ドゥブロヴニク旧市街とは?世界遺産についての解説

ドゥブロヴニク旧市街の構成要素
歴史 ラグーサ共和国時代、大地震、戦争、復興
観光スポット 城壁、スルジ山、ロクルム島
世界遺産登録の理由 歴史的価値、建築様式の多様性、自然の美しさ
建築様式 ゴシック様式、ルネサンス様式、バロック様式
食文化 地中海料理、伝統料理、スイーツ、ワイン
アクティビティ 城壁を歩く、スルジ山へ行く、ロクルム島へ行く

1. ドゥブロヴニク旧市街の歴史

要約

ドゥブロヴニクの起源とラグーサ共和国

ドゥブロヴニクは、クロアチア南部のアドリア海沿岸に位置する歴史的な都市です。その起源は古く、7世紀頃に遡るとされています。当時、この地はラウス (Laus) と呼ばれる岩島で、近くの都市エピダウロス (Epidaurus) からのダルマチア人の避難民が、スラヴ人の侵略から逃れるために移住してきたとされています。その後、ビザンティン帝国の支配下に入り、海上交易都市として発展しました。13世紀には共和制の自治都市となり、14世紀には「ラグーサ共和国」として独立を果たしました。ラグーサ共和国は、巧みな外交術と豊富な富に支えられ、15世紀から16世紀にかけては特に発展しました。アドリア海では、ヴェネツィア共和国と並んで貿易で栄え、5つの海洋共和国の一つに数えられました。

ラグーサ共和国は、アドリア海の重要な貿易拠点として、多くの富を蓄積しました。その富は、街の建設や芸術の振興に用いられ、ドゥブロヴニクは美しい街並みを形成していきました。しかし、1667年に発生した大地震によって、街は壊滅的な被害を受けました。地震によって多くの建物が倒壊し、街は大きな打撃を受けました。その後、ラグーサ共和国は徐々に衰退していきました。

19世紀には、ナポレオンの軍隊によってラグーサ共和国は滅亡しました。その後、ドゥブロヴニクは、イタリア、オーストリア、ユーゴスラヴィアと、様々な国の支配下に置かれました。1991年には、ユーゴスラヴィアからクロアチアが独立を宣言しましたが、その際に勃発したボスニア・ヘルツェゴビナ紛争では、セルビア・モンテネグロ勢力によってドゥブロヴニクは7ヶ月間包囲されました。この間、ドゥブロヴニクは激しい砲撃を受け、街は大きな被害を受けました。

しかし、紛争が終結した後、ドゥブロヴニクは復興を始めました。市民の努力によって、街は徐々に元の美しい姿を取り戻していきました。現在、ドゥブロヴニクは、クロアチアの重要な観光都市として、世界中から多くの観光客が訪れています。

ドゥブロヴニクの歴史年表
7世紀 ラウス (Laus) と呼ばれる岩島にダルマチア人が移住
13世紀 共和制の自治都市となる
14世紀 ラグーサ共和国として独立
15世紀~16世紀 海洋貿易で発展
1667年 大地震発生
19世紀 ナポレオンの軍隊によってラグーサ共和国滅亡
1991年 クロアチア独立宣言、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争勃発
1991年~1998年 セルビア・モンテネグロ勢力による包囲、砲撃
2005年頃 復興完了

ドゥブロヴニクの非武装化と復興

ドゥブロヴニクは、1970年代の早い段階で、戦争による破壊から守るために非武装化されました。世界遺産に登録されている旧市街地は、戦争による惨事から避けるため、非武装化が行われました。しかし、1991年のクロアチアの独立宣言後、ユーゴスラヴィア人民軍に残っていたセルビア・モンテネグロによって、ドゥブロヴニクは攻撃されました。

