エフェソスとは?世界遺産についての解説

エフェソスの概要
項目 内容
位置 トルコ西部イズミル県セルチュク近郊
歴史 紀元前7000年紀から続く長い歴史を持つ
主な見どころ セルシウス図書館、大劇場、アルテミス神殿、聖母マリアの家、聖ヨハネ教会
世界遺産登録 2015年登録、基準(iii)(iv)(vi)
アクセス イズミル空港からセルチュクへバスまたは電車で移動、セルチュクからエフェソス遺跡へはミニバスまたはタクシー
観光時間 最低2時間、じっくり見学するなら3~4時間
注意点 夏場は暑さ対策必須、トイレは北ゲートのみ、混雑時は時間帯をずらす

1. エフェソスの歴史と由来

要約

エフェソスの起源と古代都市の形成

エフェソスは、トルコ西部の小アジアに位置する古代都市で、現在のイズミル県のセルチュク近郊に遺跡が残っています。エフェソスの歴史は古く、紀元前7000年紀まで遡ります。この地には、新石器時代から人が住んでいた痕跡があり、エフェソスの最初の住民はギリシャ人ではなく、リュディア人だったと考えられています。ヒッタイト人の文献に登場するアルザワ王国の首都アパサがエフェソスと同一の都市であると多くの者が考えています。発掘からは青銅器時代のミュケナイ文化に属する陶器が見つかっています。

紀元前10世紀頃、ギリシャ系のイオニア人がこの地に移住し、アルテミス神殿を建設しました。アルテミス神殿は、大地と豊穣の女神アルテミスを祀る神殿として、古代世界七不思議の一つに数えられています。アルテミス神殿は、紀元前7世紀に洪水で破壊され、紀元前6世紀に再建された第2神殿も紀元前356年頃に放火で焼失しました。その後、紀元前323年に再建された第3神殿は、アテナのパルテノン神殿をも超える規模で、古代ギリシアの旅人フィロンが記した世界七不思議のひとつに数えられています。

紀元前6世紀半ばからアケメネス朝ペルシアの支配下に置かれたアナトリアは、マケドニア王アレクサンドロス3世(アレキサンダー大王)によって解放され、アケメネス朝を滅ぼしてインドの手前まで広がる大帝国(アレクサンドロス帝国)を築きました。しかし、紀元前323年に後継者(ディアドコイ)を決めずに急死したためディアドコイ戦争が勃発し、アナトリアについてはリュシマコス朝トラキアやアンティゴノス朝マケドニア、セレウコス朝シリアなどが領有権を争いました。この中で、アレクサンドロス3世の12将のひとりであるリュシマコスがリュシマコス朝を開き、エフェソスに新しい都市を建設しました。

リュシマコス朝が滅んでアッタロス朝ペルガモンに代わると紀元前188年にエフェソスもその版図に入り、紀元前133年には共和政ローマの支配を受けました。紀元前27年にオクタウィアヌスが初代皇帝アウグストゥスとなってローマ帝国がはじまるとエフェソスはアシア属州の首都ととなり、アナトリアにおける帝国の主要港湾都市として急速に発展し、人口は20万を超えたと言われています。

エフェソスの歴史
時代 出来事
紀元前7000年紀 リュディア人が定住
紀元前10世紀頃 ギリシャ人によるアルテミス神殿建設
紀元前6世紀半ば ペルシア帝国の支配
紀元前334年 アレキサンダー大王による征服
紀元前133年 ローマ帝国の支配
紀元前27年 ローマ帝国のアシア属州の首都となる
3世紀 地震やゴート人の侵略による衰退
4世紀 キリスト教が公認
7世紀以降 イスラム勢力の台頭による衰退
14世紀 セルジューク朝の支配
1914年 セルチュクに改名

