大ジンバブエ国立記念物とは?世界遺産についての解説

大ジンバブエ国立記念物の構成要素
エリア 内容 説明
アクロポリス 西エンクロージャー 政治の中心地、王や首長の住居
アクロポリス 東エンクロージャー 祭祀の中心地、儀式が行われた場所
谷の遺跡 住居跡 王や首長の妻や子供たちの住居
谷の遺跡 倉庫 交易品や食料などを保管していた場所
大囲壁(グレートエンクロージャー) 西側 住居
大囲壁(グレートエンクロージャー) 東側 儀式などを行った場所

1. 大ジンバブエ国立記念物の成立

要約

1-1. グレート・ジンバブエ遺跡の発見と初期の誤解

グレート・ジンバブエ遺跡は、ジンバブエ共和国の首都ハラレから南方300kmのジンバブエ高原の南端、サビ川の上流の標高約1000mに位置する、大規模な石造建築遺跡です。1860年代には、この遺跡の起源について誤った仮説が立てられていました。ドイツ人宣教師A.メレンスキーは、ショナ族居住地にあるという巨大な遺跡について、ソロモン王を訪ねた「シバの女王国」の首都オフィールに違いないと考え、同国人の若い探検家カール・マウフにそのことを伝えたのです。

マウフは1871年、現地を訪れてグレート・ジンバブエ遺跡を発見し、「アクロポリス」をモリヤ山上、すなわち現エルサレムのソロモン神殿を模倣したもので、グレートエンクロージャーはシバの女王がエルサレムにいた時に住んでいた宮殿を模したものだと報告しました。その根拠として遺跡で採集した木材片にレバノン杉の匂いがあるので、古代フェニキア人かユダヤ人がこの遺跡を築いたのだと主張したのです。

ケープ植民地の政治家セシル・ローズは、1890年、イギリス政府の保証のもとに私財を投じて当時マショナランドと呼ばれた現ザンビアと現ジンバブエ共和国の範囲にあたる地域を占領し、自分の名にちなんで「ローデシア」と命名しました。セシル・ローズは、グレート・ジンバブエ=オフィール説を信じていたといい、近東地域の研究家といわれ、考古学者を名乗っていたジェームズ・セオドア・ベントにグレート・ジンバブエの調査を行わせたのです。

ベントは、グレートエンクロージャーの大円錘塔がフェニキアの貨幣に刻まれた「神殿」に似ていることなどから、鳥の石柱やこのような「神殿」を築いたのはアラビア文化を担う人々であって、グレート・ジンバブエはアラビアにもたらされた黄金の鉱山の一つに違いないと主張しました。そして現在Q方式と呼ばれる丁寧に築かれた石積みは、西アジア人によるものだと主張したのです。

グレート・ジンバブエ遺跡の初期の誤解
時期 人物 主張
1860年代 A.メレンスキー シバの女王の首都オフィール
1871年 カール・マウフ ソロモン神殿を模倣した建造物
1890年 ジェームズ・セオドア・ベント アラビア文化の影響による建造物

1-2. アフリカ人による建設説の確立

1895年9月、RSAは支配地域の遺跡で財宝探しを行う許可をローデシア古代遺跡会社に与えましたが、グレート・ジンバブエ遺跡だけは除外されました。ベントの仕事を引き継いだのは当時のローデシア在住のジャーナリスト、リチャード=ホールでした。彼は西アジア由来の遺物を探すために、グレートエンクロージャーなどの遺物包含層を徹底的に掘り返し、乱掘によって遺跡を大規模に破壊したのです。

そして古代西アジア人による繁栄とイスラム教徒のアラブ・スワヒリ人による再興、そしてアフリカ人による退廃期という三段階の歴史的変遷が遺跡の調査で分かったと多数の著作で論じました。しかし彼は、グレート・ジンバブエがアフリカ人によるものであることを示す土器などをはじめとする生活用具には目もくれずに土砂と一緒に捨てたことまで著書に記述したので、その調査の杜撰さに密かに疑問をいだく考古学者もいたのです。

20世紀に入り、ようやく正確な考古学調査が始まりました。1905年、イギリス科学振興協会はエジプト考古学で業績のあったデイヴィッド・ランダル・マッキーヴァーに調査を依頼しました。マッキーヴァーは現地でグレート・ジンバブエのほかカミ遺跡、ドーロ=ドーロ遺跡、ナレタレ遺跡など6カ所の遺跡を調査したのです。