ドゥブロヴニクは、1991年10月1日にユーゴスラヴィア人民軍 (JNA) の攻撃を受け、その後7ヶ月間の包囲を受けました。12月6日には最大の砲撃が行われ、19人が死亡し60人が負傷しました。クロアチア赤十字社によれば、この攻撃により114人が死亡したとされ、ドゥブロヴニク包囲では犠牲者に著名な詩人であるミラン・ミリシッチ (Milan Milisić) が含まれていました。

紛争が終結した後、ドゥブロヴニクは復興を始めました。ユネスコのガイドラインに忠実に、砲撃による旧市街の損害は復旧が進められました。修復は、元来の姿に戻すように行われ、2005年にはもっとも被害を受けた箇所も復旧しました。

現在も、旧ユーゴスラヴィア国際戦犯法廷でのJNAの大将や将校の起訴内容には、この砲撃も含まれています。ドゥブロヴニクは、戦争の傷跡を克服し、再び美しい街として生まれ変わりました。

ドゥブロヴニクの言語変遷
1472年以前 ラテン語
1472年以降 ダルマチア語
現在 クロアチア語

ドゥブロヴニクの言語

ドゥブロヴニクの公用語は、1472年までラテン語が使用されていました。その後、ラグーサ共和国は公用語にラテン語と同系のロマンス諸語の一種であるラグーサ方言のダルマチア語を採用すること決め、議会での討議の場でのスラヴ語の使用は禁止されました。上流階級 (Gospari) は自分たちの言葉を数世紀にわたって保持していましたが、徐々に廃れていきました。

ラテン系の言葉が公用語として使われてはいましたが、共和国のほとんどの地元住民はスラヴ語を使用していました。1698年の P. A. Tolstoj による記録に残されています。彼らは共和国に常に誇りを持っていたため、自分たちのことをラグーサ人を意味するラグーサン (Ragusan)、ラグセオス (Raguseos) と呼んでいました。

ダルマチア語は市内で話されていましたが、イタリア語も話されており、ヴェネツィア語やトスカーナ方言の影響も強かった。ドゥブロヴニクは、歴史と文化が複雑に絡み合った街です。

現在では、ドゥブロヴニクではクロアチア語が公用語として使用されています。しかし、歴史的な背景から、イタリア語やダルマチア語の影響を受けた言葉が、今でも使われていることがあります。

まとめ

ドゥブロヴニクは、長い歴史の中で、様々な出来事を経験してきました。ラグーサ共和国として栄え、大地震や戦争によって破壊されながらも、復興を遂げてきました。ドゥブロヴニクの歴史は、街の美しい街並みだけでなく、人々の強さと回復力を感じさせてくれます。

ドゥブロヴニクは、歴史的な建造物や文化遺産だけでなく、自然の美しさも魅力です。アドリア海の青い海と、オレンジ色の屋根が美しい街並みは、多くの観光客を魅了しています。

ドゥブロヴニクは、歴史と文化、そして自然が調和した街です。訪れる人々に、忘れられない感動を与えてくれるでしょう。

ドゥブロヴニクの歴史は、街の現在を理解する上で欠かせないものです。歴史を学ぶことで、ドゥブロヴニクの魅力をより深く理解することができます。

2. ドゥブロヴニク旧市街の観光スポット

要約

ドゥブロヴニクの城壁

ドゥブロヴニク旧市街をぐるりと囲む城壁は、ドゥブロヴニク観光のハイライトの一つです。全長約1940m、高さは約25mにも及ぶ城壁は、12世紀から17世紀にかけて建造されました。城壁の上は遊歩道になっており、旧市街の街並みとアドリア海の絶景を360度見渡すことができます。

城壁の上からは、オレンジ色の屋根が連なる旧市街と、青いアドリア海の美しいコントラストを楽しむことができます。また、城壁には4つの要塞が設けられており、それぞれから異なる景色を楽しむことができます。

城壁を歩くには、チケットが必要になります。チケットは、ピレ門、プロチェ門、聖イヴァン要塞の近くの3ヶ所で販売されています。城壁を一周するのにかかる時間は、約40分から1時間ほどです。