ローマ帝国時代の繁栄とキリスト教の台頭

ローマ帝国の支配下で、エフェソスは地中海貿易の中心地として繁栄しました。ローマ帝国時代のエフェソスには、プトレマイオス朝エジプトの女王クレオパトラも住んでいたことがあります。クレオパトラはローマのアジア総督マルクス・アントニウスと結婚後、エフェソスに移り住みました。クレオパトラとアントニウスはエフェソスに住む人々に歓迎を受けたそうです。その後クレオパトラとアントニウスは紀元前31年のアクティウムの海戦に敗れ、クレオパトラの故郷エジプトへ帰国しました。

また、クレオパトラだけでなく、クレオパトラの妹のアルノシエ4世もエフェソスにいたことがあるそうです。アルノシエ4世とクレオパトラは対立しており、紀元前47世紀のナイルの戦いでクレオパトラが勝利します。敗れたアルノシエ4世がこの時幽閉された場所がエフェソスでした。その後、アルノシエ4世はクレオパトラの意向を受けて、アントニウス派によって暗殺されてしまいます。エフェソス遺跡からは、クレオパトラの妹アルノシエ4世のものと思われる墓所と遺骨が発見されています。なお、クレオパトラの墓所はまだ発見されておらず、謎に包まれています。

エフェソスには比較的早くキリスト教が入り、新約聖書にはエフェソスの教会にあてた書簡、エフェソの信徒への手紙があります(パウロに帰せられるが、真筆書簡かどうかには疑いがある)。また伝承では、使徒ヨハネはパトモス島の流刑から解放された後、エフェソスの教会の主教(司教)を務める傍ら、ヨハネによる福音書を書いたと伝えられる(ただしこの伝承の史実性は疑問視されている)。

イエスの母マリアも使徒ヨハネとともにエフェソスで余生を送ったと伝えられる。またアンティオキアのイグナティオスにも、エフェソス教会に宛てた書簡が残っている。4世紀以降キリスト教が公認されると、エフェソスはたびたび教会会議や公会議の舞台となりました。その中でも重要なものは、東ローマ(ビザンティン)皇帝テオドシウス2世の勅令下で開催され、ネストリオス派に異端が宣告された431年のエフェソス公会議と、単性説(あるいは合性論)と両性説の論戦が行われて前者が正統とされた449年のエフェソス強盗会議である。この決定は後のカルケドン公会議で覆された。

エフェソスにおける重要な人物
人物 役割
クレオパトラ7世 プトレマイオス朝最後のファラオ、マルクス・アントニウスと共にエフェソスに滞在
アルノシエ4世 クレオパトラの妹、エフェソスに幽閉され暗殺
マルクス・アントニウス ローマの政治家、クレオパトラと共にエフェソスに滞在
使徒ヨハネ イエスの弟子、エフェソスでキリスト教の普及に努め、晩年を過ごした
聖母マリア イエスの母、使徒ヨハネと共にエフェソスで晩年を過ごした
テオドシウス2世 東ローマ帝国の皇帝、エフェソス公会議を開催
ユスティニアヌス1世 東ローマ帝国の皇帝、聖ヨハネ教会を拡張

衰退と廃墟化

3世紀、ローマ帝国は皇帝が乱立した軍人皇帝時代やゲルマン系諸民族の圧力を受けて「3世紀の危機」に陥り、エフェソスも地震や疫病、ゲルマン系ゴート人の侵略などを受けて衰退しました。4世紀に皇帝コンスタンティヌス1世が町を再興。313年のミラノ勅令でキリスト教を公認すると、エフェソスでもキリスト教が急速に普及しました。さらに、テオドシウス1世が380年に国教化し、392年にキリスト教以外の宗教を禁止すると、まもなくアルテミス神殿は閉鎖されました。

431年と449年に開催されたエフェソス公会議で聖母マリアが神の母であることが確認され、マリア崇拝が認められました。それまでの女神信仰・アルテミス信仰は聖母マリア信仰に置き換わり、エフェソスは聖母マリア信仰の中心地となりました。その中心が5世紀に築かれた聖母マリア教会で、500年頃に拡張され、司教座が置かれて聖母マリア大聖堂となりました。