彼はホールが放置して廃棄した土器をはじめとする生活用具関連の出土品を一級の資料とし、現地の地層構造との関係を検証しました。そして、発見された土器片が現在のショナ人が使用しているものとほぼ同じであって、石造建築物に何らアラビア風の影響は認められないと論じ、遺跡はショナ人など現地住民が築いたものだと主張したのです。

グレート・ジンバブエ遺跡の考古学調査
時期 人物 主張
1905年 デイヴィッド・ランダル・マッキーヴァー ショナ族による建設
1929年 ガートルード・ケイトン=トンプソン マッキーヴァー説を支持
1958年 ロジャー=サマーズ 包括的なデータ収集
1961年 D.P.アブラハム モノモタパ王国との関連性
1970年代 トーマス・ハフマン 庶民の居住区調査
1970年代 ピーター・ガーレイク 王権の象徴としての建造物

1-3. グレート・ジンバブエ=アフリカ人建設説の確立とその後

また、発見時の遺物の層位学的な位置関係に注目するとともに、アラブやペルシャ製ビーズ、中国産陶磁器などの搬入品はソロモン時代の紀元前どころか、早くても11世紀をさかのぼることはなく、これらの遺跡は15世紀ごろのものであると論じました。ホールはさっそく反論を書いて決着がつかないかに思われたのです。

1929年に再びイギリス科学振興協会の要請に応じて、女性考古学者のガートルード・ケイトン=トンプソンが現地に赴きました。彼女は、「谷の遺跡」とモーンド廃墟について緻密なトレンチ調査を行い、層位学的研究法の見地から最下層までの層位と遺物を対応させた実測図とデータを提示して、後の研究者がデータを検証できるような報告書を作成するように努めたのです。

そして彼女は自らの調査成果からマッキーヴァー説を強く支持する調査結果を発表しました。彼女の調査法はフィールド調査の手本とされ、ガーレイクはその調査法を「広域的発掘調査の最初にして唯一の調査」と賞賛し、今日でも高く評価されています。

その後、ケイトン=トンプソンは各地で講演を行ったのですが、プレトリアで行った講演で遺跡の建築者は紛れもなく現地のアフリカ人であること、彼らが成熟した文明の担い手であって高度な国家的組織と優れた独創性と高い技術を持っていたことを論じ、南部アフリカの学界を挙げて取り組むにふさわしいテーマだと訴えると、アウストラロピテクスの発見者として知られるレイモンド・ダートは激怒して演壇と司会者に向かって怒鳴りつけ、会場から足を踏み鳴らして出ていったという逸話があるのです。

1-4. まとめ

グレート・ジンバブエ遺跡は、当初はシバの女王の宮殿やフェニキア人、ユダヤ人によって建設されたという誤った認識が支配的でした。しかし、20世紀初頭に本格的な考古学調査が行われるようになり、マッキーヴァーやケイトン=トンプソンらの研究によって、グレート・ジンバブエ遺跡がショナ族によって建設されたことが明らかになりました。

この発見は、当時のアフリカ南部の白人社会においては受け入れがたいものでしたが、考古学的な証拠と研究によって、グレート・ジンバブエ遺跡がショナ族の高度な文明を象徴するものであることが証明されたのです。

グレート・ジンバブエ遺跡は、アフリカの歴史と文化を理解する上で重要な役割を果たす遺跡であり、その建設者であるショナ族の技術力と創造性を示す貴重な遺産として、世界遺産に登録されました。

現在では、グレート・ジンバブエ遺跡は、ジンバブエ国民にとって誇りであり、その歴史と文化を象徴する存在となっています。

2. 大ジンバブエ国立記念物の遺跡と構造

要約

2-1. アクロポリス

アクロポリスは、比高差80mの花崗岩の丘の上にある遺構であり、大きく西エンクロージャーと東エンクロージャーに区分されます。西エンクロージャーは、高さ7mで、最も高い部分で高さ9mに及ぶ石壁がそびえ、石壁底部の厚さは6~7mに達します。石壁は自然の巨石を組み込んで築かれ、直径30mに及ぶのです。

壁の上には、小さな塔が4つとその間に石の柱があったと推察され、首長の権威の象徴である穀物蔵と武具を表すという説もあるのです。このような西エンクロージャーは、王ないし首長が政治をつかさどった場であると考えられ、金製品や滑石の盆や儀礼用に用いたと考えられている青銅製の槍先など首長の権威を象徴する遺物が出土しています。