城壁の上は、日差しが強いので、帽子や日焼け止めクリーム、飲み物などを忘れずに持参しましょう。

ドゥブロヴニクの城壁情報
全長 約1940m
高さ 約25m
建造時期 12世紀~17世紀
チケット販売場所 ピレ門、プロチェ門、聖イヴァン要塞
所要時間 約40分~1時間

スルジ山

スルジ山は、ドゥブロヴニク旧市街のすぐ背後にそびえる標高412mの山です。スルジ山からは、ドゥブロヴニク旧市街とアドリア海の絶景を一望することができます。

スルジ山へは、旧市街の北門にあたるブジャ門の近くから、ロープウェイでアクセスできます。ロープウェイに乗ると、約4分で山頂に到着します。

山頂には、ナポレオン軍が占領中に建設した帝国要塞と白い十字架があります。また、展望台からは、ドゥブロヴニク旧市街の街並み、周辺の山々、アドリア海に浮かぶ島々を見渡すことができます。

スルジ山は、ドゥブロヴニクの街を異なる角度から眺めることができる絶景スポットです。

スルジ山へのアクセス情報
アクセス方法 ロープウェイ
所要時間 約4分
山頂の見どころ 帝国要塞、白い十字架、展望台

ロクルム島

ロクルム島は、ドゥブロヴニクの旧港からフェリーで約15分のところに位置する島です。島には、緑豊かな植物園や、オーストリア大公マクシミリアンが別荘を建てた史跡などがあります。

ロクルム島から見るドゥブロヴニクの街並みもまた絶景です。緑のスルジ山をバックにした旧市街のオレンジ色と、手前の青い海のコントラストは、息を呑む美しさです。

ロクルム島には、海から流れ込んだ小さな池のような場所があり、泳ぐことができます。また、島内には、レストランやカフェ、ビジターセンターなどがあります。

ロクルム島は、ドゥブロヴニクの街を異なる視点から眺めることができるだけでなく、自然を楽しむことができる場所です。

ロクルム島へのアクセス情報
アクセス方法 フェリー
所要時間 約15分
見どころ 植物園、マクシミリアンの別荘跡、池、レストラン、カフェ、ビジターセンター

まとめ

ドゥブロヴニク旧市街には、城壁、スルジ山、ロクルム島など、多くの観光スポットがあります。それぞれのスポットから、異なる角度でドゥブロヴニクの街並みや自然を楽しむことができます。

ドゥブロヴニク旧市街は、歴史的な建造物だけでなく、自然の美しさも魅力です。アドリア海の青い海と、オレンジ色の屋根が美しい街並みは、多くの観光客を魅了しています。

ドゥブロヴニク旧市街は、歴史と文化、そして自然が調和した街です。訪れる人々に、忘れられない感動を与えてくれるでしょう。

ドゥブロヴニク旧市街は、一日では回りきれないほど多くの見どころがあります。時間に余裕を持って、ゆっくりと街を散策しましょう。

3. ドゥブロヴニク旧市街の世界遺産登録の理由

要約

世界遺産登録基準

ドゥブロヴニク旧市街は、1979年にユネスコの世界遺産に登録されました。世界遺産リストへの登録に関して「世界遺産条約履行のための作業指針」で示される登録基準のうち、ドゥブロヴニク旧市街は、以下の3つの基準に該当します。

(i) – 人間の創造的才能を表す傑作である。

(iii) – 現存するか消滅しているかにかかわらず、ある文化的伝統又は文明の存在を伝承する物証として無二の存在(少なくとも希有な存在)である。

(iv) – 歴史上の重要な段階を物語る建築物、その集合体、科学技術の集合体、あるいは景観を代表する顕著な見本である。

ドゥブロヴニク旧市街の世界遺産登録基準
基準 該当する内容
(i) 人間の創造的才能を表す傑作である
(iii) 現存するか消滅しているかにかかわらず、ある文化的伝統又は文明の存在を伝承する物証として無二の存在(少なくとも希有な存在)である
(iv) 歴史上の重要な段階を物語る建築物、その集合体、科学技術の集合体、あるいは景観を代表する顕著な見本である