395年に東西ローマ帝国が分裂するとエフェソスはビザンツ帝国(東ローマ帝国)の版図に入りました。ユスティニアヌス1世は4世紀に建設された聖ヨハネ教会を大幅に拡張し、巨大なバシリカ(ローマ時代の集会所に起源を持つ長方形の教会堂)を建設しました。ビザンツ帝国でも主要交易都市として繁栄しましたが、2世紀頃から川の土砂によって埋まりはじめた港は7世紀に深刻化し、8世紀には多くが湿地となりました。原因は森林伐採で、森を開拓して牧草地や小麦畑・ブドウ畑・オリーブ畑に変えた結果、山から保水力が奪われて土砂が海に流れ込んだ。

港としての機能を失うと急速に人口は減り、マラリアの流行を受けて町の中心もアヤスルクの丘をはじめ、周囲へ移動した。7~8世紀にイスラム王朝であるウマイヤ朝(アラブ帝国)やアッバース朝(イスラム帝国)の攻撃を受けると古代都市は放棄され、廃墟となって打ち捨てられました。11世紀にセルジューク朝が侵入した際には小さな農村にすぎなかったという。14世紀までふたたびビザンツ帝国が領有し、城壁を建設し、港を再建した。14世紀、ルーム・セルジューク朝がこの地を占領するとアイドゥン侯国と呼ばれるベイリク(君侯国。地方政権)を置き、アヤスルクが首都となった。イスラム都市として整備され、アヤスルク城塞やイサ・ベイ・モスクをはじめ、キャラバンサライ(隊商宿)やハマム(浴場)などが建設された。その後、オスマン帝国が勢力を強め、1425年にその支配下に入った。その後、町は放棄され、廃墟あるいは小さな農村となった。アヤスルクは1914年にセルジューク朝にちなんで「セルチュク」に改名し、現在に至っている。

エフェソスの歴史的変遷
時代 特徴
先住民時代 アマゾネスと呼ばれる女性中心の狩猟民族が住んでいた可能性
ギリシャ人移住時代 アルテミス信仰が盛んになり、アルテミス神殿が建設された
ヘレニズム時代 ギリシャ文化とオリエント文化が融合し、エフェソスは発展した
ローマ帝国時代 地中海貿易の中心地として繁栄し、人口は20万人を超えた
ビザンチン帝国時代 主要交易都市として繁栄したが、港の埋没により衰退
イスラム帝国時代 イスラム勢力の攻撃を受け、エフェソスは放棄され廃墟となった

まとめ

エフェソスは、先史時代から続く長い歴史を持つ都市です。ギリシャ人によるアルテミス信仰、ローマ帝国による支配、そしてキリスト教の台頭と、様々な文化が交差する中で発展してきました。しかし、港の埋没やイスラム勢力の台頭などにより、8世紀以降は衰退し、廃墟となりました。

エフェソスは、古代世界七不思議の一つであるアルテミス神殿や、世界三大図書館の一つであるセルシウス図書館など、数多くの貴重な遺跡を残しています。これらの遺跡は、エフェソスの繁栄と文化の高さを物語っています。

エフェソスは、キリスト教の歴史においても重要な都市です。聖母マリアが晩年を過ごしたとされる「聖母マリアの家」や、使徒ヨハネの墓の上に建てられた「聖ヨハネ教会」は、現在も多くの巡礼者を集めています。

エフェソスは、古代都市の遺跡だけでなく、キリスト教の聖地としても重要な場所です。現在では、トルコの小村セルチュクの一部として、世界遺産に登録され、多くの観光客が訪れています。

2. エフェソスの建築物と文化

要約

セルシウス図書館

セルシウス図書館は、エフェソス遺跡の中でも最も有名な建造物の一つです。ローマ帝国のアジア総督を務めたセルシウスを偲んで、息子のティベリウスが建設したものです。この場所はセルシウス総督の墓所だったそうで、現在でも図書館の地下には墓所が設けられ、石棺が安置されています。

セルシウス図書館が建造されたのは西暦117年と言われ、エフェソス遺跡のほぼ中央に位置しています。セルシウス図書館は建物正面の構えが残っています。その美しさと威厳は世界遺産にふさわしく、当時の建築技術や彫刻の美しさをじっくり堪能できます。

