

まとめ

総主教聖堂バシリカは、ロマネスク様式とゴシック様式が融合した美しい建築様式で建てられています。

床一面に広がる4世紀のモザイク画は、保存状態が良く、当時の技術の高さを物語っています。

クリプトや鐘楼、洗礼堂など、様々な見どころがあり、キリスト教の歴史や文化を学ぶことができます。

5. 世界遺産に指定された理由

要約

登録基準(iii)

アクイレイアの遺跡は、ローマ帝国初期においても繁栄した都市の姿を残すということ。

アクイレイアの遺跡は、ローマ帝国初期における都市の姿を残す貴重な史跡であり、地中海世界における初期ローマ都市の中でも保存状態がよいものです。

登録基準(iii)
内容 説明
ローマ帝国初期の都市 アクイレイアの遺跡は、ローマ帝国初期においても繁栄した都市の姿を残す
保存状態 地中海世界における初期ローマ都市の中でも保存状態がよい

登録基準(iv)

古代アクイレイアの都市の大部分はまだ未発掘というほどで、ここは地中海世界における初期ローマ都市の中でも保存状態がよいものであるという点。

アクイレイアの遺跡の多くは未発掘のまま地下に眠っており、そのためにそれはその種の中で最も大きな考古学的な保護地域となっています。

登録基準(iv)
内容 説明
保存状態 古代アクイレイアの都市の大部分はまだ未発掘で、地中海世界における初期ローマ都市の中でも保存状態がよい

登録基準(vi)

アクイレイアの総大司教聖堂のバシリカは、中世初期に中央ヨーロッパへキリスト教を布教させるのに重要な役割を果たしたということ。

総主教聖堂のバシリカは、中世初期に中央ヨーロッパへキリスト教を布教させるのに重要な役割を果たしたという点で評価されています。

登録基準(vi)
内容 説明
キリスト教布教 アクイレイアの総大司教聖堂のバシリカは、中世初期に中央ヨーロッパへキリスト教を布教させるのに重要な役割を果たした

まとめ

アクイレイアの遺跡地域と総主教聖堂バシリカは、ローマ帝国初期の都市の繁栄と、中世におけるキリスト教の拡大という、歴史上の重要な段階を物語る貴重な史跡です。

これらの史跡は、地中海世界における初期ローマ都市の中でも保存状態が良く、世界遺産に登録されるにふさわしい価値があると認められています。

6. アクイレイアを訪れる際のおすすめスポット

要約

総主教聖堂バシリカ

アクイレイアを訪れる観光客のほとんどが、総主教聖堂バシリカのモザイク床目的で訪れるのではないでしょうか。

聖堂自体は、1031年に再建されたもので、ロマネスク様式を基本とし、一部にゴシック様式が取り入れられています。

聖堂の床一面を覆う、4世紀のモザイク床は必見です。

総主教聖堂バシリカ
見どころ 説明
モザイク床 4世紀のモザイク床は必見
建築様式 ロマネスク様式とゴシック様式が融合
クリプト 11~12世紀のフレスコ画
鐘楼 高さ73m、ローマ時代のテアトルムの石を転用して築かれている
洗礼堂 八角形の円堂、六角形の洗礼盤を備えている

アクイレイア考古学博物館

総主教聖堂バシリカから歩いて5分ほどの位置にある、アクイレイア考古学博物館。

この施設には、アクイレイアで発見されたローマ時代の出土品の数々が展示してあります。

石像や石板、骨壷などはもちろんですが、ガラスや食器、装飾品、硬貨など当時の生活用品の展示が充実していました。

アクイレイア考古学博物館
展示 説明
ローマ時代の出土品 石像、石板、骨壷、ガラス、食器、装飾品、硬貨など

Sepolcreto Romano(Necropolis)

Sepolcreto Romano(Necropolis)というローマ時代の墓地。

9時から18時の間は無料で公開されていて、自由に入って見学可能。

屋根もない場所に、墓石や棺などが野ざらしにおいてあります。

Sepolcreto Romano(Necropolis)
内容 説明
ローマ時代の墓地 墓石や棺などが野ざらしになっている
見学 9時から18時の間は無料で公開されている

まとめ

アクイレイアを訪れる際は、総主教聖堂バシリカのモザイク床、アクイレイア考古学博物館、Sepolcreto Romano(Necropolis)など、様々なスポットを訪れてみましょう。

これらのスポットを訪れることで、古代ローマ時代の都市アクイレイアの栄華と、キリスト教文化の歴史を感じることができます。

参考文献

アクイレイアの遺跡地域と総大司教座聖堂のバシリカ – Wikipedia

【世界遺産】アクイレイアの遺跡地域とは?|第二のローマと …

イタリアの世界遺産「アクイレイアの遺跡地域と総大司教座 …

アクイレイアの考古地域と総主教聖堂バシリカ – 世界遺産 …

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