ドゥブロヴニク旧市街の価値

ドゥブロヴニク旧市街は、中世のラグーサ共和国時代の街並みをよく残しており、その歴史的価値は非常に高いです。城壁に囲まれた街並みは、当時の都市国家の繁栄と、人々の生活様式を物語っています。

また、ドゥブロヴニク旧市街は、建築様式の多様性も特徴です。ゴシック様式、ルネサンス様式、バロック様式など、様々な時代の建築様式が混在しており、街の歴史の深さを物語っています。

さらに、ドゥブロヴニク旧市街は、アドリア海の美しい自然と調和した街並みも魅力です。青い海とオレンジ色の屋根の街並みは、多くの観光客を魅了しています。

ドゥブロヴニク旧市街は、歴史、文化、自然が一体となった、世界的に貴重な遺産です。

ドゥブロヴニク旧市街の危機遺産登録

ドゥブロヴニク旧市街は、1991年から1998年にかけて、世界遺産の危機遺産リストに登録されていました。これは、ユーゴスラヴィア内戦で街が大きな被害を受けたためです。

しかし、紛争が終結した後、ドゥブロヴニクは復興を始めました。市民の努力によって、街は徐々に元の美しい姿を取り戻していきました。

2005年頃に大部分の復旧が完了し、ドゥブロヴニク旧市街は危機遺産リストから除外されました。

ドゥブロヴニク旧市街は、戦争の傷跡を克服し、再び美しい街として生まれ変わりました。

まとめ

ドゥブロヴニク旧市街は、歴史的価値、建築様式の多様性、自然の美しさなど、多くの価値を持つことから、世界遺産に登録されました。

ドゥブロヴニク旧市街は、戦争によって大きな被害を受けましたが、市民の努力によって復興を遂げました。

ドゥブロヴニク旧市街は、世界遺産として、これからも大切に保護されていくでしょう。

ドゥブロヴニク旧市街は、世界中の人々に、歴史と文化、そして自然の素晴らしさを伝えてくれる場所です。

4. ドゥブロヴニク旧市街の建築様式

要約

ゴシック様式

ドゥブロヴニク旧市街には、ゴシック様式の建築物が多く見られます。ゴシック様式は、12世紀から16世紀にかけてヨーロッパで流行した建築様式です。

ゴシック様式の建築物は、尖塔やアーチ、ステンドグラスなどが特徴です。ドゥブロヴニク旧市街では、聖ヴラホ教会や旧総督邸など、ゴシック様式の建築物が多く見られます。

聖ヴラホ教会は、1368年に建造された当初、ロマネスク様式の建物でしたが、1715年にイタリアの建築家、マリオ・グロペッリによりヴェネツィアのサン・マウリツィオ教会をモデルとして再建され、現在のゴシック様式の建物に変わりました。

旧総督邸は、14世紀に建てられたゴシック・ルネサンス様式の建物で、優美な曲線と絢爛豪華な階段を表しています。

ドゥブロヴニク旧市街のゴシック様式建築
建築物 特徴
聖ヴラホ教会 尖塔、アーチ、ステンドグラス
旧総督邸 優美な曲線、絢爛豪華な階段

ルネサンス様式

ルネサンス様式は、14世紀から16世紀にかけてヨーロッパで流行した建築様式です。ルネサンス様式は、古代ローマの建築様式を復興したもので、古典的な美しさや調和が特徴です。

ルネサンス様式の建築物は、柱やアーチ、ドームなどが特徴です。ドゥブロヴニク旧市街では、スポンザ宮殿やオノフリオの大噴水など、ルネサンス様式の建築物が多く見られます。