一方、東エンクロージャーの内部には、石組みのテラスが築かれ、祭祀や宗教に関連する遺物が出土しました。特に注目されるのが鳥の彫像若しくは人間のような足を持つ鳥のような生物の彫像を頂部に刻んだ滑石製の約1mほどの石柱が6本確認されたことです。

これらの石柱は、前述したテラス状遺構を祭壇として用いた際に立てられていて雨乞いなどの儀式に用いられたと推察されます。というのは、ショナ族の世界観では、鳥は、天の霊界と地上の俗界を往来し仲介できる使者のような存在であり、亡くなった首長の霊や先祖の霊が天に昇ると現世のあらゆる災厄から社会を守る能力を獲得すると考えていたので、呪術師、霊媒師が、鳥の像を先祖の霊を呼び寄せる一種の依代として、儀式に用いたのではと考えられるからです。

アクロポリスの構造
エリア 内容 説明
西エンクロージャー 石壁 高さ7m、最も高い部分で高さ9m
西エンクロージャー 小さな塔が4つ
東エンクロージャー テラス 祭祀や宗教に関連する遺物が出土
東エンクロージャー 石柱 鳥の彫像を頂部に刻んだ滑石製の石柱

2-2. 谷の遺跡

「谷の遺跡」は、「アクロポリス」の南方400~500mほどの位置に広がり、ジンバブエの王ないし首長の妻たちと子どもたちの住居であったと考えられています。最も大きな遺構は、直径10mを超える円形の壁をもつ大きな住居であり、草葺きであったと考えられています。

「王妃」ないし首長の第一夫人の住居と考えると、彼女が多くの妻たちの筆頭として「日常家事行為」をきりもりするために他の夫人たちやその子どもたちの住居と想定されるエンクロージャーにつながる通路が八方にのびていたことが理解できるのです。

一方、出土品には、中国製の陶磁器皿、西アジア産のガラス製品、大量のガラスビーズ、銅製の指輪と重さ数キロにも及ぶ銅線、鉄製のゴング3点及び足輪、鍬、斧、スプーン、燭台、ペルシャ製容器2点、金ビーズ、象牙、子安貝などの貝類、儀礼用青銅製槍先2点が発見されたことから倉庫として機能をもっていた施設ではないかとも考えられるのです。

いずれにせよ、これらの首長の妻たちと子どもたちの住むエンクロージャーには、各々の妻たちの実家のトーテムと思われる石柱ないし石柱の立てられた痕が「家」の入り口に残されていたのです。そのなかには、アクロポリスの「東エンクロージャー」で発見されたものと酷似する鳥の石彫を頂部に付けワニの姿を刻んだ滑石製石柱が1点発見されています。現在のジンバブエ共和国の国旗デザインに描かれた「鳥の彫像」イメージは、この遺物から採られているのです。

谷の遺跡の構造
エリア 内容 説明
住居 円形の壁 直径10mを超える
通路 八方に伸びる 王妃が他の夫人たちの住居へアクセスするため
出土品 中国製の陶磁器皿 交易の活発さを示す
出土品 鳥の石彫 現在のジンバブエ国旗のモチーフ

2-3. 大囲壁(グレートエンクロージャー)

さて、「第一夫人」の住居、または「倉庫」の南方へ延びる通路の突き当たりに有名な「大囲壁」(グレートエンクロージャー)、マッキーヴァーが「楕円神殿」と呼んだ建造物があります。グレートエンクロージャーは、長径89m、外壁の周囲の長さ244m、高さ11m、外壁の基部の厚さ6mに達するのです。

グレートエンクロージャーは、大きく東側と西側に区分され、西側部分の構造は「谷の遺跡」に似ており、居住の場であったと考えられ、東側には、直径5.5m、高さ9mを超える円錘形の塔が建てられており、宗教的祭祀的な空間であったと考えられています。

このようなグレートエンクロージャーの用途については研究者によって説が分かれ、トーマス・ハフマンは、文化的にショナ族に近い南アフリカのベンタ人の慣習などから推定して、いわゆる若者宿や成人式の学校のような施設と考えています。ベンタ人は、東が聖、西が俗、南が男性、北が女性を表すという一種のコスモロジーをもっているのです。