正面に並ぶ4体の女性の女神像は、知恵のソフィア、徳のアレテー、思考のエンノイア、認識のエピステーメーです。これらの像は周囲の状態に比べると新しく見えますが、これは1970年代に修復されたレプリカなのだそうです。

セルシウス図書館にはおよそ12万冊の本が蔵書されていた大規模な図書館だったそうです。エジプトのアレクサンドリア図書館、トルコのペルガモン図書館と並んで、古代の世界三大図書館と呼ばれています。

セルシウス図書館
項目 内容
建設時期 西暦117年
規模 約1万2千冊の蔵書を収蔵
特徴 2階建ての壁面、古代ギリシャ様式の柱頭を持つ支柱、9段の足場
見どころ 正面のファサード、内部の装飾、地下のセルシウスの墓所
現在の状態 正面のファサードは修復されている

大劇場

エフェソス遺跡には、2万5千人を収容できたという古代でも最大規模の劇場であったとされるものがあります。ここは主に演劇が行われていましたが、剣闘士の墓も発見され、剣闘士同士の戦いも行われたと考えられています。

ヘレニズム時代に建設され、ローマ時代にさらに拡張されて25

音響効果が素晴らしく、現在でもコンサートやイベント等で活用されています。

大劇場は、エフェソスの文化的な中心地であり、人々の生活に重要な役割を果たしていたことを示しています。

大劇場
項目 内容
建設時期 ヘレニズム時代、ローマ時代に拡張
規模 2万5千人を収容
特徴 半円形、音響効果が良い
用途 演劇、音楽会、政治集会、剣闘士の戦い
現在の状態 コンサート会場として利用されている

アルテミス神殿

アルテミス神殿は、豊穣の女神『アルテミス』を奉った総大理石の神殿で、紀元前7世紀~紀元3世紀頃に実際に存在していました。高さ19m、直径1.2mの円柱が127本、建築期間は約120年という驚異の神殿。

パルテノン神殿を凌ぐ程の規模だったと言われており、是非実物を見てみたかった…と思う方がほとんどではないでしょうか。アルテミス神殿は、長い歴史の中で放火も含め何度も破壊と再建を繰り返しました。

最終的にはゴート人の侵略、キリスト教徒により破壊されたままとなりました。現在は、わずかに残った大理石の残骸を積み上げ1本の円柱が復元されていますが、ほとんど何も残っていません。「跡地」と呼んだ方が良いくらいで、もの寂しい雰囲気です。

尚、神殿跡の近くにあるエフェス考古学博物館には「エフェソスのアルテミス」という像があります。非常にインパクトが強く有名ですので興味のある方は是非ご覧下さい。

アルテミス神殿
項目 内容
建設時期 紀元前7世紀~紀元3世紀
規模 高さ19m、直径1.2mの円柱が127本
特徴 古代ギリシャ建築様式のイオニア建築
見どころ 神殿跡地に残る1本の柱
現在の状態 ほとんどが破壊され、跡地のみが残っている

まとめ

エフェソス遺跡には、セルシウス図書館や大劇場など、ローマ時代の壮大な建築物が数多く残っています。これらの建築物は、当時の技術力と芸術性を示す貴重な遺産です。

セルシウス図書館は、世界三大図書館の一つとして知られており、その規模と保存状態の良さから、当時のエフェソスの文化水準の高さをうかがえます。

大劇場は、2万5千人を収容できる巨大な劇場で、演劇や音楽、政治集会など、様々なイベントが行われていました。

アルテミス神殿は、古代世界七不思議の一つに数えられており、その壮大さは、当時のエフェソスの繁栄を物語っています。

3. エフェソスの宗教と信仰

要約

アルテミス信仰

エフェソスは、古代ギリシャ時代からアルテミス信仰の中心地として知られていました。アルテミスは、ギリシャ神話に登場する月の女神であり、狩猟、野生動物、処女、出産などを司る女神です。

エフェソスでは、アルテミスは、大地の母たるキベレという女神と同一視され、豊穣の象徴として崇拝されていました。エフェソスのアルテミスは、ギリシャ神話に登場するアルテミスとは全く異なる姿をしています。