スポンザ宮殿は、16世紀に建造されたゴシック様式とルネサンス様式の混ざった宮殿です。

オノフリオの大噴水は、1438年にナポリ人のオノフリオ・デッラ・カヴァによって建造されました。

ドゥブロヴニク旧市街のルネサンス様式建築
建築物 特徴
スポンザ宮殿 柱、アーチ、ドーム
オノフリオの大噴水 柱、アーチ、ドーム

バロック様式

バロック様式は、16世紀から18世紀にかけてヨーロッパで流行した建築様式です。バロック様式は、ゴシック様式やルネサンス様式とは異なり、より装飾的で華やかな建築様式です。

バロック様式の建築物は、曲線や渦巻き、彫刻などが特徴です。ドゥブロヴニク旧市街では、聖イグナチオ教会など、バロック様式の建築物が多く見られます。

聖イグナチオ教会は、1699年にイエズス会員だった建築家兼画家のイグナチオ・ポッソによりデザインされました。

ドゥブロヴニク旧市街は、様々な建築様式が混在しており、街の歴史の深さを物語っています。

ドゥブロヴニク旧市街のバロック様式建築
建築物 特徴
聖イグナチオ教会 曲線、渦巻き、彫刻

まとめ

ドゥブロヴニク旧市街は、ゴシック様式、ルネサンス様式、バロック様式など、様々な建築様式が混在しており、街の歴史の深さを物語っています。

それぞれの建築様式は、当時の社会状況や文化を反映しており、街を歩くことで、ドゥブロヴニクの歴史を感じることができます。

ドゥブロヴニク旧市街の建築様式は、街の美しさだけでなく、歴史的な価値も高く評価されています。

ドゥブロヴニク旧市街の建築様式は、街の個性と魅力を形作っています。

5. ドゥブロヴニク旧市街の食文化

要約

ドゥブロヴニクの伝統料理

ドゥブロヴニクの伝統料理は、地中海料理の影響を強く受けています。新鮮な魚介類や野菜を、シンプルながらも美味しく調理した料理が特徴です。

ドゥブロヴニクでぜひ味わいたい伝統料理の一つに、タコのサラダがあります。新鮮なタコを、オリーブオイル、レモン、ハーブなどで和えた、さっぱりとした味わいのサラダです。