西側は、成人式参加者が寝起きする生活の場所であり、参加者は一定の期間周壁の建設などの労働奉仕を行うために集められたのです。南西の門が男性用で、北西の門が女性用と決められていたのです。聖の空間とされる東側の円錘状の塔の周辺で人間や牛の形をした土偶が出土するのは、成人になるにあたっての「秘伝の伝授」の儀式を行っていたからである。そしてグレートエンクロージャーの外壁の頂部を飾る黒っぽい石と山形の石組みは、それぞれシマウマと蛇を表し、多産と豊饒の象徴である。グレートエンクロージャーが「谷の遺跡」と隣接しているのは、王ないし首長の妻が成人式に関して重要な役割をになうので隣り合わせなのであるという考え方があるのです。

大囲壁(グレートエンクロージャー)の構造
エリア 内容 説明
西側 構造 谷の遺跡に似ており、居住の場
東側 円錘形の塔 高さ9mを超える
石積み P方式 西側部分の石積み
石積み Q方式 北東部分の石積み

2-4. まとめ

グレート・ジンバブエ遺跡は、アクロポリス、谷の遺跡、大囲壁(グレートエンクロージャー)の3つのエリアで構成されています。アクロポリスは、丘の上にある遺構で、西エンクロージャーは政治の中心地、東エンクロージャーは祭祀の中心地であったと考えられています。

谷の遺跡は、アクロポリスの南に位置し、王や首長の妻や子供たちの住居であったと考えられています。ここでは、中国製の陶磁器や西アジアのガラス製品など、様々な遺物が発見されています。

大囲壁(グレートエンクロージャー)は、遺跡の最も南に位置し、高さ11mの壁に囲まれた建造物です。西側は住居、東側は儀式などを行った場であったと考えられています。

これらの遺跡は、ショナ族の高度な石工技術と建築技術を物語るものであり、グレート・ジンバブエ遺跡が、かつて栄華を誇ったショナ族の文明を象徴するものであることを示しています。

3. 大ジンバブエ国立記念物の文化的意義

要約

3-1. グレート・ジンバブエ遺跡の文化的意義

グレート・ジンバブエ遺跡は、11世紀から15世紀にかけて栄えたショナ族の文明を現在に証明するものであり、現在のジンバブエ国民のアイデンティティになっています。グレート・ジンバブエは、ショナ語で「石の家」を意味し、国名はこの遺跡に由来しています。

また、現在のジンバブエの国旗には、この遺跡で発見された「鳥の彫像」が入っていたりと、ジンバブエ国民はこの遺跡を自分たちのシンボルとしているのです。

グレート・ジンバブエ遺跡は、ショナ族の高度な技術力と芸術性を示すだけでなく、彼らの社会構造や宗教観、交易活動など、様々な側面を垣間見ることができる貴重な遺産です。

この遺跡は、アフリカの歴史と文化を理解する上で重要な役割を果たすだけでなく、世界の人々に、アフリカの豊かな文化と文明を伝える役割も担っています。

3-2. グレート・ジンバブエ遺跡の国際的な評価

グレート・ジンバブエ遺跡は、1986年に世界文化遺産に登録されました。ユネスコは、この遺跡を以下の3つの基準に基づいて評価しました。

基準(i):ユニークな芸術的成果であるこの偉大な都市は、中世以来、アフリカやヨーロッパの旅行者の想像力をかき立ててきた。

基準(iii):グレート・ジンバブエ遺跡は、11世紀から15世紀にかけて失われたショナ語の文明を証明している。

基準(vi):ジンバブエ国民全体がこの歴史的に象徴的なアンサンブルと同一視し、そのエンブレムとして王室のトーテムであったかもしれないステアタイト鳥を採用している。

ユネスコによる評価基準
基準 内容
(i) ユニークな芸術的成果
(iii) ショナ族の文明を証明
(vi) ジンバブエ国民のシンボル

3-3. グレート・ジンバブエ遺跡の文化的意義の深化

グレート・ジンバブエ遺跡は、単なる石造建築物ではなく、ショナ族の文化、歴史、社会、宗教、芸術など、様々な要素が複合的に組み合わさった、非常に重要な文化的遺産です。