エフェソス遺跡からは大理石でできた女神アルテミスの像が出土し、エフェソス考古学博物館に展示されています。エフェソスのアルテミスは、ギリシャ神話に登場するアルテミスとは全く異なる姿をしています。

アルテミス神殿は、エフェソスの人々にとって重要な信仰の場であり、世界中から巡礼者が訪れていました。

アルテミス信仰
項目 内容
アルテミス
役割 月の女神、狩猟、野生動物、処女、出産などを司る
特徴 大地の母たるキベレと同一視され、豊穣の象徴として崇拝された
見どころ エフェソス考古学博物館に展示されているアルテミスの像

キリスト教の伝来と聖母マリア

エフェソスには、キリスト教が比較的早く伝来しました。新約聖書には、エフェソスの教会にあてた書簡、エフェソの信徒への手紙があります。また、伝承では、使徒ヨハネはパトモス島の流刑から解放された後、エフェソスの教会の主教(司教)を務める傍ら、ヨハネによる福音書を書いたと伝えられています。

イエスの母マリアも使徒ヨハネとともにエフェソスで余生を送ったと伝えられています。聖母マリアが晩年を過ごしたとされる「聖母マリアの家」は、現在も多くの巡礼者を集めています。

聖母マリアの家は、エフェソス遺跡から7kmほど離れたビュルビュル山の山中にあります。石造りの家の中にはマリア像が置かれ、家の外には病が治るという言い伝えのある聖水が湧いています。

聖母マリアの家は、キリスト教徒にとって重要な巡礼地であり、歴代のローマ教皇も訪れています。

聖母マリアの家
項目 内容
場所 ビュルビュル山の山中
特徴 石造りの家、聖水が湧き出ている
見どころ マリア像、聖水、願いが叶うという言い伝えのある壁
歴史 聖母マリアが晩年を過ごしたとされる
現在の状態 キリスト教徒の巡礼地として有名

エフェソス公会議

4世紀以降、キリスト教が公認されると、エフェソスはたびたび教会会議や公会議の舞台となりました。

その中でも重要なものは、東ローマ(ビザンティン)皇帝テオドシウス2世の勅令下で開催され、ネストリオス派に異端が宣告された431年のエフェソス公会議と、単性説(あるいは合性論)と両性説の論戦が行われて前者が正統とされた449年のエフェソス強盗会議です。

エフェソス公会議は、キリスト教の歴史において重要な役割を果たし、キリスト教の教義を確立する上で重要な役割を果たしました。

エフェソスは、キリスト教の信仰の中心地として、重要な役割を果たしてきました。

エフェソス公会議
開催年 内容
431年 ネストリオス派に異端が宣告された
449年 単性説と両性説の論戦が行われ、単性説が正統とされた

まとめ

エフェソスは、古代から様々な宗教が交差する場所でした。アルテミス信仰は、エフェソスの人々にとって重要な信仰であり、アルテミス神殿は、世界中から巡礼者が訪れる場所でした。

キリスト教が伝来すると、エフェソスはキリスト教の信仰の中心地となり、聖母マリアが晩年を過ごしたとされる「聖母マリアの家」は、現在も多くの巡礼者を集めています。

エフェソス公会議は、キリスト教の教義を確立する上で重要な役割を果たしました。

エフェソスは、古代の宗教とキリスト教の信仰が融合した場所であり、その歴史は、宗教の変遷と人々の信仰心の深さを物語っています。

4. エフェソスの世界遺産登録について

要約

世界遺産登録の基準

エフェソスは、2015年にユネスコの世界遺産に登録されました。世界遺産登録の基準は、以下の3つです。

(iii) 人類の創造的才能を物語る建築物や技術の集積、または景観デザインにおいて、文化交流の重要な証であるもの。

(iv) 人類の歴史上重要な時代を代表する建築様式、建築技術、都市計画、景観デザインの優れた例。

(vi) 特定の文化または文明の伝統、思想、信仰、芸術的、技術的、社会的な発展において、顕著な普遍的価値を持つもの。

世界遺産登録基準
基準 内容
(iii) 人類の創造的才能を物語る建築物や技術の集積、または景観デザインにおいて、文化交流の重要な証であるもの
(iv) 人類の歴史上重要な時代を代表する建築様式、建築技術、都市計画、景観デザインの優れた例
(vi) 特定の文化または文明の伝統、思想、信仰、芸術的、技術的、社会的な発展において、顕著な普遍的価値を持つもの