また、ドゥブロヴニクでは、牡蠣も有名です。新鮮な牡蠣を、レモンをかけて食べます。

ドゥブロヴニクの伝統料理は、素材の味を生かした、シンプルながらも美味しい料理です。

ドゥブロヴニクの伝統料理
料理名 特徴
タコのサラダ 新鮮なタコをオリーブオイル、レモン、ハーブで和えたサラダ
牡蠣 レモンをかけて食べる新鮮な牡蠣

ドゥブロヴニクのスイーツ

ドゥブロヴニクでは、美味しいスイーツもたくさん食べられます。特に、クロアチアのプリンである「ロジャータ」は、ドゥブロヴニクの定番スイーツです。

ロジャータは、プリンをもっと柔らかくしたような、ふんわりした触感が特徴です。

ドゥブロヴニクでは、カフェやレストランで、ロジャータを楽しむことができます。

ドゥブロヴニクのスイーツは、甘すぎず、素材の味を生かした、上品な味わいです。

ドゥブロヴニクのスイーツ
スイーツ名 特徴
ロジャータ クロアチアのプリン、ふんわりとした触感

ドゥブロヴニクのワイン

ドゥブロヴニクでは、美味しいワインもたくさん飲めます。ドゥブロヴニク周辺の地域では、古くからブドウ栽培が行われており、質の高いワインが生産されています。

ドゥブロヴニクのワインは、白ワイン、赤ワイン、ロゼワインなど、様々な種類があります。

ドゥブロヴニクのワインは、食事と一緒に楽しむのはもちろん、お土産としても人気です。

ドゥブロヴニクのワインは、地中海気候の恵みを受けて育ったブドウで作られており、豊かな風味と香りが特徴です。

まとめ

ドゥブロヴニクの食文化は、地中海料理の影響を強く受けており、新鮮な魚介類や野菜を使った、シンプルながらも美味しい料理が特徴です。

ドゥブロヴニクでは、伝統料理だけでなく、美味しいスイーツやワインも楽しむことができます。

ドゥブロヴニクの食文化は、街の歴史と文化を反映した、豊かなものです。

ドゥブロヴニクを訪れたら、ぜひ地元の料理やワインを味わってみてください。

6. ドゥブロヴニク旧市街のアクティビティ

要約

城壁の上を歩く

ドゥブロヴニク旧市街の城壁の上を歩くのは、ドゥブロヴニク観光の定番アクティビティです。城壁の上からは、旧市街の街並みとアドリア海の絶景を360度見渡すことができます。

城壁を歩くには、チケットが必要になります。チケットは、ピレ門、プロチェ門、聖イヴァン要塞の近くの3ヶ所で販売されています。

城壁を一周するのにかかる時間は、約40分から1時間ほどです。

城壁の上は、日差しが強いので、帽子や日焼け止めクリーム、飲み物などを忘れずに持参しましょう。

ドゥブロヴニク城壁のアクセス情報
アクセス方法 ピレ門、プロチェ門、聖イヴァン要塞から入場
所要時間 約40分~1時間
チケット 必要

スルジ山へ行く

スルジ山は、ドゥブロヴニク旧市街のすぐ背後にそびえる標高412mの山です。スルジ山からは、ドゥブロヴニク旧市街とアドリア海の絶景を一望することができます。

スルジ山へは、旧市街の北門にあたるブジャ門の近くから、ロープウェイでアクセスできます。ロープウェイに乗ると、約4分で山頂に到着します。

山頂には、ナポレオン軍が占領中に建設した帝国要塞と白い十字架があります。また、展望台からは、ドゥブロヴニク旧市街の街並み、周辺の山々、アドリア海に浮かぶ島々を見渡すことができます。

スルジ山は、ドゥブロヴニクの街を異なる角度から眺めることができる絶景スポットです。

スルジ山へのアクセス情報
アクセス方法 ロープウェイ
所要時間 約4分
チケット 必要

ロクルム島へ行く

ロクルム島は、ドゥブロヴニクの旧港からフェリーで約15分のところに位置する島です。島には、緑豊かな植物園や、オーストリア大公マクシミリアンが別荘を建てた史跡などがあります。

ロクルム島から見るドゥブロヴニクの街並みもまた絶景です。緑のスルジ山をバックにした旧市街のオレンジ色と、手前の青い海のコントラストは、息を呑む美しさです。

ロクルム島には、海から流れ込んだ小さな池のような場所があり、泳ぐことができます。また、島内には、レストランやカフェ、ビジターセンターなどがあります。

ロクルム島は、ドゥブロヴニクの街を異なる視点から眺めることができるだけでなく、自然を楽しむことができる場所です。

ロクルム島へのアクセス情報
アクセス方法 フェリー
所要時間 約15分
チケット 必要

まとめ

ドゥブロヴニク旧市街では、城壁の上を歩いたり、スルジ山やロクルム島を訪れたり、様々なアクティビティを楽しむことができます。

ドゥブロヴニク旧市街は、歴史的な建造物だけでなく、自然の美しさも魅力です。アドリア海の青い海と、オレンジ色の屋根が美しい街並みは、多くの観光客を魅了しています。

ドゥブロヴニク旧市街は、歴史と文化、そして自然が調和した街です。訪れる人々に、忘れられない感動を与えてくれるでしょう。

ドゥブロヴニク旧市街は、一日では回りきれないほど多くの見どころがあります。時間に余裕を持って、ゆっくりと街を散策しましょう。

参考文献

ドゥブロヴニクの旧市街 – 世界遺産を学ぶ

ドゥブロヴニク – Wikipedia

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