この遺跡は、アフリカの文化と文明の多様性を示すだけでなく、人類の歴史と文化の普遍性を示すものでもあります。

グレート・ジンバブエ遺跡は、今後も研究が続けられ、その文化的意義がさらに深まっていくことが期待されています。

この遺跡は、世界の人々に、アフリカの文化と文明の素晴らしさを伝え、人類共通の遺産として大切に守っていくべきものです。

3-4. まとめ

グレート・ジンバブエ遺跡は、ショナ族の高度な文明を象徴するだけでなく、ジンバブエ国民のアイデンティティを形成する重要な文化的遺産です。

この遺跡は、世界遺産に登録されることで、国際的な評価を受け、その文化的意義が広く認識されるようになりました。

グレート・ジンバブエ遺跡は、今後も研究が続けられ、その文化的意義がさらに深まっていくことが期待されています。

この遺跡は、世界の人々に、アフリカの文化と文明の素晴らしさを伝え、人類共通の遺産として大切に守っていくべきものです。

4. 大ジンバブエ国立記念物と考古学の関係

要約

4-1. グレート・ジンバブエ遺跡の考古学調査

グレート・ジンバブエ遺跡は、考古学研究の対象として、長年にわたって多くの研究者によって調査が行われてきました。初期の調査では、誤った仮説に基づいた調査が行われましたが、20世紀初頭から本格的な考古学調査が始まり、遺跡の真の姿が明らかになっていきました。

考古学調査によって、グレート・ジンバブエ遺跡がショナ族によって建設されたこと、そして、彼らの高度な技術力と建築技術が証明されました。また、遺跡から出土した遺物から、ショナ族の社会構造、宗教観、交易活動などが明らかになってきました。

考古学調査は、グレート・ジンバブエ遺跡の文化的意義を解明する上で重要な役割を果たしており、今後も継続的な調査によって、新たな発見が期待されています。

考古学調査は、歴史と文化を解き明かすだけでなく、未来への継承にも役立ちます。グレート・ジンバブエ遺跡の考古学調査は、人類の歴史と文化を理解する上で重要な役割を果たしています。

考古学調査の主な成果
時期 人物 成果
1905年 デイヴィッド・ランダル・マッキーヴァー ショナ族による建設の証明
1929年 ガートルード・ケイトン=トンプソン 層位学的研究法による詳細な調査
1958年 ロジャー=サマーズ 包括的なデータ収集
1961年 D.P.アブラハム モノモタパ王国との関連性の研究
1970年代 トーマス・ハフマン 庶民の居住区の調査
1970年代 ピーター・ガーレイク 王権の象徴としての建造物の研究

4-2. グレート・ジンバブエ遺跡の考古学調査の意義

グレート・ジンバブエ遺跡の考古学調査は、単に遺跡の構造や遺物を調べるだけでなく、ショナ族の文化や歴史を解明し、その文化的意義を明らかにすることを目的としています。

考古学調査によって、グレート・ジンバブエ遺跡が、かつて栄華を誇ったショナ族の文明を象徴するものであることが証明されました。また、遺跡から出土した遺物から、ショナ族の社会構造、宗教観、交易活動などが明らかになってきました。

考古学調査は、グレート・ジンバブエ遺跡の文化的意義を解明する上で重要な役割を果たしており、今後も継続的な調査によって、新たな発見が期待されています。

考古学調査は、歴史と文化を解き明かすだけでなく、未来への継承にも役立ちます。グレート・ジンバブエ遺跡の考古学調査は、人類の歴史と文化を理解する上で重要な役割を果たしています。

4-3. グレート・ジンバブエ遺跡の考古学調査の課題

グレート・ジンバブエ遺跡の考古学調査は、遺跡の保存と研究のバランスをどのように取るかが課題です。遺跡の保存のために、発掘調査を制限する必要がある一方で、新たな発見や研究を進めるためには、発掘調査が必要となります。

また、考古学調査は、資金や人材不足などの問題を抱えています。これらの問題を解決するために、国際的な協力や資金援助が必要となります。

さらに、考古学調査の結果をどのように社会に還元するかも課題です。考古学調査によって得られた知識や情報は、一般の人々に分かりやすく伝え、理解を深める必要があります。

グレート・ジンバブエ遺跡の考古学調査は、今後もこれらの課題を克服しながら、遺跡の保存と研究を進めていく必要があります。

考古学調査の課題
課題 説明
保存と研究のバランス 発掘調査の制限と新たな発見の必要性
資金と人材不足 国際的な協力や資金援助が必要
社会への還元 一般の人々に分かりやすく情報を伝える必要