エフェソスの世界遺産としての価値

エフェソスは、ヘレニズム時代、ローマ帝国時代、初期キリスト教時代の文化的伝統を示す際立った証拠であると評価されています。

特にローマ帝国の文化的伝統は、セルシウス図書館やハドリアヌス神殿、セラピス神殿、テラスハウスといった中心部の代表的ですぐれた建築に反映されており、その壁画やモザイク、大理石パネルは当時の上層社会の生活スタイルを物語っています。

エフェソスは全体として、環境に対応し変遷した都市景観のすぐれた例であると評価されています。

この古代都市はカイストロス川沿いの河口や港湾に展開しており、ローマの港湾都市として際立った存在である。また、初期のアヤスルクの港とその後に築かれたエフェソスの港は共に埋め立てられたが、古代ギリシアの時代から中世にかけて移り変わった河川の景観の変遷を示している。

エフェソスの世界遺産としての価値
項目 内容
文化的価値 ヘレニズム時代、ローマ帝国時代、初期キリスト教時代の文化的伝統を示す
歴史的価値 ローマ帝国における重要な港湾都市としての証拠
景観的価値 環境に対応し変遷した都市景観のすぐれた例
宗教的価値 キリスト教の普及に決定的な役割を果たした
その他 古代ギリシアの時代から中世にかけて移り変わった河川の景観の変遷を示している

世界遺産登録の意義

エフェソスの世界遺産登録は、この古代都市の文化的、歴史的、宗教的な重要性を世界に認めさせたものです。

エフェソスは、人類の文明史と宗教史を理解する上で重要な場所であり、世界遺産登録によって、その保護と保存が促進されます。

エフェソスは、世界中の人々に、古代文明の素晴らしさ、そして人類の歴史の深さを伝える場所として、これからも重要な役割を果たしていくでしょう。

エフェソスは、世界遺産登録によって、観光客の増加が見込まれ、地域経済の活性化にも貢献すると期待されています。

まとめ

エフェソスは、ヘレニズム時代、ローマ帝国時代、初期キリスト教時代と、長い歴史の中で様々な文化が交差した都市です。

エフェソスは、古代都市の遺跡だけでなく、キリスト教の聖地としても重要な場所であり、その文化的、歴史的、宗教的な価値が認められ、2015年に世界遺産に登録されました。

世界遺産登録によって、エフェソスの保護と保存が促進され、世界中の人々にその魅力が伝えられることが期待されています。

エフェソスは、人類の文明史と宗教史を理解する上で重要な場所であり、これからも世界中の人々に愛される場所であり続けるでしょう。

5. エフェソスの観光スポットと見どころ

要約

セルシウス図書館

セルシウス図書館は、エフェソス遺跡の中でも最も有名な建造物の一つです。ローマ帝国のアジア総督を務めたセルシウスを偲んで、息子のティベリウスが建設したものです。

この場所はセルシウス総督の墓所だったそうで、現在でも図書館の地下には墓所が設けられ、石棺が安置されています。セルシウス図書館が建造されたのは西暦117年と言われ、エフェソス遺跡のほぼ中央に位置しています。

セルシウス図書館は建物正面の構えが残っています。その美しさと威厳は世界遺産にふさわしく、当時の建築技術や彫刻の美しさをじっくり堪能できます。

正面に並ぶ4体の女性の女神像は、知恵のソフィア、徳のアレテー、思考のエンノイア、認識のエピステーメーです。これらの像は周囲の状態に比べると新しく見えますが、これは1970年代に修復されたレプリカなのだそうです。

セルシウス図書館
項目 内容
建設時期 西暦117年
規模 約1万2千冊の蔵書を収蔵
特徴 2階建ての壁面、古代ギリシャ様式の柱頭を持つ支柱、9段の足場
見どころ 正面のファサード、内部の装飾、地下のセルシウスの墓所
現在の状態 正面のファサードは修復されている

大劇場

エフェソス遺跡には、2万5千人を収容できたという古代でも最大規模の劇場であったとされるものがあります。ここは主に演劇が行われていましたが、剣闘士の墓も発見され、剣闘士同士の戦いも行われたと考えられています。

ヘレニズム時代に建設され、ローマ時代にさらに拡張されて25

音響効果が素晴らしく、現在でもコンサートやイベント等で活用されています。

大劇場は、エフェソスの文化的な中心地であり、人々の生活に重要な役割を果たしていたことを示しています。

大劇場
項目 内容
建設時期 ヘレニズム時代、ローマ時代に拡張
規模 2万5千人を収容
特徴 半円形、音響効果が良い
用途 演劇、音楽会、政治集会、剣闘士の戦い
現在の状態 コンサート会場として利用されている

アルテミス神殿

アルテミス神殿は、豊穣の女神『アルテミス』を奉った総大理石の神殿で、紀元前7世紀~紀元3世紀頃に実際に存在していました。高さ19m、直径1.2mの円柱が127本、建築期間は約120年という驚異の神殿。

パルテノン神殿を凌ぐ程の規模だったと言われており、是非実物を見てみたかった…と思う方がほとんどではないでしょうか。アルテミス神殿は、長い歴史の中で放火も含め何度も破壊と再建を繰り返しました。

最終的にはゴート人の侵略、キリスト教徒により破壊されたままとなりました。現在は、わずかに残った大理石の残骸を積み上げ1本の円柱が復元されていますが、ほとんど何も残っていません。「跡地」と呼んだ方が良いくらいで、もの寂しい雰囲気です。

尚、神殿跡の近くにあるエフェス考古学博物館には「エフェソスのアルテミス」という像があります。非常にインパクトが強く有名ですので興味のある方は是非ご覧下さい。

アルテミス神殿
項目 内容
建設時期 紀元前7世紀~紀元3世紀
規模 高さ19m、直径1.2mの円柱が127本
特徴 古代ギリシャ建築様式のイオニア建築
見どころ 神殿跡地に残る1本の柱
現在の状態 ほとんどが破壊され、跡地のみが残っている

まとめ

エフェソス遺跡には、セルシウス図書館や大劇場など、ローマ時代の壮大な建築物が数多く残っています。これらの建築物は、当時の技術力と芸術性を示す貴重な遺産です。

セルシウス図書館は、世界三大図書館の一つとして知られており、その規模と保存状態の良さから、当時のエフェソスの文化水準の高さをうかがえます。

大劇場は、2万5千人を収容できる巨大な劇場で、演劇や音楽、政治集会など、様々なイベントが行われていました。

アルテミス神殿は、古代世界七不思議の一つに数えられており、その壮大さは、当時のエフェソスの繁栄を物語っています。

6. エフェソスの現地ツアーや楽しみ方

要約

エフェソス遺跡へのアクセス

エフェソス遺跡は、トルコ西部のイズミル県セルチュクに位置しています。エフェソス遺跡はセルチュク中心部のオトガルバスターミナルから5分の場所に位置しています。また、エフェソス遺跡の隣にはセルチュク・エフェス空港もあり、観光地としてのアクセスは抜群。エフェソス遺跡を一目見ようと、世界中から観光客が訪れています。

セルチュクにはバス以外に鉄道駅があるのもポイント。トルコ第三の都市・イズミル・パムッカレ観光の拠点・デニズリ など、この地域の大都市や観光スポット間を結ぶ鉄道路線なので、移動にはとても便利です!