4-4. まとめ

グレート・ジンバブエ遺跡の考古学調査は、遺跡の文化的意義を解明し、その保存と研究を進める上で重要な役割を果たしています。

しかし、遺跡の保存と研究のバランス、資金や人材不足、社会への還元など、様々な課題も存在します。

これらの課題を克服するために、国際的な協力や資金援助、そして、一般の人々への分かりやすい情報発信が必要となります。

グレート・ジンバブエ遺跡の考古学調査は、今後もこれらの課題を克服しながら、遺跡の保存と研究を進めていく必要があります。

5. 大ジンバブエ国立記念物の観光情報

要約

5-1. グレート・ジンバブエ国立記念物へのアクセス

グレート・ジンバブエ国立記念物は、ジンバブエ共和国の首都ハラレから、グレート・ジンバブエの最寄りの町「マシンゴ」までバスで5時間、マシンゴからは乗合バスで30分程でグレート・ジンバブエホテルまで行くことができます。そこからグレート・ジンバブエまでは徒歩で30分程です。

ツアーに参加せず個人で行く場合は、行きの乗合バスを帰りの時間にあわせ手配しておいた方が良いでしょう。

グレート・ジンバブエ国立記念物は、ジンバブエの主要な観光地の一つであり、多くの観光客が訪れます。そのため、事前に予約をしておくことをおすすめします。

また、グレート・ジンバブエ国立記念物周辺には、宿泊施設や飲食店なども充実しているので、安心して滞在することができます。

アクセス方法
交通手段 所要時間
ハラレからマシンゴ バスで5時間
マシンゴからグレート・ジンバブエホテル 乗合バスで30分
グレート・ジンバブエホテルから遺跡 徒歩で30分

5-2. グレート・ジンバブエ国立記念物の見学ポイント

グレート・ジンバブエ国立記念物では、アクロポリス、谷の遺跡、大囲壁(グレートエンクロージャー)など、様々な遺跡を見学することができます。

アクロポリスは、丘の上にある遺構で、西エンクロージャーは政治の中心地、東エンクロージャーは祭祀の中心地であったと考えられています。

谷の遺跡は、アクロポリスの南に位置し、王や首長の妻や子供たちの住居であったと考えられています。ここでは、中国製の陶磁器や西アジアのガラス製品など、様々な遺物が発見されています。

大囲壁(グレートエンクロージャー)は、遺跡の最も南に位置し、高さ11mの壁に囲まれた建造物です。西側は住居、東側は儀式などを行った場であったと考えられています。

見学ポイント
エリア 内容
アクロポリス 西エンクロージャー、東エンクロージャー
谷の遺跡 住居跡、倉庫
大囲壁(グレートエンクロージャー) 西側、東側

5-3. グレート・ジンバブエ国立記念物での注意点

グレート・ジンバブエ国立記念物は、歴史的な遺跡であり、貴重な文化遺産です。そのため、見学する際には、以下の点に注意する必要があります。

遺跡内では、大声を出したり、ゴミを捨てたり、遺跡に触れたりすることは禁止されています。

また、遺跡内は日差しが強いので、帽子や日焼け止めクリームなどを用意しておきましょう。

さらに、遺跡内は歩きにくい場所も多いので、歩きやすい靴を履いていきましょう。

見学時の注意点
注意点 説明
大声を出さない 遺跡の静寂を守るため
ゴミを捨てない 環境保護のため
遺跡に触れない 遺跡の保護のため
歩きやすい靴を履く 遺跡内は歩きにくい場所が多い

5-4. まとめ

グレート・ジンバブエ国立記念物は、ジンバブエを代表する世界遺産であり、歴史と文化に触れることができる貴重な観光地です。

アクセスは、ハラレからバスで約5時間、マシンゴから乗合バスで約30分、グレート・ジンバブエホテルから徒歩で約30分です。

見学する際には、遺跡内でのルールを守り、安全に配慮して見学しましょう。

グレート・ジンバブエ国立記念物は、ジンバブエの歴史と文化を深く理解するのに最適な場所です。

6. 大ジンバブエ国立記念物の今後の課題と保存活動

要約

6-1. グレート・ジンバブエ国立記念物の保存活動

グレート・ジンバブエ国立記念物は、世界遺産として登録されたことで、国際的な注目を集め、その保存活動も活発化しました。ジンバブエ政府は、遺跡の保護と管理のために、様々な取り組みを行っています。

遺跡の周辺には、緩衝地帯が設定され、開発が制限されています。また、遺跡の修復や整備も進められています。さらに、遺跡の観光客に対する管理も強化され、遺跡への負担を軽減するための取り組みが行われています。

グレート・ジンバブエ国立記念物の保存活動は、遺跡の価値を維持し、将来の世代に継承していくために不可欠です。

ジンバブエ政府は、国際機関やNGOとの協力も積極的に行い、遺跡の保存活動を進めています。

保存活動
取り組み 説明
緩衝地帯の設定 開発を制限
遺跡の修復と整備 遺跡の劣化を防ぐ
観光客管理の強化 遺跡への負担を軽減
国際機関やNGOとの協力 資金や技術の支援

6-2. グレート・ジンバブエ国立記念物の課題

グレート・ジンバブエ国立記念物は、世界遺産として登録されたことで、観光客の増加による影響を受けています。観光客の増加は、遺跡への負担増加、環境問題、地域住民との摩擦などの問題を引き起こす可能性があります。

また、グレート・ジンバブエ国立記念物は、気候変動や自然災害の影響を受けやすい場所です。気候変動による乾燥化や降水量の変動は、遺跡の劣化を加速させる可能性があります。

さらに、グレート・ジンバブエ国立記念物は、資金不足や人材不足などの問題を抱えています。遺跡の保存活動には、多額の費用と専門的な知識が必要となります。

これらの課題を克服するために、ジンバブエ政府は、国際的な協力や資金援助を求め、遺跡の保存活動を進めていく必要があります。

課題
課題 説明
観光客増加 遺跡への負担増加、環境問題、地域住民との摩擦
気候変動 乾燥化や降水量の変動による遺跡の劣化
資金不足 遺跡の保存活動には多額の費用が必要
人材不足 専門的な知識を持った人材が必要

6-3. グレート・ジンバブエ国立記念物の未来

グレート・ジンバブエ国立記念物は、ジンバブエの歴史と文化を象徴する重要な遺産であり、今後もその価値を維持し、将来の世代に継承していく必要があります。

そのためには、観光客の増加による影響を抑制し、遺跡の劣化を防ぐための対策を講じることが重要です。

また、資金不足や人材不足などの問題を解決するために、国際的な協力や資金援助を求め、遺跡の保存活動を進めていく必要があります。

グレート・ジンバブエ国立記念物は、人類共通の遺産であり、世界中の人々にその価値を伝え、未来へと繋いでいく必要があります。

6-4. まとめ

グレート・ジンバブエ国立記念物は、世界遺産として登録されたことで、国際的な注目を集め、その保存活動も活発化しました。しかし、観光客の増加による影響、気候変動や自然災害の影響、資金不足や人材不足などの課題も存在します。

これらの課題を克服するために、ジンバブエ政府は、国際的な協力や資金援助を求め、遺跡の保存活動を進めていく必要があります。

グレート・ジンバブエ国立記念物は、人類共通の遺産であり、世界中の人々にその価値を伝え、未来へと繋いでいく必要があります。

グレート・ジンバブエ国立記念物の保存活動は、世界遺産の保護と管理の重要性を示すだけでなく、人類共通の遺産を未来へと繋ぐための取り組みとして、世界中の人々に注目されています。

参考文献

グレート・ジンバブエ遺跡

大ジンバブエ国立記念物(ダイジンバブエコクリツキネンブツ)と …

ジンバブエの世界遺産「国史跡グレート・ジンバブエ遺跡」と …

世界遺産センター – UNESCO World Heritage Centre

グレート・ジンバブエ/ジンバブエ [世界遺産] All About

グレート・ジンバブエ遺跡 – グレート・ジンバブエの歴史 …

東アフリカ文化を伝える巨大な石造建築遺跡グレートジンバブエ

ジンバブエ遺跡 – 世界史の窓

大ジンバブエ遺跡 – 世界遺産を学ぶ

グレート・ジンバブエ遺跡 – Wikiwand

国史跡グレート・ジンバブエ遺跡 | 世界遺産オンラインガイド

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世界遺産 大ジンバブエ国立記念物|ホットホリデー

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PDF 我が国における世界文化遺産の今後の在り方(第一次答申)

ジンバブエの世界遺産、一覧 全5カ所のリスト

PDF 世界遺産の現状と課題に関する一考察

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