トルコ第三の都市・イズミル(İzmir)~セルチュク間の移動には、鉄道利用が確実に便利です。セルチュクでは、オトガル(バスターミナル)と鉄道駅の両方が中心部にあるものの、イズミルのオトガルは中心街から離れており、アクセスが面倒(地下鉄とトラムの乗り換えが必要)なためです。

セルチュク方面への鉄道が発着するイズミルのバスマネ駅(Basmane Garı)は市内中心部に位置しており、イズミルの観光エリアからは十分に徒歩圏内 ▼ バスマネ駅~セルチュク駅間は、1日7本の列車が走っています。

エフェソス遺跡へのアクセス
交通手段 所要時間 料金
イズミル空港からセルチュク バスまたは電車で約1時間 バス: 約15TL、電車: 約7.5TL
セルチュクからエフェソス遺跡 ミニバスで約10分、徒歩で約30分 ミニバス: 約4TL、タクシー: 約20TL

エフェソスの観光の仕方

エフェソス遺跡は、広大な敷地内の中に見どころが点在しているため、最低でも2時間は見ておきましょう。今回紹介した見どころを中心に見学するなら2〜3時間、その他のスポットや細かい装飾など、じっくりと鑑賞する場合は3〜4時間ほど確保しておくのがおすすめです。

エフェソス遺跡を効率的に観光するなら、ツアーの利用もおすすめです。好みや予定に合わせたツアーを選びましょう!現地のツアーでは、日本語対応のガイドと一緒に周遊するオプションも。エフェソス遺跡の人気スポットを巡りながら、その歴史をより深く知ることができますよ。

トルコ国内を周遊する人は、イスタンブールなどの各都市からの日帰りツアーも便利です。慣れない海外での国内線の手配なども全ておまかせできるので、安心できますね。

エフェソス遺跡は、その謎めいた歴史を知ってから見学すると、より深く楽しめますよ。夏場は暑さ対策も必須です。ぜひ紹介した情報を参考に、十分に計画や準備をして、エフェソス遺跡の観光を満喫してみてくださいね!

エフェソス遺跡の観光時間
内容 時間
主要な見どころを巡る 2~3時間
じっくりと見学する 3~4時間

エフェソス観光の注意点

エフェソス遺跡は昼間は世界中から団体観光客が訪れるため、混雑することがあります。なので、混雑を避ける場合は、午後の時間帯の出来るだけ遅い時間帯がおすすめです。12時〜13時のランチの時間帯も穴場になることがあります。混雑を避けるだけではなく、夕暮れ時のミステリアスな雰囲気の遺跡を楽しむこともできるので、一石二鳥ですよ。

エフェソス遺跡の敷地内のトイレは、1カ所のみとなります。トイレはミニバスを降りた北ゲートのみの設置となっているため、入場の際に必ず済ませておくようにしましょう。

エフェソス遺跡は、地面や建物は大理石でできているため、夏場はじりじりと照りつけるような暑さに。水分補給や暑さ対策を十分にして観光しましょう。さらに日差しを遮る木陰や屋根などもないため、日焼け止めや帽子、サングラスは必須です。

エフェソス遺跡は、トルコ国内のほかの人気観光地と同様、毎日世界中から訪れる観光客でにぎわいます。とくに混雑する時間帯や事前に注意しておくと良いことなど、知っておくと得する情報をご紹介します。

エフェソス観光の注意点
項目 内容
服装 夏場は帽子、サングラス、日焼け止め必須
トイレ 北ゲートにのみ設置
混雑 午後の遅い時間帯やランチ時間帯がおすすめ
その他 水分補給を忘れずに

まとめ

エフェソス遺跡は、トルコを代表する世界遺産であり、古代都市の遺跡として、世界でも最大規模を誇ります。

エフェソス遺跡は、セルシウス図書館や大劇場など、見どころがたくさんあります。

エフェソス遺跡は、トルコ西部のイズミル県セルチュクに位置し、アクセスも比較的便利です。

エフェソス遺跡は、歴史と文化に触れることができる貴重な場所です。ぜひ訪れて、その魅力を体感してください。

参考文献

トルコ・エフェソス(エフェス)遺跡観光完全ガイド【歴史 …

エフェソス – 世界遺産データベース

エフェソス – Wikipedia

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